今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2006年5月 「鎌仲 ひとみ」さん

鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ)さん

映像作家、東京工科大学メディア学部助教授。91年、カナダ国立映画制作所へわたり、その後ニューヨークで活動。95年に帰国。映画「ヒバクシャ―世界の終わりに」は、国内外の300ヶ所で上映会が行われた。地球環境映像祭アース・ビジョン大賞などを受賞。今年、新作映画『六ヶ所村ラプソディー』が完成。

『毎日食べるお米が放射能に汚染されても、電気が必要ですか』

ヒバクには、「被爆」と「被曝」の2種類がある

中川:
以前、2003年9月号で鎌仲監督の撮られた『ヒバクシャ』というドキュメンタリー映画をご紹介させていただきました。その後も、核や原子力のことについては、あちこちで耳にする機会があって、今の時代の大変な問題で、だれもが真剣に考えなければならないことだなと感じるようになってきたところです。監督にお会いできるというので楽しみにしていました。
本誌でも原子力のことを連載するようになって、読者の方も関心をもって読んでくださると思います。
ぜひ、一人でも多くの人に、原子力について関心をもってもらいたいと思っています。今、日本でも原子力については、大きな転機に立たされているということを痛感しますから。
鎌仲:
その節はお世話になりました。おかげさまで、『ヒバクシャ』はたくさんの人が見てくださいました。
今回、『六ヶ所村ラプソディー』という映画を撮ったわけですが、『ヒバクシャ』はイラクという遠い国の出来事だったけれども、いよいよ私たち日本人の足もとでも、ヒバクシャが生まれてくる瀬戸際に立たされているわけです。
その情報があまりにもなさすぎます。一方的に原子力に反対するということではありませんが、今何が起こっているのか、事実を知って、それによって原発が必要かどうかを選択する必要があるという思いで、今回の映画は作りました。
中川:
ヒバクというと、二種類あるのだそうですね。『被爆』と『被曝』。原爆なんかで、外から放射線を受けるのが被爆で、放射性の物質を食べ物や空気と一緒にとってしまうことで、体内から放射線にさらされるのが被曝ですね。
チェルノブイリの原発事故でも、被爆よりも被曝による被害の方がずっと大きかった。それは当然で、放射能が四方八方に広がって、それによって被曝した人は世界中にいると言ってもいいでしょうから。
両方を合わせて、ヒバクシャとカタカナで表記しているということでいいですよね。
鎌仲:
そのとおりです。今回の映画の舞台になった六ヶ所村というのは、青森県の下北半島にある人口1万2000人ほどの小さな村です。ここが、日本がエネルギー政策として行おうとしている原子燃料サイクルの中心地になっています。
原子力発電に使うウランを濃縮する工場、原子力発電所から出る高レベルの放射性廃棄物を貯蔵したり、低レベルの放射性廃棄物を埋設したりする施設があって、それに加えて、原子炉で燃やした使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出す再処理工場も稼動しようとしています。そして、このプルトニウムを燃料にして、新型の原発を動かそうという動きがあります。
もちろん、ここで大事故が起きれば大変なことですが、そうでなくても、再処理工場が動き出せば、空気中と海に放射性物質がかなりの量、ばらまかれることになります。
青森県でとれる農作物や海産物の放射能レベルが上がると県も原燃を認めています。
私たちにとって、電気は必要不可欠ですが、安全な作物や海産物と引き換えにしてもいいのかということを考える必要があると思います。
中川:
ヒバクシャというと、一般的には、広島、長崎の原爆のヒバクシャしか浮かびませんが、現代でもヒバクの危険性はあるということですね。
でも、まだ被害者が出たわけでもないし、危険だと言っても実感がありませんよね。
鎌仲:
そうなんですね。今回の映画でも、そこが歯切れの悪さとして残っています。
ただ、アメリカならハンフォードの再処理工場でどんなことが起こったかを見ればわかるし、イギリスならセラフィールドの再処理工場ですね。
『ヒバクシャ』を作るときにハンフォードを取材し、今回はセラフィールドを取材しました。
イギリスのセラフィールド再処理工場は、アイリッシュ海という海に面して建てられています。44年間稼動した結果、アイリッシュ海沿岸は、ほかの海と比べて、放射能濃度が70倍にもなっていることがわかりました。
そのことがわかって、イギリスでは、食品の放射能汚染の基準レベルを上げ、さらには『魚介類は食べなければいい』という選択をしたわけです。
日本だとそんなわけにはいきません。
少なくとも、私はコンブやワカメが大好きですから、それが放射能に汚染されてしまうということは耐えられませんね。
中川:
前回の『ヒバクシャ』と今回の『六ヶ所村ラプソディー』と、原子力関係の映画を続けて撮られているわけですが、どういう経緯から、原子力問題に興味をもたれたのですか。
鎌仲:
私は大学を卒業してからずっとフリーで映画を作る仕事にかかわってきました。
アメリカやカナダに5年ほどいて、95年に日本へ帰ってきて、NHKの番組を作るようになりました。
テレビだと、お金の心配もしなくていいし、黙っていても100万人くらいの人が見てくれます。映画だとお金集めからはじまり、上映をどうするかといったことまで手配する必要がありますので、テレビの仕事は天国のように感じました。
その当時は、医療関係のドキュメンタリーをとっていて、この雑誌で連載されている帯津先生も取材させていただいたことがありました。
98年ですが、イラクに薬を運んでいる人と出会いました。その人は、イラクでは子どもたちのがんが増えていて、薬もないので、ばたばたと亡くなっているんだと、私に話してくれました。
これは、自分の目で見て、世に知らせていかなければならないと思いました。
中川:
その原因が劣化ウラン弾にあったわけですね。
鎌仲:
そのときには、私には劣化ウラン弾の知識などまったくありませんでしたから、ただどういうことが起こっているのか見てみたいということだけでイラクへ行きました。
そしたら、がんになっているのに、病院で何の治療もされずに放っておかれている子どもがたくさんいました。治療されずに死んでいくのはとても非人道的だと思いました。
このことを訴えようと思って、NHKで『戦禍にみまわれた子供たち』という番組を作りました。
中川:
かわいそうな子どもたちがいて、そのことを知らせようとしたことから始まったのですね。徐々にその背後に劣化ウラン弾があることがわかってきてと、鎌仲さんの歩んできた道も、非常にドラマチックに展開していますね。
鎌仲:
本当にそのとおりです。
日本へ帰って来てから、いつもイラクの子どもたちのことが気になっていて、私が普通に生活している間に、子どもたちはどんどんと死んでいっているという思いが、いつも頭の中にありました。
それで、『ヒバクシャ』にも登場願った広島の医師の肥田舜太郎先生に相談したら、『それはヒバクシャだ』って言われたんですね。
ヒバクシャと言われて、私も広島、長崎の原爆ヒバクシャをイメージしました。そのときに、肥田先生からいろいろとお話をうかがって、先ほど言われた二種類のヒバクのことを知ったわけです。
中川:
劣化ウラン弾というのは、確か、ウランを原発の燃料にするために濃縮する際に出てくる燃えないウランでしたよね。
鎌仲:
ウランは、大きくわけるとウラン235とウラン238があって、235の方は核分裂が起こるので原発を燃やす原料になります。この比率を上げるのが濃縮という過程で、そのときに不要になった238が劣化ウラン弾の原料になっています。
原発の燃料にはならないけど、立派な放射性物質ですから、これが武器として使われ、放置されれば、土地や空気が汚染されて、ヒバクシャがいくらでも生まれます。

(後略)

(2006年2月15日 東京・「グループ現代」にて 構成 小原田泰久)

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