今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2016年3月 「吉藤 オリィ」さん

吉藤 オリィ(よしふじ おりぃ)さん

本名・吉藤健太朗。奈良県葛城市出身。小学5年~中学3年まで不登校を経験。奈良県立王寺工業高校にて久保田憲司先生に師事、電動車椅子の新機構の発明により、国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学コンテストISEFにてgrandaward 3rd(銅賞)を受賞。高専にて人工知能を研究した後、早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの研究開発を独自のアプローチで取り組む。2012年、株式会社オリィ研究所を設立、代表取締役所長。http://www.orylab.com

『OriHime(オリヒメ)は、人と人をつないで孤独を癒す分身ロボット』

遠くにいる人も、遠隔操作によって、その場にいるように感じられる

中川:
これがOriHime(オリヒメ)ですね。表情は無機的な感じですが、何か、ほんわかと温かみが伝わってきますね。よくテレビのUFO番組とかで見る宇宙人のような顔と言えばいいのかなあ。そこに、小鳥の羽根のような手がついていて、面白いロボットですねえ。
吉藤:
ありがとうございます。コミュニケーションロボットと言われていますが、たとえば、ずっと入院していなければならない人がいたとして、自宅の居間に、このロボットを置いておけば、ベッドの上にいながら、家族団らんが楽しめるわけです。
中川:
パソコンとかiPhone、iPadで遠隔操作ができるんですね。額の部分にカメラがあって、首が動くので、自分がその場にいるように、右を見たり、左を見たりできますね。マイクロフォンやスピーカーも内蔵されていて会話もできるわけだ。
これはすごいですね。
吉藤:
手も、バンザイをしたり、「やあ」と片手を上げたり、「しまった」と頭を抱えたり、「あっち」と指を差したり、バタバタとしたりできます。
操作している人とOriHimeがいる場所とは遠く離れているのだけれども、まるでそこに本人がいるように感じてしまうはずです。
今、OriHimeが会長の方を見上げるようにしていますが、見られているって感じしませんか。
中川:
しますねえ。ついつい、あいさつをしてしまいますよ(笑)。何でしょうね、この感覚は。
吉藤:
OriHimeの表情は、能面をモチーフにしていて、存在感はしっかりあるけれども、人格はもたさないというデザインにしてあります。だから、笑っているようにも、悲しんでいるようにも見えます。
たとえば、電話で親しい人と話しているときって、相手の顔を想像しながら会話しているじゃないですか。人間には想像力という能力があるので、私は、それを壊しちゃいけないと思っています。
OriHimeそのものがキャラクターではなくて、抜け殻として存在していて、そこに、操る人の魂が入ってくるって感じですかね。
中川:
なるほど。抜け殻という言い方は面白いですね。OriHimeが、かわいい顔をしていたり、漫画のキャラクターだったら、イメージが固定してしまうかもしれませんね。
吉藤:
実は、最初のころのOriHimeはかわいい犬型でした。それをある会社の社長が使ってくれました。社員旅行の直前にアキレス腱を切って入院しなければならなくなったので、自分は行けないけれど、自分の分身としてOriHimeを社員に連れて行ってもらおうと思ったみたいです。
宴会のときには、社長の席に犬型のOriHimeが座って、乾杯の音頭も取ったと言っていました。社長は病院にいたのですが、まるでみんなと一緒に旅行に行ったような感じがしたと、とても喜んでくれました。
その社長が、私に言いました。「すごくいいんだけど、ひとつだけ問題がある。あれ以来、社員がぼくを犬扱いするんだ」というわけですよ(笑)。そのときに、そうか、かわいくしてしまうと、その人ではなくなってしまうと思って、露骨なかわいさをOriHimeにはもたさないようにしました。
特定の人とか動物をイメージしないようなデザインにした結果が、今のOriHimeです。
中川:
特定できない分、だれにでもなれるということですからね。きっと、OriHimeと一緒にいて話をしていると、この能面の表情が、遠くで操作している人の顔になってくるんでしょうね。
吉藤:
そうですね。私は、演劇とかパントマイムも学んできました。と言うのは、演劇や映画は現実ではないのに、見ている人をまるで現実のように思わせることだし、パントマイムは、何もないのに「ある」と思わせる技術じゃないですか。アニメーションもそうですよね。所詮は二次元の絵なのに、それが見る人の中では人格をもって、生き生きと動いているわけです。
そして、作り話なのに、そこに感情移入をして泣いたり笑ったり怒ったりするじゃないですか。
OriHimeも同じで、そこにはいない人なのに、まるでいるように思わせるようなロボットです。病院のベッドにいる人も、自分がまるで家の居間にいるように感じられるし、家族の人も、すぐそばにその人がいるような錯覚をもつわけです。両者が錯覚すれば、それはもう現実なんですね。
映画を見て、主人公がピンチの場面ではハラハラしたり、感動して泣いてしまっているのと同じです。

<後略>

(2016年1月19日 東京都三鷹市のオリィ研究所にて 構成/小原田泰久)

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