今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2010年12月 「大橋 照枝」さん

大橋 照枝(おおはし てるえ)さん

1963年京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。㈱大広マーケティングディレクター、國學院大學栃木短期大學助教授をへて、現在、麗澤大学経済学部教授。主な著書に、『幸福立国ブータン』(白水社)『未婚化の社会学』(NHK出版)『「満足社会」をデザインする第3のものさし』(ダイヤモンド社)『ヨーロッパ環境都市のヒューマンウェア』(学芸出版社)などがある。

『お金があるからと言って幸せではない。ブータンから学ぶ幸福な社会』

戦争があっても環境破壊があっても、お金が使われればGDPは上がる

中川:
子どもが放置されて死んでしまったり、虐待があったり、お年寄りがどこへ行ったかわからなかったり…。今年も、嫌になるような事件がたくさんありました。そんなニュースを見るたびに、日本は、経済的には非常に発展して、それなりに豊かな生活をしているのに、決して幸せな国ではないなと思えてきます。そんなことを考えていたときに、ブータンのことを聞きました。ブータンでは、幸福度をベースにした国づくりが行われていて、今、世界中から注目されているということですが、その実態はどういうものかを教えていただきたいと思いまして、「幸福立国ブータン」という本を書かれている先生に対談をお願いしたわけです。ブータンのことを知ることで、幸せって何なのかが見えてくるんじゃないかと思いましてね。私たち日本人は、どう生きればいいのかということについても、何かいいヒントがあるのかなと思うんですね。
大橋:
国の豊かさの尺度としてGDP(国民総生産のことです。)というのがありますね。40年も前から疑問が上がっていましてね。私も、とても疑問に感じていたんですよ。と言うのも、戦争があっても環境破壊があっても、そこでお金が使われれば、GDPはプラスに計算されますから。交通事故があれば、救急車が来て、けが人は病院へ運ばれて治療を受けます。そこではお金が動きますから、GDPはプラスになるわけです。一方でわれわれの福祉にとって欠くことのできない家事・育児・介護(主として家庭内で女性が担っている)には、金銭的支払いがないということでGDPには一切加算されません。それが豊かさを示す指標になるでしょうか。それで、私は10年前から経済だけでなく、社会や環境を織り込んだ新しい指標を作ろうとしてきました。それが、人間満足度尺度(HMS)と名付けている指標です。民主主義も入れて現在バージョン6を開発しました。18カ国で算出していますが、その数値を見ると、日本は18カ国中最下位になっています。トップがスウェーデンで、日本はベトナムや中国よりも、満足度が低いという結果になっています。
中川:
確かにGDPは経済だけを対象にしていますからね。経済が発展すれば幸せになるわけではないというのは、日本を含めた先進国が証明してくれていますよね。その点、そこに環境や社会という要素が入ってくれば、かなりその国の幸せ度が反映されますね。
大橋:
そうなんですね。そんな指標作りに取り組んでいたとき、2007年1月1日付の東京新聞ですが、そこにブータンが大きく紹介されていました。フォブジカ谷というところがありまして。そこには、中国のチベットからオグロヅルという絶滅が心配されるツルが飛来するのだそうです。山裾には3000人くらいが生活している村があります。だけど、そこには送電線がきてないので、電気が使えません。なぜ送電線がないのかというと、オグロヅルが飛来するのに邪魔になるから、村全体が電化を拒絶したということらしいのです。オグロヅルの邪魔にならないように、太陽光発電で得られる少ない電力で、彼らは生活しているという話でした。ツルのために電気のある便利な生活を我慢するというのに、私はびっくりしたわけです。それに、ブータンという国は、世論調査をすると、国民の97%が幸せだと答えるというんですね。研究室で幸福度の指標作りをするのも大事だけど、まずは、何が幸福か、ブータンへ見に行こうと思って、その年の8月下旬から9月にブータンへ出かけて行きました。後日談ですが、2009年にオーストリア政府の一部援助によって、フォブジカ谷の村では送電線の地下埋設工事が行われて、電化が実現したということです。
中川:
ツルのために便利な生活を我慢したというのはすごいですね。日本だったら、間違いなく便利な生活を選択しますね。先生のご著書によると、国王がずいぶんと立派な方のようですね。
大橋:
今の王様は5代目です。そのお父様である第4代の王様が立派な方でした。ロンドンへ留学しているときに、その前の王様が亡くなって、1972年に16歳で国王に即位しました。そのころから、国王は、ブータンはGNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)でいくべきだと考えていたようで、ブータンのビジョンとして打ち出していました。GNHというのは、グロス・ナショナル・ハピネス、日本語にすれば国民総幸福という国民の幸福度を示す指標です。1976年暮れに、第5回非同盟国諸国会議という国際会議がコロンボで開かれました。その会議が終わった後の記者会見で、国王はGNHがGNPよりも大切だと発言したのです。そのころは、経済的な発展の指標は、現在のGDP(国内総生産)ではなくGNP(国民総生産)という指標を基準にしていました。GNPもGDPと同様、環境破壊があっても、お金が動けば数値が高くなるというもので、60年代、70年代には、世界の有識者たちが、激しくGNPを批判していました。
中川:
それにしても思い切ったことをされましたね。世界中が経済的な豊かさを求めているときに、本当に幸せというのは何かということを考えておられたのですね。
大橋:
