今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2021年2月「今井 仁」さん

今井仁

今井 仁(いまい・じん)さん

1949年埼玉県与野市(現さいたま市)生まれ。立教大学社会学部観光学科卒業。通産省外郭財団法人余暇開発センター、ぴあ株式会社を経て2000年50歳で独立。1994年取材活動を開始、2014年から本格的に作家の道に。2020年いまじん出版を創業。著書「全図解インターネットビジネス儲けのヒント」(あさ出版)「空海の秘密」(セルバ出版)「バリの桜 三浦襄の愛情物語」(双葉社)「伝活のすすめ」(いまじん出版)アマゾンでベストセラー1位

『子孫のために自分のことを書き残しておく「伝活のすすめ」』

暇と遊びの研究が最初の仕事。世界中のリゾートを回った

中川:
 今井さんの『伝活のすすめ』という本を読ませていただきました。「伝活」というのは今井さんの造語だそうですね。自分の人生を語り、伝え残す活動で「伝活」とはうまく表現したなと思います。「終活」ではウキウキしませんが、「伝活」ならやってみようという気持ちになれる気がします。
今井:
 ありがとうございます。伝活というのは、いわゆる自叙伝を書きませんかということです。しかし、文章を書いて本にするとなると、自分には無理だと尻込みしてしまう方がほとんどだろうと思います。私はこれまでたくさんの本を書いてきました。その経験をもとに、自叙伝作製のノウハウを紹介すれば、だれもが手軽に本が書けるのではと思って出版しました。財産を残すのも大切ですが、もっと大切なのは自分の生きた証を残すことではないでしょうか。そのひとつとして自分の人生を書き残してもいいと思います。
中川:
 祖父母がどんな人だったかなら、本人に記憶があったり、親に聞いて知ることができます。でも曽祖父よりも上の世代となるとわからなくなります。もし自叙伝が残っていたら、子孫もうれしいですよ。
 自叙伝を残しておけば、亡くなったあとも子孫が読んで、あれこれ話題にしてくれますよ。
私は子孫が思い出してくれることでご先祖様に光が届くと考えています。自叙伝によって、思い出してもらえるチャンスも多くなるし、その分、たくさんの光が届くと思います。
 今井さんの経歴を拝見していると、これまでいろいろなことをやっておられますよね。最初は通産省関係のお仕事ですか。
今井:
 大学卒業後は通産省外郭財団法人である余暇開発センターというところへ就職しました。そこでは暇と遊びの研究をしていました(笑)。
 「世界のリゾートで遊んでこい!」というのが最初の仕事でした。世界水準の遊びを体験し海洋性リゾートのエキスパートになれ!というわけです。
 1972年本土復帰した沖縄で、'95海洋博を行うことにし、それを起爆剤として沖縄を海洋性観光立県として産業構造変換させるという通産省の仕事です。世界中で遊んだ経験が生きましたね(笑)。
 その後、国民健康体力作り運動にもかかわり、日本体育協会、日本リクリエーション協会、日本医師会、日本商工会議所などと組んでトリム運動とかフィジカルフィットネスを普及するという仕事もやりました。
 当時の余暇開発センターの理事長は佐橋滋さんと言って、事務次官として日本の経済成長の旗振り役をやった方でした。豪快な人で、『官僚たちの夏』という城山三郎さんの小説のモデルにもなりました。NHKやTBSでもドラマになりました。佐橋さんには本当にお世話になりました。
中川:
 そのあと情報誌を出しているぴあ株式会社に転職するわけですね。
今井:
 余暇情報センターを作れということになって、徐々にITの関係に引き寄せられていったわけですが、ちょうど「ぴあ」が売り上げを伸ばしているときでした。
 「ぴあ」というのは映画・演劇・音楽・美術の情報だけが並んでいる雑誌で、余暇情報センターもそういうことをやりたいと思っていたときですから、この雑誌を手に取ったときには衝撃を受けました。それで、矢内廣社長に会いに行ったら、彼も余暇情報センターに興味をもっていて、1年くらいやり取りしていたら、「うちに来ませんか!」とスカウトされたんです。
 私も迷いました。それで佐橋理事長に相談しに行ったところ、理事長は、「いい話じゃないか。人に請われることは長い人生、そんなにあるものじゃない。チャンスだから行って来い」と、私の背中を押してくれました。32歳のときでした。
中川:
 そのころは終身雇用が当たり前で転職というのはあまりなかったかもしれませんね。ぴあ株式会社ではどういうお仕事をやられたのですか。
今井:
 矢内社長は、いくら売れる商品でも商品寿命は30年だと考えていて、「ぴあ」はちょうど10年目でしたから、10年後20年後に売れる新しい商品を開発してほしいと言われました。私は13ほどのアイデアを出しました。その中で矢内社長が「これだ!」と言ったのがオンラインでチケットを販売する仕組みでした。
 そこがスタートとなって出来上がったのが「チケットぴあ」です。このネーミングも私がつけました。社長にご縁つなぎをさせて頂いた佐橋理事長のお声掛けで、サントリーの佐治敬三さん、三井不動産の江戸秀雄さん、伊藤忠の瀬島龍三さん、日本精工・経済同友会の今里廣紀さんらそうそうたる方々が応援団としてバックアップしてくれました。
 ちょうどそのころ、劇団四季の浅利慶太さんがミュージカル「キャッツ」の興行権をブロードウエイから買ってきて、「ロングラン形式で日本にミュージカル文化を根付かせよう」と動いていました。その志に共鳴して、劇団四季のチケット販売を全面的に引き受けました。

<後略>

2020年12月17日 東京・八王子の今井さんのご自宅にて 構成/小原田泰久

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