今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2003年11月 「佐藤 憲雄」さん

佐藤 憲雄(さとう けんゆう)さん

1938年新潟県生まれ。駒沢大学仏教学部仏教学科卒業、駒沢大学大学院人文科学研究科仏教学専攻修士課程修了。皆の宗・ニコニコ宗 双本山「永林寺」住職。笑文芸集団「有遊会・ニコニコ響輪国」有遊亭和笑。

『「笑道仏心」とはユーモアと笑いを大事に怒りを鎮め大らかに生きること』

遊び心がいっぱい。「遊び」は「明日美」です

佐藤:
遠いところから、ようこそ。お待ちしていました。
中川:
きょうは、ご住職のお話をうかがえるのを楽しみにして来ました。いただいたお名刺には裏表ビッシリ書かれていますが、この太字の「祈:一斗二升五合」はどういう意味でしょう。
佐藤:
言葉遊びですよ。「一斗」は「五升」の倍ですし、「五合」は「半升」ですから、「五升倍(ごしょうばい)、升升(ますます)半升(はんじょう)」で「ご商売益々繁盛をお祈りしていますよ」、ということです(笑)。
中川:
ハハハ、なるほど。「永林寺」は、「皆の宗・ニコニコ宗」とありますが、これは?
佐藤:
本来は曹洞宗ですが、訪れる皆さんが、「ここのお寺は、何宗ですか?」とお訊ねになられるので、皆ニコニコ楽しく生きていくのが仏の道ですから、宗派にとらわれず、「皆の宗です」とお答えしていたのです。それが、20年も言っていると、だんだん定着してきましてね、それではと、「皆の宗・ニコニコ宗」を名乗るのを申請したところ、7年前の5月3日、雨の日でしたがね、県知事がこちらにいらして認めてくださったんですよ。
ところで、2、3日前に青木匡光さんが寺においでになり、お宅の会社から送っていただいた「月刊ハイゲンキ」に目を留めて、「あれっ、これ、どうしたの?僕も中川会長とお話したんだよ」とおっしゃっていました。
中川:
ええ、そうなんですよ。「人間接着剤」の青木さんですね。出会いを楽しみ、人と人をくっつけるということをなさっている…(編集部注・本誌122号巻頭対談参照)。青木さんとお親しいのですか。
佐藤:
はい。青木さんは、ウチの寺の「友の会顧問」を務めてくださっていますから。それから、送っていただいた今年の8月号には演芸作家の神津友好さんが登場なさっていましたが、神津さんとも四半世紀のお付き合いです。
中川:
神津さんは、毎日の暮らしの中で笑いを大事にしておられて、「笑いの種は、自分の心の中にある」とおっしゃっていました。
佐藤:
そうですね。神津さんとは、「有遊会」でご一緒なんですよ。彼は、師匠をもじって「司笑」。私は、「有遊亭 和笑(おしょう)」です。面白い話を作って披露し合って遊んでいるんですが、例えば…「笑」の字の解釈を話に作ったときは、「子犬が笊ざるを被って山から走り下りて来たのだけれども、3本足だったので、神様が一本、足を下さった。子犬は神様から戴いたその足を大事にして、濡らさないようにオシッコをするときにその足をあげる」…これは、私の作です。
そうしましたら、演芸評論家の小島貞二さんが、3本足の子犬、というところは同じですが、「田んぼの案山子に足を貰ったから、案山子は一本足になった。子犬の名前はコロで、コロが子供を生んでココロ、ココロがまた子供を生んでマゴコロ」と、お作りになりました。小島さんは、この夏に亡くなってしまいましたがね。
こんな駄洒落ばかり言っているのですが、世の中には「バカバカしい」なんて怒って、いちゃもんつけてくる人もいますよ。そんなムキになって生きていたって、ツマンナイでしょう。遊びは大事ですよ。「遊び」は、「明日美(あすび)」ですから。この寺も、遊び心がいっぱいです。既成宗教は悪いと言うわけではないし、とっても教えられることは多いのだけれど、ムズカシイでしょう。坊さんは、「カキクケコ」だと皆さんに思われていますからね。
中川:
「カキクケコ」?
佐藤:
カタイ、キライ、クライ、ケムタイ、コワイです。でも、「アイウエオ」になると、皆さんが親しく感じてくれて、寺にも来やすくなるでしょう。「明るく、生き生き、美しく、笑顔で、おもしろおかしく」です。私は「笑道仏心」だと思っています。
中川:
ご住職が、楽しい方だからでしょうか、ずいぶん参詣の方で賑わっていますね。こちらに着いてタクシーから降りたら、お寺に人がたくさんいらしたので、何か会とか催し物でもあったのかなと思ったほどです。
佐藤:
便利のいいところではないのに、普段でも200人ほどでしょうか、いらっしゃいますね。この寺は、私が25代目で、もう開祖500年以上になります。実は、徳川家康の孫である松平忠直公、その子どもの光長公の位牌を安置してあり、葵の紋章を許された寺なのですよ。作州津山藩松平家より拝領の和幡荘厳具などの数々も残っておりますし、江戸彫りの名匠・石川雲蝶の作品が日本で一番多くあります。そういうことをご存じで参拝される方も多いのです。
中川:
そうですか、それは由緒ある寺ですね。石川雲蝶という人は、どういうお方なのでしょう
佐藤:
江戸彫り、まあ大工さんの気の利いた方ですが、3つの流派があって、石川というのは、そのひとつです。雲蝶は、22歳の若さで名字帯刀を許されたために、兄弟子のヤッカミを受けて迫害されました。そのときに当山の21代目がこの寺に住まわせたのですね。その
13年余りの滞在中に、百点以上の作品を残したのです。
本堂の欄間に、浮き彫り、両面彫り、浅彫りなど、人物花鳥山水が繚乱として刻まれていまして、日本よりヨーロッパで有名で、「日本のミケランジェロ」と言われているんですよ。日本で彫刻が有名な寺というと、皆さん、すぐに日光を思いますがね。雲蝶がヒスイの原石に彫った、寝ている姿の牛と蛙の作品が在るのですが、牛に触ってから蛙に触ると、皆さんがモウかってカエル。その反対に蛙に触って牛に触ると、皆さんが帰ってから寺が儲かることになっています(笑)。

<後略>

(2003年9月8日 永林寺にて 取材構成 須田玲子)

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