今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2022年12月「中野 節子」さん

中野 節子(なかの せつこ)さん

信州内観研修所所長。長野県飯田市に生まれる。法政大学社会学部卒業。 心理学博士号取得。現在 心身カウンセラー、日本矯体療術師協会会員、 日本内観学会会員、国際内観学会日本代表、上海交通大学名誉教授、上海 精神衛生中心医学顧問

『不満を感謝に。内観で気づきを得て幸せな人生を歩む』

クライアントの劇的な変化を見て内観を受けようと思った

中川:
中野先生とお会いするのは2回目ですね。長野県の安曇野での真氣光研修講座のとき、研修講座で講師をしてくださっている石井光先生を会場まで案内してきてくださいました。先生は安曇野の信州内観研修所の所長さんをやっておられますが、石井先生とのお付き合いは長いのですか。
中野:
石井先生と初めてお会いしたのは35年くらい前、私が東京の小金井市にあった意識教育研究所でお手伝いをしていたころです。意識教育研究所は、もうお亡くなりになりましたが、波場武嗣先生が主宰されていて、内観をもとに、いろいろな手法を取り入れた「内省」という手法で、さまざまな問題を抱えた方たちを救っていました。石井先生は外国からの内観関係のお客様と一緒に意識教育研究所を訪ねて来られました。講演をされたり、内省の面接のお手伝いをされたりもしていましたね。でも、私はただのお手伝いですから、あのころは親しくお話をすることはありませんでした。
中川:
石井先生は学生時代から内観をやっておられて、今では内観の第一人者として世界中に内観を広めておられます。中野先生はいつごろから内観にかかわり始めたのですか。
中野:
25年くらい前ですね。その当時、私は子育てをしながら、東洋医学の資格を取得して、体の治療とカウンセリングをしていました。7年間、毎週通ってくれている女性がいました。その方は、40歳になっていましたが独身で、自宅で編集の仕事をしていました。人との付き合いもほとんどなく、自分はこの先どうなるのだろうと心配していました。私は意識教育研究所でやっていた内観のセミナーに彼女を送り込みました。そしたら、一週間でがらっと変わって帰ってきました。今までずっと会ってなかった親に20年ぶりに会いに行けたり、兄弟とも行き来するようになりました。結婚もして子どももできました。あのままだったら、天涯孤独だったのに、想像もできないような明るい人生が開けてきたのです。その後もクライアントを研修に送り、みなさんとても元気になられました。私は、もちろん内観のことは知っていましたが、自分は特に問題を抱えているわけでもないし、年を取ってから受ければいいやと思っていました。

中川:
なかなか自分のことはわからないものですからね。クライアントさんが教えてくれたんですね。
中野:
栃木の内観研修所の柳田鶴声先生が「これは遺言です」ということで講演をされました。私は、内観を受けるなら柳田先生に面接をしてもらいたいと思っていましたので、栃木で一週間の集中内観を受けました。内観で、一番身近な人から始めて、配偶者、子ども、まわりの人たちに対して、その人から「していただいたこと」「してさしあげたこと」「迷惑をかけたこと」という3つの質問に取り組みます。
中川:
いろいろな気づきがあるんでしょうね。
中野:
私の場合、自分がいかに自己中心の塊であったかわかり懺悔して懺悔して、自分は生きていてはいけないのではと思うくらいでした。でも、最終日でした。窓から外を見ると、山桜や春の色とりどりの花が咲いていて、その花たちが、私に笑いかけているんです。うぐいすが鳴いていました。その鳴き声が「大丈夫だよ。そのままでいいよ」と聞こえてきたんです。見るもの聞くもの生き生きとしていて雲の上を歩いているようなすべてのものと一体になったような気分でした。ああ、生まれ変わったと思いました。内観が終わったあと、柳田先生から、半年間、車の運転をしないでください、と言われました。覚醒状態だったらしいんですね。そして、夜も眠れなくなったらこの先生に電話しなさい、と言って教えられたのが石井先生の電話番号でした。案の定、眠れなくなって、夜、石井先生に電話をしました。まだ帰ってきてないので3時くらいならいいですよと言われて、夜中に電話をして、内観の面接をしてもらいました。その後、大宮に研修所ができて、石井先生が所長になるというのでお手伝いをしました。そうしたご縁から、飯田や、安曇野の信州内観研修所でもずっと応援していただいています。
中川:
内観研修ではどんな気づきがあったのですか。


中野:
カウンセリングをしたり、人のお世話をしていたので、自分はいい人だと思い込んでいました(笑)。自分がよくみられたいという思いが強かったし、クライアントが良くなればうれしいし、良くならなければどうしてだろうと悩んだり、自分の力で何とかしようとしていました。なんとごう慢なことかと恥ずかしくなりました。まわりにさんざん迷惑をかけてきたのに、自分はいいことをやっているのだから、家族は少しは我慢してくれてもいいではないかと、まわりの人への感謝はまるでありませんでした。両親に対しても申し訳なくて仕方なかったですね。大学生のころ、70年安保で、私は学生運動をしていました。そのことを知った両親が長野県の飯田から上京してきて、私を連れ帰ろうとしました。私は「帰らない」と突っぱねました。父は「勘当だ」と怒鳴りました。母は「一緒に帰ろう」と泣いていました。