1972年に即位された年に国連に加盟して以来、UNDP (国連開発計画)、世界銀行などへ次ぎ次ぎと国際的な機関に加盟し、ブータンを閉ざされた国からオープンな国にしていきました。GNHをスローガンとして掲げている国として、世界中から注目されました。GNHは世界のどこの国からも異論の出ないスローガンですから、非常に好感をもたれて、多くの国際援助を獲得しました。日本も、1964年からJICA(国際協力機構)はブータンに入り、農業支援や道路、橋、学校の建設をODAで支援してきました。だから、王様がGNHと言い出してから、国が年々良くなっていくわけです。橋ができたし、道ができたし、学校ができたという具合に、まわりが改善されていきますから、国王を信頼します。GNHのスローガンをかかげ、実現していくという統治の仕方がすごく上手だったと言えますね。
中川:
ブータンは仏教という宗教的な基盤があるということも大きいでしょうね。
大橋:
その通りですね。この国は、チベット仏教の信仰が厚いところです。チベット仏教の教えが、お年寄りから子どもにまで浸透しています。もっとも大切なものが互助互恵。助け合い、恵み合うということです。それに知足少欲。足るを知って欲を少なくという精神です。だから、オグロツルのために電気を我慢できるんですね。
中川:
日本は、戦後、経済が常に優先されてきましたから、お金にならないことはあまりやらないという風潮になりましたからね。自分のことばかり考えるようになって、隣で何が起こっているかも関心がないというような社会になってきていますよね。
大橋:
ブータンへ行ったとき、道端で犬がたくさん寝そべっています。そばを通っても、悠然と寝転んだままなんです。この犬は野良犬ですかって聞いたら、野良犬じゃない、みんなの犬でみんなで世話していますとの答えが返ってきました。そんな社会なんです。犬も幸せですよね。世界銀行の基準は、一日1・25ドル未満で暮らす人を貧困としています。そういう人が世界には14億人いるとされています。私は、もっといるのではと思っていますが。ブータンは、世界銀行の基準で言っているのかどうかはわかりませんが、国民の23・2%が貧困だと言われています。若者の失業率も5%と高いんですね。でも、世論調査をすると、国民の97%が幸せだと答えているんです。実際、町を歩いていても、物乞いや路上生活者が一人もいないんですね。きっと、今日はうちで泊まりなさいとか、食事をしていきなさいと言って、誰かが助けているんでしょうね。助け合いとか恵み合いというのは、GDPではカウントされません。だから、GDPが低くても、満足度は高くなるのは不思議でも何でもありません。もちろん、GDPも大事なんですよ。雇用がなくなったりしたら大変ですから。でも、GDPを上げることばかりを考えて、福祉や環境を犠牲にするのはおかしいのではと思いますね。
中川:
だけど、ブータンはGNHという幸せ度の指数を上げるのに、条件がそろっていたという見方もできますね。今、先生がおっしゃったチベット仏教の精神が行き渡っているということもあるし、それに小さな国であるということですね。ですから、そのまま日本に当てはめることもできないですよね。
大橋:
ブータンは、人口が67万人ほどです。日本で言うと、鳥取県とか島根県という人口の一番小さな県と同じ規模ですね。だから、王様もがんばれたということもあるかもしれません。日本では、東京の荒川区が、ブータンを参考にして、グロス・アラカワ・ハピネスといってGAHというのを区長が考えましてね。研究所を作って、ブータンへの視察に行きましたが、ブータンのGNHをそのまま使うわけにはいかないことがわかりました。ブータンのGNHの場合、国民に調査をして足りていないことは何かと聞くと、ブータン式の弓ですが、伝統的スポーツであるダツェとか、瞑想というものが足りていないことのトップに出てきます。そういうことが幸福度を計る上で重視されています。それはそのまま荒川区では使えません。だから、荒川区は、区と区民が、荒川区民にとっての幸福とは何なのかを、自分たちで考える必要があります。日本が、ブータンから学ぶとしたら、小さな自治体の単位で、市民と行政とが自分たちの幸福とは何なのかを考え、それを目標として達成しようとする。そういう動きを作ることじゃないでしょうか。かつて、岐阜県が、夢おこし県政というのを行いました。県民の夢を集めて夢を形にしようというものでした。まずがやがや会議と言って、言いっぱなし、聞きっぱなしの会議をして、県民から夢を集めて、集まった夢に投票して、それから実現すべき夢を決めて具体化していきました。たとえば、お母さんが、小さい子を連れていける図書館がほしいという夢を語り、それに賛成票が多かったので、岐阜県は岐阜県図書館を作るときに、児童コーナーを作ったり、託児サービスを行ったりするわけです。そういうふうに自治体ごとにやっていくことで、幸福度は高まっていくのではないでしょうかね。
中川:
本来、生活していく上で、幸せを感じるというのはとても大切ですよね。お金があっても不幸せじゃ困りますからね。
大橋:
幸せを感じるための大切な要素として家族がありますね。ブータンは、とても家族の絆が強いんです。家族だけでなく、学校や職場でも、人と人との絆を大切にしています。ブータンは大家族主義で、3世代同居が当たり前になっています。ですから、お年寄りが社会の淵に追いやられることはありません。家族を大切にすることが、社会のセイフティネットになっているんですね。ブータンの首都のティンプーであなたにとって一番幸福なのはどんなときですか? と聞くと、「家族と一緒のとき」という答えが返ってきました。
中川:
日本にも昔はあったんでしょうがね。日本は核家族という大家族とは逆の方に進んでしまいました。
大橋:
ブータンでは、毎年、11月末から1月初めの間に、家族が全員集まるチョクという行事があります。家族と言っても、少なくとも20人くらいは集まりますから。この期間に、1年間の家族が無事だったことに感謝して、来年の平安を祈るんです。いくら福祉制度を充実させても、形だけですと、必ず問題が起こってきます。制度よりも大事なのは絆ですからすね。

<後略>

(2010年10月5日 東京浅草ビューホテルにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

『幸福立国ブータン』(白水社)

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