今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2007年9月 「松谷 みよ子」さん

松谷 みよ子(まつたに みよこ)さん

1926年(大正15年)東京生まれ。1951年「貝になった子供」で児童文学者協会新人賞を受賞。「龍の子太郎」で国際アンデルセン賞優良賞など受賞。「ちいさいモモちゃん」では、第二回野間児童文芸賞を、「モモちゃんとアカネちゃん」では、赤い鳥文学賞を受賞。ほかにも、「私のアンネ・フランク」「ふたりのイーダ」「わたしのいもうと」など200冊を超える著書がある。

『生きてきた中でいろいろなものに 出あえたことが作品になった。』

本を読みなさいと、母が本をそろえてくれた

中川:
「はじめまして。今日は、お忙しい中、お時間を作っていただきましてありがとうございます。先生のお書きになられた『ちいさいモモちゃん』、楽しく読ませていただきました」
松谷 :
「ありがとうございます。あの本が出て40年になりますね。モモちゃんシリーズは6冊書きましたが、30年かかっています。おかげさまで、たくさんの人が読んでくださっています。親子2代、あるいはこの本は大人の方も読んでくださっているので、おばあちゃんも含めた3代にわたって読者だったという方もいらしてね」
中川:
「どこの家にも先生の本があるんじゃないでしょうか。先生と対談するんだって話したら、私の知り合いが、お子さんが小さいころに、『いないいないばあ』という本を読んであげたことがあると、けっこう読み込んで、ところどころ破けた本をもってきてくれました。お子さんにせがまれて、何度も何度も読んだのではないかと、ほのぼのとした氣が感じられました」
松谷 :
「赤ちゃんの本を作れって言われたときはどうしうと思いましたけどね。赤ちゃんの本だと、赤とか黄色とか派手な色を使うことが多いんですが、ちょっと違うのを作りたかった。出版社も、本気で作るという姿勢だったし、それも驚きました。40年ほど前の本だけど、今でも読まれています。そんなこと、想像もしませんでした。でも、私の師匠の坪田譲治先生が、『この本は日本中の赤ちゃんが喜びますよ』と言ってくださいました。うれしいことに、本当にそうなりましたね」
中川:
「そもそも、先生が本を書こうとしたきっかけというのは何だったのですか?」
松谷 :
「小さいときから本にはなじんでいました。母が、とにかく本を読みなさいと、たくさんの本をそろえてくれました。日本児童文庫76冊、小学生全集88冊をそろえてくれました。本を読みなさい、家のことはしなくていいからって。家のことは、嫁に行けばできるようになるって言ってね。変な母親でしょ(笑い)」
中川:
「知的な環境にあったんですね。でも、家のことをしなくていいというお母さんは珍しいですね。嫁に行ったら何でもできるようになるからやらなくていいって、昭和の初めですよね、すごいお母さんでしたね」
松谷 :
「自分では家のことをきちんとしている人だったんですよ。とても美人でした。私は似なかったんだけど(笑い)。父と母は金沢の人でした。昔話はしてくれなかったですね。その代わり、母方の縁続きで手伝いに来てくれていた若いお姉さんが、お風呂で髪を洗いながら『しっぺい太郎』の昔話をしてくれましてね。私はその話が蜊Dきで、よく 近所の子どもたちと『しっぺい太郎ごっこ』をして遊びました」
中川:
「そうですか。しっぺい太郎って、どういうお話なんですか?」
松谷 :
「旅のお坊さんが山の中のお堂で一夜を明かすんですが、そのときに、人身御供の娘をさらっていく怪物を見かけるんです。その怪物は『あのこと このこと 聞かせるな 信州信濃の山奥の しっぺい太郎に 聞かせるな』って歌うんです。お坊さんは、その歌を頼りに信州を歩いてしっぺい太郎を探し当てます。しっぺい太郎は犬だったんですね。お坊さんは、その犬を連れて村へ帰り、怪物と退治するという話なんです。7歳か8歳のころですね。6つくらいのときには、自分のノートを作って、ページの片側に文章、別の方に絵を描いて絵本を作っていました。小さいころから書くことが好きだったんですね。そのノートも、戦争で焼けてしまいましたが」

<後略>

(練馬区大泉学園の 松谷みよ子先生のご自宅にて 構成 小原田泰久)

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