「真氣光」の歴史
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1986年
ハイゲンキ開発
先代中川雅仁が、夢で白髭の老人より、氣中継装置の構造を教わりハイゲンキを開発する。最初は何に使うか分からなかったというが、肩凝りや腰痛をはじめ難病で苦しむ人にまで、徐々にユーザが広まる。
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1987年
各種氣グッズの
開発を始める先代が氣中継装置ハイゲンキに続き、夢で白髭の老人より氣の波動を植え付ける種々の方法を教えられ、各種氣グッズの開発を始める。
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1988年
ハイゲンキと手を
併用して氣を送る
ようになる12月23日の夜、白髭の老人より「おまえの手から氣が出る」と告げられ、たまたま24日にあったハイゲンキのセミナーに集まった人達に試してみる。
目を閉じて座る人達の体が、氣を受けて揺れる反応を見て、夢で見た事を確証し、その後ハイゲンキと手を併用して氣を送るようになる。 -
1989年
真氣光と名付ける
たくさんの人に手から出る氣を試すことで、自分が氣を貯めて出しているのではなく、宇宙からの氣を中継していることを実感する。さらに手から出る氣が、光のように写真に写ることがわかり、この氣のエネルギーを真氣光と名付ける。
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1990年
氣が出せる講座を
開講再度夢で白髭の老人より「おまえと同じように皆が氣を出せるから、それを教えなさい」と言われ、3月より伊豆下田で1週間で氣が出せる講座(真氣光研修講座)を開講する。
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1991年
真氣光の
国際医療支援4月中川雅仁が旧ソ連・ベラルーシ共和国の放射線医学研究所付属病院でチェルノブイリ原発事故による放射線障害患者に真氣光治療を行い、ロシア保健省をはじめ多くの団体、組織から感謝状を贈られる。以降、1992年まで3回にわたり、真氣光医療奉仕団を結成して訪問。
中川雅仁がオーストラリア沖にて、イギリスのイルカ博士ことホーラス・ドップス氏と共に野生イルカと氣の交流を行う。
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1992年
現在の中川雅仁が
SAS入社を決意現在の中川雅仁こと中川亘が真氣光研修講座を受講し、一年後にSASへの入社を決意する。
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1994年
真氣光研修所を
オープン
帯津先生と
ホピ族を訪問5月 奈良県生駒市に真氣光研修所をオープン。「医療氣功師養成講座」が「真氣光研修講座」と名称を変えスタート。
中川雅仁がアメリカ・アリゾナ州のアメリカインディアン・ホピ族を帯津良一医学博士(埼玉県川越市・帯津三敬病院院長)と共に訪れ、ウラン採掘の際の放射線被曝患者を治療。 -
1995年
中川亘が二代目の
中川雅仁を受け継ぐ先代の中川雅仁が3月に脳溢血で倒れ7月に復帰する。復帰後、真氣光は病気治しだけが目的ではないことを各地で力説。12月に再度の脳溢血で倒れ11日逝去。その後すべてを中川亘が受け継ぎ二代目の中川雅仁として、毎月の研修講座開催と各地でのセミナー及びセッションを始める。
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2007年
研修所閉所と新たな
真氣光研修の展開生駒研修所を閉所し、全国の宿泊施設で真氣光研修講座の開催を始める。
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2011年
25周年を迎え
ハイゲンキ3型を発売生駒研修所を閉所し、全国の宿泊施設で真氣光研修講座の開催を始める。
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2020年
真氣光研修講座
開催30周年達成3月で真氣光研修講座開催30周年(通算351回)開催。受講生のべ15,000人。ハイゲンキのユーザー数は約4万5千人に。
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2022年
最上位機種
ハイゲンキ8型を発売氣中継装置の最上位機種「ハイゲンキ8型」を発売。
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2024年
ハイゲンキミニ・
ジュニアを発売新しい個人用の氣中継装置「ハイゲンキミニ・ジュニア」を発売。