今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2014年8月 「髙橋 史朗」さん

髙橋 史朗(たかはし しろう)さん

昭和25年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員に。政府の臨教審専門委員、少子化対策重点戦略検討会議分科会委員、自治省の青少年健全育成調査研究委員会座長、埼玉県教育委員長などを歴任。現在、明星大学教授、内閣府の男女共同参画会議議員、一般財団法人親学推進協会会長などを務める。著書に「歴史の喪失」(総合法令出版)「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」(致知出版社)など。

『日本の真の姿を知って、日本人が自信と誇りを取り戻すために』

アメリカへ留学し、占領軍の資料を 片っ端から調べた

中川:
先月号の「行動派たちの新世紀」で、髙橋先生のことを紹介させていただきました。その記事では、親としてどう生きればいいのかという「親学」のお話が中心でしたが、先生は、もともと歴史がご専門で、戦後のアメリカの占領政策が日本人の意識を大きく変えてしまったとおっしゃっています。今回の対談では、そのあたりのお話をお聞きしたいと思っておうかがいしました。
最近、『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版)を出されましたね。250万ページもの占領文書を読まれて研究されたそうですね。
髙橋:
私が30歳のときですが、新聞に「アメリカで陸軍と海軍の文書が25年、30年たつと公開される」という記事が載りました。私は、その記事を読んで、アメリカへ行って、公開されている陸軍、海軍の文書を読めば、占領時代の隠された事実がわかるのではないかと、メリーランド州立大学の大学院に留学しました。
中川:
占領文書に興味をもったというのは、なにかきっかけでもあったのですか?
髙橋:
いくつか理由がありました。戦前の人たちは、教育勅語で育ってきたわけです。教育の柱として教育勅語がありましたから。ところが、戦後になると、教育勅語は、まるで軍国主義の元凶のように思われるようになりました。180度、評価が変わってしまったのです。それを決めたのは、教育勅語で育ってきた国会議員たちです。どうして、教育勅語が全会一致で否決されてしまったのだろうという疑問の答えを見つけたかったというのがひとつです。
中川:
教育勅語には、私もとても興味があります。明治天皇が、人が人として生きていくために必要な心得として著わしたものだと聞いてます。内容も、親孝行をしましょうとか、兄弟姉妹は仲良くしましょうとか、夫婦は仲良く、友だちは信じ合って付き合いましょうとか、とても大切なことが書かれていて、どうして軍国主義につながっていくのか、理解できません。先生が言われるように、それが廃止されてしまって、悪い教えのように思われるのはどうしてか、私も疑問を感じます。この話は、あとで詳しくお聞きするとして、ほかの理由も教えてください。
髙橋:
その通りですね。そして、3つ目の理由が、大学時代の経験ですね。私は、大学紛争の時代に大学に行きました。東大の入試がなかったし、東京教育大学の入試も一部中止になったころです。私は早稲田に入りましたが、入学式の翌日から、無期限バリケードストライキになりました。6ヶ月授業がなかったのです。兵庫県から東京へ出てきて、勉学を楽しみにしていたのに、無期限のストライキです。授業が始まっても、学生運動の活動家がやってきて、先生を追及して、授業が成り立ちません。内ゲバもありました。そんな中、学内で一人の学生が殺されるという事件がありました。すごくショックでした。どうして、日本人同士が殺し合いをしなければならないのか。我々は戦後教育で民主主義と平和教育を学んできたはずなのに、どこに平和があるんだ。民主主義は相手を尊重することじゃないのか。大学には、平和も民主主義もない。どうしてそんなことになってしまったのか。そんな憤りで胸がいっぱいになりました。戦後という時代に、私たちが学んできたことには嘘がある。占領文書で日本とアメリカがどんな議論をしたか残されているはずだ。どういう思想の戦いがあったのか、それを研究してみたい。学生時代に、そういう気持ちになりました。
中川:
きっと、突き動かされるような思いがあったのでしょうね。それで、先生はアメリカに渡ったということですが、いくら公開されたとは言え、膨大な量の資料の中から、必要なものを探すのは大変なことだったのではないですか。
髙橋:
占領軍の担当官の名前が書いてある段ボールが乱雑に置いてあるだけで、体系的に整理されていません。とにかく、手当り次第に調べるしかありませんでした。2年半、まったく資料は見つかりませんでした。このまま見つかりませんでしたと日本に帰るわけにはいきません。それで、女房を先に帰国させ、インスタントラーメンと乾燥ワカメとシイタケばかりを食べて、人とも会わずに文書探しに専念しました。腹をくくると集中力が高まるのでしょうか、直感で探し求めていた資料に行き着いたりしました。最後の半年の間に、今回本にしたような重要な文書を見つけることができました。当時、年間にコピーできる枚数は100枚に限られていましたので、私はひたすら筆写しました。それが、段ボール10箱以上にもなりました。
中川:
いやあ、すごい執念ですね。でも、腹をくくると直観力が増すというのはわかります。心に強い決意をもつと、氣が満ちてきますからね。氣が満ちてくると、まわりからいろいろな応援がやってきます。たぶん、先生に歴史の真実を突き止めてほしいというエネルギーもあったと思います。先生が腹をくくったことで、そういうエネルギーがサポートしてくれたという部分もあるかと思いますね。

<後略>

(2014年6月11日 明星大学、日野キャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」
髙橋 史朗 著 (致知出版社)

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