今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2009年9月 「一柳 廣孝」さん

一柳 廣孝(いちやなぎひろたか(いちやなぎ ひろたか)さん

1959年生まれ。名古屋大学大学院博士課程満期退学。横浜国立大学教育人間科学部教授。近代日本における霊や無意識の受け止め方を、文化・文学という側面から研究している。著書に、「霊を読む」(共編蒼丘書林)、「『学校の怪談』はささやく」(編著青弓社)などがある。

『夏目漱石や芥川龍之介も霊的なことに興味があった』

子どもは怪談が好き。学校の怪談の本が600万部も売れた。

中川:
先生のことは、1年以上前ですが、読売新聞の「スピリチュアリティの探求者」という連載で拝見しまして、とても興味をもちました。「霊を読む」という本も拝見しまして、こういう学問もあるんだと、驚かされ、ぜひお話をおうかがいしたいと思った次第です。文学研究で、霊をテーマにしようというのはあまりないことだと思いますが、どうして霊を研究対象にされたのか、すごく興味があります。まずは、そこからお聞かせください。
一柳:
もともとは、普通の文学研究をしていたんですよ(笑)。でも、夏目漱石とか芥川龍之介を読んでいますとね、彼らの作品には、霊的なことがチラチラと出てくるんですね。従来の文学研究では、そんなのはノイズ扱いで、研究の対象にはなりません。しかし、あれだけの文豪がどうして霊的なことに興味をもったのか、そこに、私の興味がつながっていきまして。それが、きっかけといえばきっかけですね。
中川:
そうですか。夏目漱石や芥川龍之介の作品に、霊的なことが出てくるんですか。
一柳:
たとえば、漱石の短編「琴のそら音」には、出征した夫の鏡の中に、妻が現れます。妻は夫の留守中にインフルエンザで亡くなってしまったので、お別れに来たというわけです。ほかの作品でも、テレパシーのことが出てきたりしています。芥川龍之介にも、「近頃の幽霊」という随筆があります。彼らも、けっこうこういう世界が好きだったんじゃないかなと思いますね。
中川:
霊的なものへの興味は、時代を超えてあるのだと思いますね。今も、スピリチュアルブームと言われていますし。
一柳:
怪談というのは、だれもが好きですね。江戸時代には、百物語というのがありましてね。一種のイベントですよ。怖い話を100話するわけです。ろうそくを100本灯しておいて、1話終わるごとに消していくわけです。99話が終わると、ろうそくはあと1本。そして、100話目が終わると、ろうそくが全部消えて真っ暗になり、そのときに何か不思議現象が起きるというものです。これは、明治時代になっても行われていました。現代では、実話怪談ブームというのがありまして、実際にあった怖い話をまとめた本がずいぶんと売れました。これも、百物語のひとつかと思います。話も100話にせず、99にとどめてあったりします。不思議現象が起こると困りますから(笑)。90年代の半ばには、学校の怪談ブームというのがありました。いくつかの出版社から出されましたが、全部を合わせると、600万部が出ました。半端な数ではないですね。
中川:
600万部ですか。子どもたちは、怪談を読んで育ってきたわけですね。子どもは怖い話が好きですからね。
一柳:
子どもたちは、そういう本やそれが映画化されたりアニメ化されたものを見て、この世は目に見える部分ばかりではなくて、目に見えない部分と重なり合っているんだということを学習しているところもあると思います。
中川:
でも、成長するにつれて、目に見える部分の比重が大きくなってくるのでしょうかね。先生が教えておられる学生さんなんかどうですか?
一柳:
かつては、大人になると、見えない部分は押さえ込まれることがあったと思いましたが、今は、科学的なものは大事だけれども、そうじゃないものも認めていいのではという重層構造になっているのではないでしょうか。明治以降、科学的合理主義を上から押し付けられて、江戸時代とは枠組みがまったく変わってしまいました。しかし、みんながそれに納得していたかというと、そんなことはなくて、心の奥底には古代から続いている霊魂観や神霊観が残っていて、時代時代によって、それが、形を変えて出てくるということを話すと、学生たちは納得して話を聞きます。霊的なものがあるとかないではなくて、私たちの思いとか感覚を作っている文化として考えると、学生たちもそうだし、学問としても受け入れられやすくなりますね。学問の俎上に乗っけるときは、霊があるかないかという立て方はしません。人が霊的なものがあると信じる背景にはどういう力学が働いていて、それがどうつながって、ブームになっているのかということを考えていきます。たとえば、宮沢賢治に霊能力があったかどうかという話は、文学研究としては意味をもちませんが、彼が特殊な感性で感じ取ったものをどうやって文学として表現したかということになれば、それは立派な学問となるわけです。

<後略>

(2009年7月23日 横浜国立大学教育人間科学部研究室にて 構成 小原田泰久)

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