今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2003年8月 「神津 友好」さん

神津 友好(こうづ ともよし)さん

大正14年8月長野県生まれ。昭和22年上智大学新聞学科卒業。昭和25年法政大学文学部英米文学科卒業。雑誌、業界紙記者を経て、昭和28年より演芸台本の専門作家となる。日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員、三越名人会企画委員などを歴任。NHK番組専属作家。花王名人劇場プロデューサー。著書に『笑伝・林家三平』『にっぽん芸人図鑑』『少年少女落語名作選』。平成13年文化庁長官表彰。

『毎日の暮らしの中で笑い発見!笑いの種は自分の心の中にある』

思わず笑ってしまう放送台本を書き続けて半世紀

中川:
神津先生は、放送演芸作家でいらっしゃるとうかがいましたが、具体的にはどういうお仕事なのでしょうか。
神津:
演芸には、古典芸能、落語、漫才、講談、漫談、浪曲など、いろいろなジャンルがあるのですが、私は思わず笑ってしまうような話を50年拾い続けてきました。¥r¥n笑いの芸能は、作が無いとできません。構成者や作者が必要なのです。その中で、私はラジオやテレビの演芸番組をずっと担当していましたから、NHKの方で「放送演芸作家」と呼び名を付けてくれたのですが、そういう職名があるのかどうか(笑)。
中川:
50年ですか。この世界の生き字引のようなご存在ですね。
神津:
日本テレビの昭和28年の開局番組に関わっていますから、ちょうど半世紀になりますね。放送台本をこれだけ長く書いていると、脚本家連盟登録作品だけでも、数百本の駄作の山…と言うと演者さんに悪いけれど(笑)。
最近、テレビ50周年ということで、NHKが持っている演芸番組より、笑芸、喜芸、すっとこ芸を集めて「昭和達人芸大全」をDVD6本に纏める仕事をしました。これがまあ、アッチコッチ、どこにあるのか探すところから始まって、当時はビデオ時代ではありませんから、フィルムでね、その編集でしょう、丸1年かかりました。
もうひとつ、「昭和名人芸大全」というのも同じようにDVD6本に纏めて。これは、珍芸、奇芸、びっくり芸などです。私は、「名人芸は、すごい芸で、達人芸は、みごとな芸の違いである」なんて、屁理屈を付けているんですがね。
まあ、それはさておき、この12本のDVDに収められている芸人さんの全員にお会いしているんですから、やっぱり私は古い人間だと改めて思いましたよ。
先程「生き字引」って、おっしゃっていただきましたが、そんなものではなく、古い人間の「廃物利用」ですよ(笑)。でも、何でこんなに長くやっていて、こんなにも儲からないのだろう。何で、こんなに無名なんでしょうね、ハハハ…。
中川:
貴重なお仕事をされましたね。どなたかがそうしなければ、埋もれたままになってしまいますから。
神津:
古いものに接して感じたのですが、昔は人の繋がりが乾いていなかったな、と思いますよ。今は、人間関係がいやにドライでしょう。ファミリーまで絡んだ付き合いなどあまりしなくなりましたね。
私は、落語家・林家三平さんの影作者などと呼ばれていましたが、その縁で師匠の亡き後もおかみさんやお子さんたちと家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっています。
私は好奇心が旺盛で、人間が好きなんでしょうね。いろいろなご縁でいろいろな会に所属しています。例えば、「有遊会」とか「ノータリークラブ」とか、みんな「たまにはお会いして、楽しく暮らしましょうよ」という主旨の会です。地元のボーイスカウトの副団委員長などを40年以上やっていますし。
中川:
「有遊会…遊びが有る会」ですか、楽しそうな名前ですね。どんなことをなさっているのですか。
神津:
これは25年続いていまして、主宰者は相撲評論家・演芸評論家の小島貞二さんです。都々逸や川柳、ナゾ掛けなどを作る宿題が出ましてね、隔月1度、浅草公会堂研修室に集まって、宿題を披露するのです。その出来にそれぞれが点を入れるのですが、プロが3点なのに、素人が30点取っちゃったりして、楽しいですよ。
例えば「新入生と掛けて、何と解く。その心は…」の宿題なら、「遠山の金さんと解く。心は桜が似合います」と。ま、月並みですがこれが見本です。皆さんも挑戦されたらいいですよ。
私は、その会の司笑。師匠をもじっているのですが、これは出席率が良くて、会に何かしらの功績が無いとなれないんですよ。
「ノータリー」は、鯉の絵を描かれている諸橋楽陽さんが代表者ですが、この会も発足して23年です。名門団体「ロータリー」に掛けたネーミングですが、気楽なざっくばらんな会です。
ああ、今日は対談でしたね。私はしゃべるのがへたで、特に対談は苦手なのです。ひとりでペラペラと勝手にしゃべったり、書いたりするのならいいのだけれども。以前、夜、眠れない人たちに人気のある番組、「NHK・ラジオ深夜便」から対談出演依頼があったのですが、その日から私も夜眠れない人になってしまいましたが。いいんでしょうか、ひとりでしゃべってしまって。
中川:
ハハハ。どうぞ、お気になさらず、この調子でお話しください。この欄は各界でご活躍の方たちに、その世界を教えていただくということですので。

<後略>

(2003年6月18日 東京都世田谷区の 神津友好さんのご自宅にて 構成 須田玲子)

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