今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2017年4月 「ナシル 」さん

ナシル(なしる)さん

本名は、名城奈々。沖縄県那覇市生まれ。青山学院大学卒。シンガーソングライター。2000年、妹と「737(ななみな)」というユニットを結成、都内でのライブを中心に活動を始める。2006年に活動を休止し、2007年からナシルとしてソロ活動を開始。三線を使ったライブを中心に、司会、ラジオ沖縄やFM世田谷、かわさきFMなどでのパーソナリティを精力的にこなしている。2016年BIGINの島袋優プロデュースによる「君という未来へ/うつぐみ」でメジャーデビュー。
http://nacil.net/

『大好きな沖縄から世界へ!元気と笑顔を音楽で届ける。』

真氣光の施術をしてもらったらとても体が軽くなり大ファンに

中川:
ナシルさんは、シンガーソングライターとして活躍されていますが、最近、真氣光のことを知って、すごく気に入ってくださっているそうですね。
ナシル:
あるところで、こちらの会社のスタッフの方とお知り合いになって、とても疲れていたときでしたが、私にいろいろなものを使って氣の施術をしてくださったんですね。そしたら、気持ちが良くて、体も軽くなって、これはすごいものと出あったと、大ファンになってしまいました。今日も、会長のセッションを受けて、いろいろと不思議な体験をさせていただきました。これからも、もっと勉強させていただきます。とても興味深いです。
中川:
ありがとうございます。氣というのは目に見えないエネルギーなので、言葉で説明してもよくわからないんですね。まずは体験してもらうことですね。
ナシルさんは、氣に敏感な方だと思います。確か、沖縄出身ですよね。
ナシル:
そうなんです。高校まで沖縄の那覇市で育って、それから東京に出てきました。
中川:
沖縄は、ユタと呼ばれるシャーマンがいたり、御う嶽たきという神聖な場所があったり、とてもスピリチュアルな土地柄だと思います。そこで生まれて育った人や、沖縄に魅かれる人たちは、スピリチュアルな感性をもった人が多いですよね。きっと、ナシルさんもそういう方で、だからこそ、真氣光と縁があったし、体験してみてすぐに、もっと知りたいという気持ちになられたのだと思いますよ。
ナシル:
そう言われればそういう気もします。今日、会長がご先祖様のお話をしてくださいましたが、私は、もともとはあまりご先祖様のことは考えていませんでした。ナシルという名前で活動を始めたのが10年ほど前になりますが、そのあたりから、ご先祖様がいるからこそ、自分がここにいて、さらに先につながっていくというのを、感じるようになりました。もっとも、私は結婚していないので、先はないかもしれませんが(笑)、甥っ子や姪っ子がいるので、そちらから未来につながっていくなと思うと、何とも言えない不思議さというか、感動というか、神秘なものを感じています。
中川:
もちろん、血のつながりというのもありますが、魂のレベルで、先祖は子孫に影響を与えることがよくあります。結婚しなくても先につながっていきます(笑)。
恨みとか執着をもって死んでしまうと、後々、子孫にいい影響を及ぼさない存在になってしまうかもしれません。満足して感謝して亡くなると、子孫を応援する魂になることができると思います。
ナシル:
そうですか。結婚しなくてもつながるんですね。安心しました(笑)。でも、子孫に悪い影響を与える魂にならないように、気をつけないといけませんね。
会長に差し上げたCDの中にも入っている「那覇空港」という曲は、私が作詞作曲したものです。20年以上前に沖縄から東京に出るとき、家族が見送りに来てくれていたのですが、あの当時は、家族のありがたみとか、まったくわかっていませんでした。でも、7年ほど前に、自分の出発点は那覇空港で、その旅立ちに家族が立ち会ってくれていたのだと気づいて、何の感謝もなく出てきたことが悔やまれました。それで、この曲を作りました。
中川:
何か、ご先祖様からのメッセージがあったのかもしれませんね。そういう気持ちになられたのは、とても大切なことだと思います。ご先祖様にも光がいって、ナシルさんの活動を応援してくれる方も増えているのではないでしょうか。
ナシルさんは、高校を出てから東京の大学へ進学していますが、そのころからプロのミュージシャンになりたいと思っていたのですか?
ナシル:
それが、そんなことは思ってもみませんでした(笑)。大学を出たら、テレビのレポーターになって、世界中を回りたいというのが夢でした。「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターになれば、ただで世界が回れるじゃないですか(笑)。ただどころかギャラまでもらえちゃいますよね。東京の大学を出ればレポーターになれると信じて、東京へ出てきました。
中川:
それがどうしてまた、ミュージシャンの道に?
ナシル:
沖縄から東京へ出てくる人のほとんどは、どこかに沖縄の人がいないか、一生懸命に探すんですね。私も、やっぱり沖縄の人が恋しくてたまりませんでした。
一番手っ取り早く沖縄の人を見つける方法というのは、沖縄料理の店で働くことです。私も、沖縄料理店でアルバイトをすることにしました。沖縄出身の人とか、沖縄の好きな人が集まってきますから、話をしていても楽しいし、とても気持ちが落ち着きます。
そしたら、その店に、大手のレコード会社のプロデューサーが飲みに来ていました。その方が、「君は話が面白いから、音楽イベントの司会でもやったらどうだ」って、声をかけてくれました。

<後略>

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