今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2011年7月 「有賀 達郎」さん

有賀 達郎(ありが たつろう)さん

1950年(昭和25年)生まれ。東京都立大学卒業後、株式会社文化放送に就職。営業、制作、報道と現場を経験、16年間在籍。その後自営業を経て、1997年9月よりエフエム西東京開局準備に携わり、現在に至る。2007年6月に代表に就任。

FM西東京 84.2MHz http://842fm.west-tokyo.co.jp/
インターネットでも聴けます。サイマルラジオhttp://www.simulradio.jp/#kantou

『地域を温かい氣で満たすのがコミュニティFMの役割』

震災があって、非常時の情報源として見直されたラジオ

中川:
はじめまして。これまでラジオの方とはあまりご縁がなかったので、お話をお聞きするのをとても楽しみにしていました。真氣光を始めた父は、ラジオ番組に出ていたことがあります。
有賀:
こちらこそ楽しみにしていました。氣については、前に勤めていた会社の先輩が退職してからやり始めましてね、腰が痛いときに治療をしてもらったりしました。すごく興味があるのですが、なかなかきちんと勉強する機会がなかったので、今日はいろいろとお聞きしたいなと思っています。
だけど、私は、いつも取材をする側なので、こういう対談形式というのは、ちょっと勝手が違って緊張しちゃいますね(笑)。それに、取材者という立場から見ると、この対談に出ておられる方々は、そうそうたる人たちばかりで、そんな中に、私が入っていいのかと、恐縮してしまいますね。
中川:
いえいえ、大歓迎ですよ。私たちは、氣づきの大切さをずっと言ってきましたが、さまざまな分野の方のお話をお聞きして、私自身もそうだし、読者の方も、何か氣づきのきっかけになればいいというのが、この対談の目的です。特にテーマを決めなくても、いろいろと話しているうちに、ハッと思えることがたくさんあると思いますので、気楽にお話してください。
ところで、有賀さんは、FM西東京の社長さんでいらっしゃいますが、FM西東京というのうは、西東京市が放送エリアなんですか。
有賀:
西東京市というのは、10年ほど前に田無市と保谷市が合併してできた市です。私どもは、合併の3年ほど前に設立しています。たまたま私たちの局名が市の名前になったわけですが、エリアは西東京市全域と、その周辺の小平市とか東久留米市あたりですかね。コミュニティラジオですから、エリアの限られた放送として許可をもらっています。
中川:
インターネットでは何処からも聴けるそうですね。
有賀:
有賀 去年からインターネットで聴けるようになりました。iPhoneなどでも聴けます。
でも、内容はあくまで地域のことということでやっています。全国区のものは大きなラジオ局に任せておいて、こちらは、西東京とその周辺に住んでおられる方や西東京出身でほかの地域に住んでいる方がアクセスしてくださるということを意識しています。
ありがたいことに、地域の人が、番組作りにも参加してくださったり、面白い人を紹介してくださったりしています。そういうつながりを大事にしながら、私たちにしかできない地域に根ざしたものが作れればと思っています。
中川:
ラジオは、この震災でもずいぶんと活躍しましたよね。被災地では、停電になってテレビが見られなくなりましたから、情報を得るのにラジオはなくてはならないものだと、多くの人が感じたんじゃないでしょうか。
有賀:
コミュニティ放送というのは、1992年に放送法の一部改正にともなって制度化されて、1995年の阪神淡路大震災の後から、防災という面でも地域のラジオ局が必要だと、設立が相次ぎました。非常時になってラジオというのは見直されるみたいですね。
うちは、1998年に84番目の局として立ち上がりました。今は、248の局が全国にあります。
東北地方の局の中には、今回の震災で放送が続けられなくなり、市役所などに間借りをして被災の情報を出し続けているところもあります。そうやってがんばっている姿を見たり聞いたりしていると、ラジオの使命を考えさせられるし、勇気ももらえますね。
中川:
実は、私も仙台で被災しましてね。ちょうど、セッションの最中にグラグラと揺れました。一旦は避難所へ行ったのですが、暗いし寒いし、スタッフ2人と一緒に、セッションを行なっていた会館へ戻りました。そこは、上が公団住宅になっていて、そこの住民の皆さんが会館に避難していまして、私たちも仲間に入れてもらいました。
暗くて寒い中、住民の人が持ってきたラジオは貴重な情報源になりました。携帯もワンセグになっていてテレビが見られるのですが、電池がすぐになくなってしまいます。その点、ラジオはいいですよ。ラジオに救われましたね。
有賀:
そう言っていただけるとうれしいですね。あんなちっぽけなものなんだけど、人と人をつなぐことができるんですね。
仙台には、東北放送(TBC)という大きな放送局があるのですが、震災の後は自家発電で放送していました。でも、燃料が限られているので、パワーを落として放送したそうです。いよいよ燃料が切れて、放送できなくなるという直前に燃料が届いたようです。

(後略)

(2011年5月24日 東京都西東京市のFM西東京にて 構成 小原田泰久)

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