今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2009年10月 「木村 秋則」さん

木村 秋則(きむら あきのり)さん

1949年青森県生まれ。78年ごろから無農薬、無肥料によるりんご栽培を模索し始める。約10年もの収穫ゼロという苦難の道をへて、ついに完全無農薬・無肥料のりんご栽培に成功する。その過程は、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されて、大きな反響を呼ぶ。著書に、「自然栽培ひとすじ」(創森社)「りんごが教えてくれたこと」(日本経済新聞社)「すべては宇宙の采配」(東邦出版)がある。

『無農薬でのりんご栽培もUFO やあの世の体験も、私には同じように真実なのです』

大事なものは、目に見えないところにあると思う

中川:
お久しぶりです。この前に対談でお会いしたのは10年くらい前でしょうか(98年11月号)。あのときの写真を見ると、前歯はありませんでしたが、笑い顔には歯が映っていました。今はもう1本もないとお聞きしていますが(笑)。
木村:
きれいになくなりました(笑)。医者で胃の検査をしたら、胃壁が分厚くなっていると言われてな。かまずに飲み込んでいますから(笑)。
中川:
NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に出られたのはおととしくらいですか?
木村:
2007年の12月かな。撮影は3ヶ月くらいかかってな。雨が降っても晴れても毎日来るからさあ。朝の5時半くらいには来ているわけ。毎日来られると少し疲れるな(笑)。
木村:
あれから日本中が木村さんに注目するようになって、本が出て、すっかり時の人になりましたね。絶対に不可能だと言われていた無農薬・無肥料でのりんご栽培に挑戦して、最初の畑を無農薬にしてから11年間、大変な苦労をされたというお話は、心打たれるものがあります。私も、あの番組を見て感動しました。その経緯は、「奇跡のりんご」(幻冬舎)という本に詳しく出ていますが、今度、「すべては宇宙の采配」(東邦出版)という本を書かれましたね。宇宙人のこととか、幽霊のこととか、龍のこととか、一般的にはかなり怪しいと考えられていることを書かれていて、思い切ったことをしたなと思いましたが、抵抗はなかったですか?
中川:
賛否両論だな。イメージが壊れるとか、なぜあんな本を出したとか言う人もいたし、逆に、よくぞ書いてくれたって喜んでくれる人もいたり。反応は見事に別れたな。だけどさあ、私は見えない世界が大事になっていると思うのな。スピーチを頼まれるとよく言うんだけど、みなさん、私はあなたを愛しているというとき、5kg愛していますとか、10kg愛していますという会話をしますかって言うのな。愛ははかりでは計れないんですよ。りんごの木でも米でも、土の中は見えないのな。今は、見える部分だけで話しているような気がするのな。大事なものは、目に見えないところにあると思うな。
木村:
そのことは前回もおっしゃっていました。りんごの木も根が大切なんだと言われていたのがとても印象に残っています。私の父も、見えない世界の大切さを、氣という見えないエネルギーを通して訴えようとしていました。私も、その跡を継いで、目に見えない世界の大切さを伝えていきたいと思っているわけです。
中川:
思いは大きなパワーだって思うのな。人間って、窮地に陥ったときに、思いのパワーが最大限に出ると思うな。火事場の馬鹿力みたいなな。生活費を稼ぐため長距離トラックの運転手をしていたときな。10トン車で仏壇を運んでて、きちんとした国道を通れば良かったのによお、近道をしようと山越えをしたのな。兵庫県の加古川に向かっていたときな。場所は岐阜県の神岡鉱山だったな。下り坂で、ブレーキのホースが破れてブレーキがきかなくなったのな。最初はサイドブレーキで坂を下ったけど、サイドブレーキも焼き切れて、急坂を必死で運転したのな。赤信号でも止まれなかったし、急カーブもあったし、一瞬でも間違えばもう死んでしまうという状況な。そのときは、トラックに「頼む」って念じたな。何とか縁石に乗り上げて止まったけどな
木村:
テクニックではなくて思いの力で助かったわけですね。まだ、りんごもできていないし、そんなところで死ぬわけにはいかないですからね。
中川:
止まった場所が、偶然にも、修理工場の前だったわけ。午前1時ごろだったけど、修理工場にまだ残っている人がいて、すぐに修理してもらえてな。あのまま崖から転落して死んでいたらりんごも作れないわけさ。何か、目に見えない力が、私を導いてくれたとしか思えないのな。

<後略>

(2009年8月18日 青森県弘前市の木村さんの自宅近くの喫茶店にて  構成 小原田泰久)

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