今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2024年1月「原 伸介」さん

原 伸介(はら・しんすけ)さん

1972年横浜市生まれ、横須賀育ち。14歳のときに遊び場だった里山がつぶされ、「将来は山に恩返しをする」と決心。信州大学農学部森林科学科を卒業。1995年に大正生まれの炭焼き職人に出会い、伝統的炭焼き技術を学ぶ。炭焼き歴29年目の現在も、伐採から搬出、炭焼きまでの全てを一貫して行う傍ら、日本の伝統技術や文化・ 人生の素晴らしさを伝える活動に命を燃やしている。主な著書「山の神さまに喚ばれて」《修行編》《独立編》(フーガブックス)「生き方は山が教えてくれました」(かんき出版)など。

『努力は好きに勝てない。好きを武器に炭焼きを極める』

遊び場の山が崩され、山に恩返しをすると決心

中川:
炭焼き職人さんということで、どんな方だろうと、こちらも勝手にイメージをしていましたが、着物姿とは驚きました(笑)。普段から着物を着られているのですか。
原:
着物は普段着です。炭焼きは作業服に地下足袋ですが。
中川:
山の男というイメージをもっていましたから、着物とは想像もしませんでした(笑)。
原:
父が落語好きで、幼いころから子守歌代わりに落語を聞かされていました。 覚えたのを話すと受けるのでうれしくなって落語が好きになりました。初めて高座に上がったのが3歳のとき。惜しまれて5歳で引退しました(笑)。 落語に親しむことで、話芸だけでなく江戸の価値観が自分の中に入ったような気がします。昭和47年生まれですが、自分だけ元禄生まれみたいな感じで(笑)、まわりとのギャップは大きかったですね。 先生の言っていることもよくわからないし、「勉強していい学校へ行けばいい人生が送れる」みたいなことを言われると、「先生、それはちょいと野暮ってもんじゃねぇですか」なんて思ったりしていました(笑)。 落語には職人が出てきますが、その気風のよさに憧れたりしてましたね。炭焼き職人になったのも、父の落語好きが遠因の一つかもしれません。 とにかく、日本文化が大好きで、着物はぼくにとってはなくてはならないものです。まわりの人にも日本の伝統に少しでも関心をもってもらいたくていつも着物姿でウロウロしています(笑)。
中川:
職人さんというと無口で笑わないようなイメージですが、原 さんはあちこちで講演をされたり、話す機会が多いみたいですね。まだ少ししかお話ししていませんが、とてもお話しのテンポが良くて、こちらも楽しくなってきます。わずか3歳で高座に上がった成果が出ていますね(笑)。
原:
おかげさまでけっこう受けていますね(笑)。
中川:
落語以外にも炭焼きに興味をもった理由はあると思いますが。
原:
出身が神奈川県横須賀市なのですが、小さいころはぎりぎり自然が残っていて、野山を駆け回って遊んでいました。 ところが、ぼくたちはベビーブームの生まれだったので、小学校も中学校も教室が足りないのです。それで、ぼくの大好きだった野山が潰されて、中学校が建てられることになりました。ぼくにとって、人生最大のショック。ものすごい喪失感がありました。 中学3年生の4月から自分の遊び場だった山を崩してできた学校に通い始めることになりましたが、楽しかった野山の変わり果てた姿を見るのがつらくて、いつか山に恩返しをしようと決めたのです。 それが炭焼きをやることになった原 点だと思います。
中川:
それで信州大学に行って、森林科学を勉強することにしたんですね。
原:
その前に高校なんですが、入学して間もなく進路調査用紙が配られて、希望大学・希望職業を書くように言われたことがありました。高校へ入っても山に恩返しをしたいという気持ちがずっとあったので、山の職業を書きたいわけです。でも、横須賀には林業をやるような立派な山もないし、山の職業が思いつかないんですね。山の仕事をしている人なんて見たこともなかったですから。 「山にいる人ってだれだろう」と考えたときに頭に浮かんだのが「仙人」でした。それで、希望職業欄に「仙人」と書きました(笑)。 すぐに先生から呼び出しを受けました「ふざけるな」「ふざけてません」とどちらも引きません。結局、「希望職業・仙人」を3年まで変えませんでした。
中川:
希望職種が「仙人」ですか。先生も面食らったでしょう。
原:
仙人になるにはどこへ行けばいいかと考えたとき、さすがに神奈川には仙人はいないだろう、と。もっと山深いところ、自分の中で一番山のイメージが強かったのが長野県でした。いろいろ調べたら、信州大学農学部に「森林科学科」があることがわかりました。信州→森林→仙人という連想が働いて、ものすごくときめきました。 それで信州大学農学部森林科学科に進路を決めました。
中川:
なるほど。現実的な進路が見つかったわけですね。
原:
でも、入ったはいいけれども、同級生に仙人を目指している者もいないし(笑)、そばに山があるのに実習がないんですよ。板書をノートにとるだけの授業です。こんなことをやりに来たのではない、とすぐに学校へ行かなくなりました。
中川:
期待した内容とはまるで違ったんですね。卒業は?
原:
卒業はしました。親との約束でしたから。 ほかの学科で単位をとってもいいことがわかって、いかに学校へ行かなくても単位が取れるか頭を働かせました。レポートだけで単位がとれるものがけっこうあったので、その授業ばかりを選んで、3年が終了したころには卒業の単位はとれていました。ほとんど大学へ行かずに卒業できました(笑)。

長野県松本市の伊太利亜炭 火焼きレストラン「ドマノマ」にて 構成/小原田泰久

山の神様に喚ばれて
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