今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2004年6月 「楊 名時」さん

 

楊 名時(よう めいじ)さん

1924年中国山西省生まれ。1948年京都大学法学部政治学科を卒業後、東京中華学校校長をへて、現在大東文化大学名誉教授。楊名時太極拳は、40年余りの間に、世界中に愛好者が広がっている。楊名時八段錦・太極拳師家。朝日カルチャーセンター、NHK文化センターなどの講師を務める。日本空手協会の師範で、空手も7段の腕前。著書に「太極 この道を行く」(海竜社)「幸せを呼ぶ 楊名時八段錦・太極拳」(海竜社)ほか。

『美しい心は、健康を生み、幸福を実感する源になります。』

死は怖くないけど、 生きられるものなら生きたい

中川:
先ほど、先生が指導されている太極拳の教室を拝見しましたが、若い方から年配の方まで、たくさんの方がお稽古されていましたね。みなさん、真剣な顔つきでしたが、とても楽しんでいる雰囲気があって気持ちよく拝見できました。
楊先生は、1924年生まれですから、80歳でいらっしゃいますね。太極拳をする姿は、かくしゃくとされていて、見とれてしまいました。
楊:
ありがとうございます。今日は、教室を見ていただいた上、楽しくお話ができそうで心がウキウキしています。
帯津先生のご紹介ということで、とても楽しみにしています。
中川:
帯津先生には、私どもも先代のころからお世話になっています。
楊先生は、帯津先生の太極拳の師匠でいらっしゃいますよね。
楊:
いえいえ、たまたま私のところで習われたということで、私にとって帯津先生は、かけがえのない友人で主治医で、尊敬する先生です。
今日も、夕方、お会いします。月に二度くらい食事をするのですが、それが楽しみでしてね。もう、恋人に会うような気持ちで、ウキウキしています(笑)。
中川:
それはいいですね。心がウキウキするような友だちがいるというのは、すてきなことだと思います。
帯津先生の本にも書かれていましたが、楊先生は、帯津先生の病院に入院されたことがあるそうですね。腸が破れて大変な状況だったとお聞きしていますが、そのときに『ふたつの希望があります。まず何でもいいから、ゆっくりやってください。今日やらないでいいことは明日に回してください。ふたつ目は、ここで治療がうまくいかないで死んだとしても私は別に何とも思いません。もともと、死ぬときはこの病院でと決めていたのですから。すべて先生にお任せします』と、おっしゃったそうで、帯津先生はその言葉にいたく感動したと本に書かれていました。
死んでもかまいません、お任せしますと言う人はたまにはいても、どんな状態になってもその気持ちを持続できるような人は楊先生以外にはいないとおっしゃっていますね。
楊:
私は帯津先生とは医者と患者という関係を超えて、生きることに対する考え方で波長が合います。
死ぬときは、帯津先生の病院で死のう。そう決めています。あのときも、そんな気持ちでした。
死は必ずやってきます。だから、死ぬことは怖くありません。だからと言って、死にたいわけではありません。生きられるものなら生きたい、治せる病気ならば治していただきたい。
でも、いくら先生が治したい、私も治りたいと思っても、そうはいかない場合もあります。治していただければ感謝しますし、そこで死んだとしても、やはり感謝の気持ちです。
病気をすることで、健康の本当の大切さというのもわかるし、体を病んでいる患者さんの苦労というものもわかります。私も、病気をしたおかげで、その大変さや苦しさが実感としてわかるようになりました。
中川:
すばらしいですね。病気も決して悪者ではない。いろいろな気づきのチャンスですよね。そんなお気持ちで生きておられるから、とてもすばらしい氣を発しておられるのだろうと思います。
楊:
先生にご紹介しておきます。金澤弘和先生です。空手の先生で、私の友だちです。すごい達人で、日本一にもなりました。今は、国際松濤館空手道連盟の会長をしておられます。
中川:
はじめまして。空手ですか。私ども真氣光の仲間にも平野先生という空手で日本一になった方がいます。今は、ハワイにいますけど。
金澤:
平野さんなら私もよく存じていますよ。彼がハワイで活動を始めたころから親しくしています。氣功を始めたと聞いていましたが、そうですか、そちらの氣功ですか。
楊:
これは奇遇ですね。帯津先生のご紹介でお会いしたら、また違うところでの縁があったとは。面白い話しですね。
中川:
近々、ハワイへ行くので、お会いしてくることになっています。
こうした偶然というのは、楽しいですね。自分ではない何かが、こんな縁を作ってくれているような気がしますね。
金澤:
私も、このような対談の場だとは知らずにおうかがいしたのですが、ここで平野さんの知り合いに出会えるとは驚きです。
中川:
神様は本当に楽しい演出をしてくれますよね。私の父がやっていたころは、内氣功と外氣功、武術氣功と医療氣功といった枠があって、その間の壁がずいぶんと厚かったような気がします。でも、平野先生が空手と氣功をやっているように、氣ということでは同じことですから、氣でつながった仲間同士の出会いということで、ワクワクしてしまいます。
楊:
方法は違っても、本質は同じですよ。要は心ですから。

<後略>

(2004年3月24日 朝日カルチャーセンターにて 構成 小原田泰久)

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