今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2006年1月 「原 荘介」さん

原 荘介(はら そうすけ)さん

1940年秋田県大館に生まれる。1963年小樽商科大学卒業、東海汽船勤務後、1967年にギタリストとして独立。現在国内はもとよりベルギー・ブリュッセルを中心に海外でも活発に音楽活動を行っている。ライフワークとして海外日本人学校巡りと、35年にわたって研究している子守唄の調査収集、発表を。全音楽譜出版よりギターの弾き語り曲集、教本36冊を著し、他に日本コロンビアより「コンドルは飛んでいく」「百万本のバラ」などギターソロアルバム、歌のアルバムを多数発表。またCD全8巻「日本の子守唄」(日本教育通信連盟)の監修。

『誰もが心の引き出しに子守唄を持っている』

たくさんのステキな人との大切な出会い

中川:
去年の2月頃、新聞に原さんの紹介記事が掲載されていて、加藤登紀子さんと熊本の石牟礼道子さんを訪ねたということがちょっと触れられていました。
その頃、私どもの「月刊ハイゲンキ」でも、石牟礼さんの「新薪能 不知火」のことを掲載させていただいたこともあり、目にとまり、記事を読んでいましたら、原さんが日本の子守唄を調査収集し発表なさっていると知り、いつかお会いしたいと思っていました。
子守唄って、何だか懐かしいですよね。心の奥底から湧いてくるような温かさを思い出す…そんな感じがします。
原:
おトキさん(加藤登紀子さん)とは、もう30年以上も前にギターと弾き語りをお教えした縁で家族ぐるみのお付き合いです。何度も一緒にコンサートをしています。おトキさんの次女が「Yae」として歌手デビューしましたが、僕の膝の中で子守唄を聞いていた、あの赤ちゃんが…と思うと、何とも言えず嬉しいですよ。
僕は、人が大好きなんですよ。おトキさんや他のたくさんのステキな人との出会いを書いて「風来旅日誌」(武内印刷株式会社出版部)として、まとめました。これですが、差し上げますので良かったらどうぞお読みください。
中川:
ありがとうございます。
原:
そしてね、あのときの熊本行きの旅で「藤原書店」の藤原良雄社長さんと知り合ったんですが、彼は僕の子守唄の話に感じ入ってくれて、5月に彼のところの季刊雑誌『環』別冊に「子守唄よ、甦れ」という特集を組んでくれたんですよ。私もその一章を担当しました(と「環」を手渡す)。
中川:
北村薫さん、三好京三さん、西舘好子さん、ペマ・ギャルポさん…ずいぶんたくさんの方が、「子守唄」について書かれていますね。松永伍一さんという方のタイトルは「子守唄の光と影」ですか、面白そうですね。
原:
ええ、30人位の方の話がまとめられています。松永先生は、詩人であり、評論家であり、画家でもあるんです。私は、子守唄研究のスタート時点で先生の著書『日本の子守唄』を読み、とても感動しました。
そして、縁あって1986年に岡山県井原市で、第一回目の「日本の子守唄フェスティバル」が催されたときに先生が基調講演をなさり、私もパネラーとして出席したのです。そのあと、先生と私で「子守唄ブラザーズ」を結成し、先生はお話を、私は唄を担当し、いろいろな催しをしました。
中川:
そもそも原さんが子守唄を研究なさろうとしたきっかけは何だったのですか。
原:
40年近く前に倉本聰先生と一緒に呑んでいたときのことです。先生は当時NHKの大河ドラマ「勝海舟」や「文吾捕物帖」などの脚本を書いていた、超売れっ子でした。その先生が、私が書いたギター弾き語りの本の中に「島原の子守唄」が載っているのをたまたま見て、「こんな歌詞を知っているかい?」と言って、紙に歌詞を書いてくれました。
「姉しゃんなどけんいったろかい  姉しゃんなどけんいったろかい 
青いエントツのバッタンフル 唐はどこんねけ唐はどこんねけ 海の涯てばよ しょんがいな 泣くもんな鐘がむおろろんばい 
飴型買うてひっぱらしょ」。
私は全く知りませんでしたが、「唐(から)ゆきさん」という言葉が思い浮かび、お姉さんが今の中国に売られていく話だな、何だか残酷な詞だなと感じたのです。
倉本先生は「バッタンフルって、蒸気船のことだよ。子守唄には残酷な言葉が多いんだよね。二人で一生かけて子守唄の研究をしてみないか」とおっしゃったんです。先生のこの言葉がきっかけとなりました。
中川:
私も母に子守唄を歌ってもらって寝かされた遠い記憶があるのですが、とても温かくて懐かしい思い出として残っています。子守唄に残酷な言葉が多いというのは、ちょっと意外でした。どういうことでしょう。
原:
子守唄を歌ってもらった覚えがあるのは幸せですね。今は、歌ってもらったことも歌ったこともない人が増えていますから。子守唄には二つあるんですよ。母の歌う子守唄と、子守奉公に出された幼い女の子が歌っていたものです。

<後略>

(2005年11月18日 東京・武蔵野市のララバイ カルチャーセンターにて 構成 須田玲子)

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