今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2008年10月 「迫田 時雄」さん

迫田 時雄(さこだ ときお)さん

1937年鹿児島生まれ。広島音楽高等学校、武蔵野音楽大学卒。1965 年より3 年間、ウイーン国立音楽大学に留学。1999 年には映画「故郷」で使われたチェロ曲を作曲した(出演もした)。2001年日本障害者ピアノ指導者研究会を設立。2005 年1月「第一回ピアノパラリンピックin Japan」を開催。2005 年、定年により武蔵野音楽大学ピアノ科助教授を退職。第二回ピアノパラリンピック開催へ向けて各国へ働きかけている。

『障害者のすばらしい演奏に聴く人が変わっていく』

カーネギーホールでのコンサートに緊張

中川:
はじめまして。先生のされているピアノパラリンピックについては、以前にこの雑誌(月刊ハイゲンキ誌)で紹介させていただきました。とても反響が大きかったので、私も関心をもっていましたら、この間も、テレビで紹介されていましたね。確かうちの雑誌に出てたなと、改めて思っていたところへ、こうした対談の機会をいただきました。今日は楽しみにしています。よろしくお願いします。
迫田:
こちらこそ、貴重な誌面をいただきまして、ありがとうございました。¥r¥nあの記事を載せていただいたのが3年前ですかね。第一回目のピアノパラリンピックを横浜で開催した後だったかと思います。おかげさまで、来年の9月27日から10月4日には、カナダのバンクーバーで第二回目の大会を開催することになりました。
中川:
それはおめでとうございます。今までになかったことを始められて、それを継続してやっていくのは大変だろうと思います。あと1年ほどですが、準備の方はいかがですか。
迫田:
これがなかなか大変でして。前例が、横浜でやった第一回目の大会だけですから、バンクーバーの方もどう動いていいかわからない部分も多いですね。でも、第一回目が予想以上の出来だったので、協力してくれる方も増えてきました。マスコミでも報道してくれていますし、いい感じではないかなと思います。去年の12月3日には、ニューヨークの国連ハマーショルドホール、5日にはカーネギーホールでのデモンストレーションコンサートを行いました。演奏者が世界8カ国から集まってくれまして、大盛況のコンサートでした。日本でも、NHKがそのときの様子を紹介してくれたりしまして、私たちにとっては、とても有意義なイベントでした。ちょうど、12月3日が国際障害者デーで、日本が障害者条約サインをしたんですね。そんな中で、行事のひとつとして、コンサートを開くことができました。
中川:
あの有名なカーネギーホールですか。よく借りることができましたね。
迫田:
たまたまキャンセルがあったのでしょうか、空いていましてね。みんな緊張していましたよ。私が一番緊張したかな(笑い)。
中川:
先生がピアノパラリンピックをやろうとされたのは、手の不自由なお子さんにピアノを教えたことがきっかけだったですよね。
迫田:
中学生の子だったですね。お母さんからピアノを教えてあげてほしいと依頼を受けまして。私はピアノの教師ですから、中学生にピアノを指導するのは専門です。気楽にどうぞと引き受けたのですが、会ってびっくりです。その子は、左手の指が先天的になかったんです。どうしようかと思ったのですが、片手で弾くというトレーニング法もありましたので、とにかく試行錯誤で指導しました。それからしばらくして、音楽サークルに招待されたときに、とてもピアノの上手な女性に会いました。彼女の左手も指が一本もありませんでした。彼女は、左手の手首を器用に左右に動かして、親指と小指の付け根を使って鍵盤を叩いていました。まったく両手がある人の演奏と違和感がない。違和感がないどころか、彼女の音楽性はすばらしくて、ハートが伝わってきます。10本の指がそろっている人よりもはるかにすばらしい演奏をしてくれました。これだけの才能があるのに、音楽大学は障害があるという理由で、彼女を受け入れませんでした。おかしな話です。障害のある人にもピアノを楽しんでもらいたい。そして、才能があるなら、それを伸ばしてあげたいと思うようになりました。

<後略>

(2008年8月11日 東京都練馬 迫田時雄さんのご自宅にて 構成 小原田泰久)

NPO日本障害者ピアノ指導者研究会

http://www.ipd-piano.org/index.html

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