今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2008年3月 「細江 英公」さん

細江 英公(ほそえ えいこう)さん

1933年山形県生まれ。『薔薇刑』『鎌鼬』『抱擁』『ガウディの宇宙』『ルナ・ロッサ』『胡蝶の夢』など国際的評価の高い写真集のほか、写詩集『おかあさんのばか』や自伝三部作『なんでもやってみよう―私の写真史』『ざっくばらんに話そう―私の写真観』『球体写真二元論―私の写真哲学』(いずれも窓社)などの著書がある。2003年、日本の写真家としてただ一人、英国王立写真協会創立150周年記念特別勲章を受章。2006年、アメリカ・サン・ディエゴ写真美術館(MoPA)より、Century Award for Life Time Achievement、およびルーシー賞先見的業績部門賞(Lucie Award Visionary)を受賞した。2007年、旭日小綬賞を叙勲。2008年には毎日芸術賞を受賞。現在、清里フォトミュージアム館長。

『核兵器は人間が作ったもの。現代人にやめようという意思があればなくすことができる。』

同じ被写体でも写真家の意識で違う作品になる

中川:
はじめまして。事務所まで押しかけまして申し訳ありません。ここに、先生の写真集が何冊も並んでいますが、『人間写真集』というのがありますね。今日は、先生の『死の灰』という写真集のことをお聞きしようと思っておうかがいしたのですが、人間写真という言葉、気になって仕方ありません。人間写真とはどういうものか、そこからお話をお聞かせいただいていいでしょうか。
細江:
狭いところへ来てくださいましてありがとうございます。人間写真ですが、風景写真とか動物写真というジャンルがありますよね。それと同じ意味で、人間を撮るということですね。人間と言っても、人間をとりまくいろいろなものを削り取って、純粋な形で人間を見て撮りたいということで、そう呼ぶようになりました。4年前に、これからやる写真集や展覧会は、『人間写真集』『人間写真展』と呼ぶことにすると宣言しましてね。宣言した限りはやらなければならない(笑)。
中川:
なるほど。まずは宣言してしまって、逃げられないようにするわけですね。純粋な形で人間を見るとはどういうことですか。深い内面的なものに目を向けるということですか。
細江:
内面的なものの前に、肉体に対する興味がありました。舞踏やモダンダンスを見ると、肉体はすごい表現力をもっているということがわかります。舞踏家の土方巽さんや大野一雄さんと出会って、彼らの踊りにものすごく感動しました。それで、彼らの肉体を撮ることで人間を表現できないものだろうかという思いをもちました。そんな中で気づいたのは、写真は対象があるけれども、対象に対してどんな考え方をもつか、表現者の表現意識が非常に重要だということです。被写体は重要だけど、それを上回る、表現者の思想があるんだなということでした。
中川:
同じ被写体にカメラを向けていても、写真家の意識によって違った作品ができるということですね。まさに、これは氣の世界かもしれません。どんな意識をもって写真を撮るかで、写真に込められる氣の種類はぜんぜん違ってきて、見る人に与える印象や影響はまったく別のものになりますから。

<後略>

(2008年1月21日 東京・新宿区の細江英公写真芸術研究所にて 構成 小原田泰久)

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