今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2005年11月 「白石 康次郎」さん

白石 康次郎(しらいし こうじろう)さん

1967年東京生まれ。海洋冒険家。26歳で単独無寄港世界一周を最年少で成し遂げる。2002年には高校時代からの夢でもあった世界一周ヨットレース「アラウンドアローン」に出場。第4位という好成績を上げる。現在、2006年の世界一周を目指して準備を進める一方で、子どもたちに自然の楽しさや冒険の喜びを伝えるという活動も行っている。「僕たちに夢と勇気を…冒険者」(宝島社)、「アラウンドアローン」「七つの海を越えて」(以上文藝春秋社)などの著書がある。

『夢は、できるできないで決めるものではなく、やりたいかやりたくないかということが基準だと思います。』

高校時代にヨットで世界一周をするという夢を抱く

中川:
白石さんは、冒険家としてヨットで世界一周をされていますが、たった一人でヨットを走らせるというのは、私には想像もできないことですね。
いろいろと危険なことも多いでしょうが、どうしてまたヨットを始めようと思われたのでしょうか。
白石:
小さいころから海や船が大好きで、船で世界一周をしたいと思っていました。父が、横須賀港へ連れていってくれて、そのときに『陸の上でちまちま仕事をするよりも、海や空、こういう広い世界で仕事をするようになれよ』と言った言葉が忘れられないですね。どうせなら世界一周をしようと、そのとき思ったのを覚えています。
その思いが高じて、水産高校へ進学しました。そこで、船や海のことを勉強したかったのです。ヨットに乗る機会もあって、なんて素晴らしいんだと感動しました。
そのあたりから、ヨットにのめりこんでいきました。
中川:
素晴らしい師匠との出会いもありましたよね。
白石:
高校2年のときに、第一回目の世界一周ヨットレースが開催されました。『アラウンドアローン』という単独で世界一周を走るヨットレースです。4年に一度行われるレースで、車で言えば、パリ・ダカのような非常に過酷なレースでいす。約5万キロ、8ヶ月にもわたるレースですから、何が起こるかわかりません。
このレースで、日本人の多田雄幸さんが優勝しました。それを知って、『俺もやってやろう』と奮起したわけです。
でも、どうすればいいのかわからないから、多田さんにいきなり電話をして弟子入りを志願しました。
高校を卒業すると、目標は世界一周ヨットレースですから、就職もせず、多田さんのレースにクルーとして参加したりして、ヨットの腕を磨いてきました。
中川:
高校生のときから人生の目標が定まるというのはすごいことですね。そして、いい師匠にも出会えた。ここまでは順風満帆ですが、ここからいくつもの挫折を味わうことになるんですよね。
白石:
そうなんですよ。第3回のアラウンドアローンのとき、レース中に多田さんが亡くなってしまいました。寒い寒い南氷洋で何度も船がひっくり返ったり、無線が通じなくなったりといったトラブル続きで、第二の停泊地であるシドニーに着いたときにはすっかり意気消沈していました。結局、シドニーから出発することができず、棄権してしまいました。僕は、『日本に帰りたくない』という師匠を残して帰国しました。その後、しばらくして、師匠が自殺したという知らせが届いたのです。
ショックだったですが、僕には世界一周という夢がありましたから、師匠のヨットを修理し、そのヨットで、自分がアラウンドアローンにのぞもうと決めました。
中川:
それで、いよいよ世界一周に挑戦するわけですね。最年少で単独無寄港世界一周とか、念願のアラウンドアローンにも出場して4位に入りましたよね。紆余曲折はありましたが、とてもいい感じで進んできていますよね。
白石:
そんなことないですよ。冷や汗をかくような大変なことの連続でした。師匠の船を修理して世界一周に挑戦したはいいけど、二度も失敗したわけです。みんなに見送られて港を出たのに、のこのこと帰っていくみじめさ。
自分がみじめというより、造船所の親方はじめ、協力してくれたみなさんに申し訳なくて。僕があやまってすむ問題ではないですよ。あれこれ言われるのは親方ですから。
中川:
それはそうですね。白石さんの責任の範囲を大きく超えてしまっているわけですね。それこそ、ヨットを続けていけるかどうかというピンチだったわけですね。
その後のご活躍を聞くと、みじめだったことが見えなくなってしまいますが、そういうピンチというのは、後から考えると、飛躍のきっかけになったりすることがよくあります。白石さんの場合はいかがでしたか。
白石:
確かに、失敗から学ぶことの方が多いですね。成功からはあまり学ばない。成功して何を学んだかといわれても、ただ『よかったね』だけですよ。
失敗から学ぶには、まず失敗は自分の責任だと思うことです。そうじゃないと、何度も繰り返してしまいます。
失敗したのは、何かいけないことがあったからですよ。客観的に見て何がいけなかったのか、分析しなければいけないですね。

(後略)

(2005年7月19日 白石さんが所属する東京・銀座にある㈱スポーツビズにて 構成 小原田泰久)

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