今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2016年5月 「スティーブ・ウィクバイヤ・ ラランス」さん

 

スティーブ・ウィクバイヤ・ ラランス(すてぃぶん うぃくばいや ららんす)さん

ゲスト/スティーブ・ウィクバイヤ・ラランスさん
1958年生まれ。ジュエリーアーティスト。トゥーファストーンという石で鋳型を作り、そこに銀を流し込んで作るトゥーファキャスト技法を用いて作品つくりをしている。フープダンスショーでは、太鼓と歌を担当している。

ゲスト/ナコタ・ロマソフ・ラランスさん
1989年生まれ。フープダンサー、ヒップホップダンサー。フープダンスの世界大会で8度のチャンピオンになる第一人者。シルク・ドゥ・ソレイユでは、2013年からプリンシパルダンサー(主役のダンサー)を務めている。26歳。

『ホピ族と真氣光。不思議な縁でつながり、再び出会うことに』

フープダンスの世界チャンピオン。日本にもこの踊りを広めたい

中川:
今回は、真氣光の会員さんで、カナダのトロントにお住いの神田陽子さんが、とてもすてきなゲストの方をご紹介くださいました。ネイティブアメリカンのホピ族の血を引くスティーブ・ウィクバイヤ・ラランスさんと、息子さんのナコタ・ロマソフ・ラランスさんです。
スティーブさんは、インディアンジュエリーのアーティストで、ナコタさんは、フープダンスの世界チャンピオンだそうです。
まずは、神田さんに、彼らとのご縁をお聞きしましょうか。神田さんには、通訳もやっていただきます。よろしくお願いします。
神田:
今日はよろしくお願いします。スティーブさん、ナコタさんにご縁ができたのは、昨年の6月、会長がトロントへ来られましたが、その3週間ほどあとでした。あのとき、会長からたくさんの氣をいただいて、それ以来、すてきな方とお会いする機会がとても増えました。ありがとうございました。
会長は、シルク・ドゥ・ソレイユってご存知ですか?
中川:
名前は聞いたことあるなあ。サーカスでしたっけ。
神田:
モントリオールでできたエンターテインメントの集団で、今は、世界的にもすっかり有名になりました。日本でも、2月から全国各地で公演していますよ。
昨年、会長が帰国されたあと、ナコタさんが、シルク・ドゥ・ソレイユの主役を務めるダンサーとして、トロントにお越しになりました。ちょうど、うちの14歳の娘もシルク・ドゥ・ソレイユで踊ることになって、私は、付き添いで行きました。そこで、スティーブさん、ナコタさんの2人に、初めてお会いしました。
そのときに、彼らが日本でもフープダンスを広げたいと言っていたので、私も20年以上、カナダに住んでいますが、日本人ですから、何か役に立てるのではと、応援することにしたという経緯です。
中川:
そういうことでしたか。それで今回、日本の何ヶ所かで公演をするわけですが、神田さんがコーディネイトしたということでしたね。
神田:
私と、今日、同席してくださっている近藤明子さんとで、どうなることやらと思いながらやりました。近藤さんとは、カナダで知り合ったのですが、がんばって日本の知り合いに当たってくださって、いい感じで進んでいます。
ホピの神様が応援してくれているに違いないって話しているんですよ。
ところで、今日は、どういう形で対談をしましょうか。と言うのは、ナコタさんが、ぜひ会長にフープダンスを見ていただきたいというので、これから準備に入ります。別の部屋で着替えて、ストレッチとか、準備運動をします。ここには同席できないので、スティーブさんとお話ししていただくということでよろしいでしょうか。
中川:
ダンスを見せていただけるんですね。それはうれしいな。じゃあ、お話しはお父さんのスティーブさんにお聞きして、あとでナコタさんのダンスを見せていただくことにしましょうか。
では、いろいろとお聞きしていきますが、スティーブさんは、ホピ族だということですね。
スティーブ:
母親がホピ族です。私の名前のウィクヴァイヤというのは、ホピ族の名前です。息子のロマソフというのもそうです。私の母がつけました。英語で言うと、ハンサムスターという意味です。その名前のおかげか、フープダンスでは、スターになることができました。いい名前をもらいましたね。
中川:
実は、25年ほど前ですかね。ホピ族の長老のマーティン・ガスウィスーマ氏が、私の父を訪ねて来られました。私どもは、真氣光と言いまして、氣、つまり生命エネルギーですが、それをもっと世の中に知ってもらおうと活動しているのですが、父はその創始者でもあるんですね。(月刊ハイゲンキを見せて)これが、そのときの記事です。写真も出ています。ガスウィスーマさんのこと、ご存知ですかね。
スティーブ:
わかります、わかります。お会いしたことはありませんが、名前は聞いたことがあります。たぶん、私の家内の姪っ子が彼の孫と結婚しているはずです。この記事の写真を撮ってもいいですか? 間違いないか、確認してみますね。確か、ホトヴィラ村に住んでいたと思うのですが。
中川:
確か、そういう名前の村でした。ご縁がありますね。
スティーブ:
でも、どうしてガスウィスーマさんは、会長のお父さんを訪ねたのですか。

中川:
宮田雪(きよし)さんという映画監督が仲立ちしてくれました。宮田監督は、ホピ族の置かれた状況やメッセージを『ホピの予言』という映画にして世に伝えようとしていました。先代も、宮田監督の活動に賛同して、応援していたようです。ホピ族の村の周辺の地下には、たくさん埋まっていて、ホピ族の人やナバホ族の人たちが、その採掘に従事して、たくさんの人が被曝しました。そのウランが、日本に落とされた原爆の原料となりました。そのことはホピの予言でも言われていたそうです。
ウラン採掘に従事した人は、ほとんど無防備の状態で仕事をしていたため、しばらくすると体調が悪くなり、その後もずっと後遺症で苦しんでいる人がたくさんいました。国からの保証もないので、病院にもかかれません。そういう人たちを氣で治せないかというのが、彼らの依頼のひとつでした。
1994年夏には、先代とがん治療ではとても有名な帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長)とが、ホピの村へ行って、被曝した人たちの治療に当たりました。
スティーブ:
そういうことがあったのですね。それは知りませんでした。

<後略>

(2016年3月29日 日比谷松本楼4階真珠の間にて 構成/小原田泰久)

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