今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2004年8月 「池辺 晋一郎」さん

池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう)さん

1943年茨城県水戸市生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科を経て、71年同大学院研究科修了。大学在学中の66年「クレパ7章」で音楽之友社室内作曲コンクール第1位、「管弦楽のための2楽章 構成」で第35同音楽コンクール作曲部門第1位、68年「交響曲第1番」で音楽之友社作曲賞を受賞し、早くから脚光を浴びる。テレビ、ラジオ、演劇、映画とも頻繁な関わりを持ち、コンサートの企画プロデュースも数多く手がけている。現在、東京オペラシティ音楽監督企画委員等、東京音楽大学教授、日本作曲家協議会会長等々、多くの役職を務める。尾高賞2回、日本アカデミー賞音楽賞8回、放送文化賞等を受賞。2004年4月紫綬褒章受賞。

『作曲は意思を持った「音」と散歩する感覚』

同時進行の作曲16本でもストレスレス!

中川:
初めまして、中川です。
池辺:
先日は、お宅のマガジンを送っていただきまして、千野皓司監督との対談を拝読しました。監督の映画『血の絆』の音楽を担当したのですけれど、映画完成に13年かかって、監督も大変なお仕事をなさいました。
中川:
池辺先生の音楽が素晴らしかったと、千野監督も喜んでおられました。また、この度は紫綬褒章を受賞されて、おめでとうございます。
池辺:
ありがとうございます。
中川:
大変お忙しくされている中で、お時間をいただいて恐縮です。
池辺:
先程ちょっと数えてみましたら、現時点で並行している純音楽の仕事が16本あるんですよ。純音楽というのはイヤな言い方ですが、純粋に自分の曲を作るという意味で。その他に映画音楽や舞台音楽も作曲していますから。映画ならそのフィルムを見なければなりませんし、演劇なら稽古に立ち会うでしょう。そういう時間も必要です。
中川:
そんなに多くですか。締め切りに間に合わないとか、焦りはありませんか。
中川:
夜寝るときになると、焦りますね。心配になって眠れないけど、そのうち眠ってしまいます(笑)。朝になると、もう心配は消えてしまっていて、どれも大丈夫なような気がする。よく「ストレス」というでしょう、僕は切羽詰ったり、スランプを経験したことはありますが、いわゆるストレスを感じたことはなくて、ストレス自体がどんなものなのかよく分からないんですよ。ストレスレスだな。
池辺:
それは素晴らしいことです。ポジティブで、プラス思考でいらっしゃる。
中川:
楽観的なのでしょう。同時進行で作らなければいけない曲をたくさん抱えていますから、Aが書けなければ、Bを書いて、またAに戻ってみると、出来ちゃう(笑)。僕はこの仕事を40年近くも続けていますが、体調不良で仕事に穴を開けたことは一度もありません。
池辺:
それはすごい。ずっとお丈夫でいらしたのですね。
中川:
いえ、風邪を引いたり、たまには腹痛や熱を出したりすることもあるんですよ。それで友人との飲み会をキャンセルしたことは何度かあるけれども、仕事に差し支えがあったり間に合わなかったことは、今まで一度もないんですよ。ずっと健康だったというわけでなくて、子どもの頃はあまりにも体が弱く病気ばかりしていて、小学校入学が1年遅れたほどです。
池辺:
それは辛かったでしょう。引け目に感じたり、同い年の友だちと一緒に学校に行きたかったという寂しいような気持ちもあったのではないでしょうか。
中川:
いや、それはなかったですねえ。子どもの頃に病気をいっぱいしたから、そのときの貯金があって、そのお蔭で大人になってからは、その利子で元気でいられるんじゃないかと思うんですよ。でも、もうそろそろ貯金が底をついて、無利子になっているかな(笑)。
小学1年生のときからいつも同級生より一つ年上ですから、自然とクラスのまとめ役になっていました。それがずっと続いていて、どうも僕自身の体質になってしまったようで、今は日本作曲家協議会の会長をしていたり、東京オペラシティや紀尾井ホールなどいくつもの音楽ホールでの企画の総まとめ役などをしています。

<後略>

(2004年5月12 日 東京・渋谷にて 構成 須田玲子)

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