中川:
内観をしないと思い出さないことだったかもしれませんね。
中野:
私は両親からの束縛を逃れて自由になった気分でいました。でも、内観をして、両親はどれほど心配していたか、娘を勘当しなければならない父の気持ちはどんなだったか、気がつきました。自分が情けなくなって涙が止まりませんでした。飯田には兄と弟が住んでいたので、私は親の面倒を見ることはないだろうと思っていましたが、少しは恩返しをしないといけないなと心から思いましたね。結果的には、実家が一軒空いていたので、そこを研修所にして、両親のそばにいることもできました。内観をしてなかったら、そうはなってなかったと思います。
中川:
親がしてくれることは当たり前だと思ってしまいがちですからね。本当は、たくさんのことをしてくださっている。そのことを見ないで生きるのと、感謝しながら生きるのとでは雲泥の差だと思います。先代は、両親が一番身近なご先祖様だから大切にしなさいと言っていました。両親に感謝して生きることが、ご先祖様を敬うことにもつながるのではないでしょうか。
中野:
両親への思いが変わるだけで、いろいろなことが変化します。私の場合、体調がすごく良くなりました。小さいころから陰性の体質で、ひどい冷え性、肩こりでした。母が心配して、兄も体が弱かったので、玄米を炊いてくれたり、いろいろな健康法を試してくれました。大人になってからも胃が痛くて、特にカウンセリングをしているときは一番ひどくて、金曜日の夕方になると激痛で病院へ駆け込んでいました。検査してもどこも悪くなく、神経性のものだと言われました。内観の前は、すごい低血圧で、上が90、下が60くらいでした。朝も起きられませんでした。内観したら血圧が180まで上がりました。なんか体が熱いし汗が出るんです。それまで、なかったことでした。柳田先生に話したら、細胞まで変わったんだよと言われてうれしくなりました。陰性から陽転したって感じです。それ以来、血圧も普通で、この間の健康診断でも異常はないし、昔は胃薬を飲んでいましたが、今は必要ありません。生まれ変わりましたね。
中川:
心と体は連動しているんでしょうね。真氣光でも氣を受けていろいろな気づきがあると、体調も良くなっていくという人がいます。真氣光研修講座では、石井先生に内観の講義をしていただいていますが、親をはじめまわりの人にどれだけお世話になり、迷惑をかけたか気づけたという受講生の方はたくさんいますね。新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますが、人間関係が非常に希薄になって、自分さえ良ければいいと思ったり、自分のことを顧みずに人を責めたりする人が多くなっているような気がします。私は、マイナスの氣の影響を受けてそうなっているように感じています。氣を受けてマイナスの氣がとれていくと、まわりへの感謝の気持ちが出てきます。感謝の気持ちが大きくなれば、光が増えますから、マイナスの氣は減っていって、プラスの氣が増え、ますます感謝の気持ちが出てくるんですね。そういう人は幸せになれます。いくら物質的に恵まれていても、感謝の気持ちがないと幸せは遠ざかっていきます。真氣光は氣を通して、たくさんの人が幸せになるためのお手伝いをするのが役割だと思っています。
中野:
実は、私は真氣光とすごく縁があるんです。父が飯田の公民館で先代の会長の体験会があるというので参加したらしくて、ハイゲンキを買ってきたんです。毎日、喜んで当てていました。そのうち父が使わなくなって、私がいただいて、自分に当てたり、クライアントにやってあげていました。だれかに貸してあげたら返ってこないんです(笑)。その後、東京センターに酵素風呂があるとお聞きして通っていました。そのとき、ハイゲンキミニというのがあるというので買って、石井先生にも貸してあげたりしたんですよ。
中川:
先生は下田の真氣光研修講座に参加されたのですが、その前の話ですか。
中野:
父がハイゲンキを買ったのは、かなり古い話です。渋谷公会堂であった先代の体験会にも参加しました。行ったら満席で、壁に沿って立っていたのですが、どんどん押し出されて、一番前の壁際から先代のお話を聞いていました。先代が氣を送り始めたとき、何をやっているのだろうと薄目をあけて見ていたら、先代の手からオレンジの光が出ていたのが見えました。そういうことがときどきあるんです。座っている人がくねくね動いていました。終わったら、車いすの人が立って歩き始めたんです。あれには驚きました。それも、何人もそういう人が現れたのですから。
中川:
氣には興味があったんですね。

東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久

中野節子さんの情報

信州内観研修所

「内観への誘い」著:石井光・中野節子
「素敵な自分に出会いましょう」著:中野節子

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