今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2009年5月 「多田 千尋」さん

多田 千尋(ただ ちひろ)さん

芸術教育研究所所長。東京おもちゃ美術館館長。1961年東京都生まれ。明治大学法学部卒業後、モスクワ大学系属プーシキン大学に留学し、幼児教育、児童文化、おもちゃなどを学ぶ。20年にわたり、乳幼児から高齢者までの遊び文化・芸術文化および世代間交流の研究と実践に取り組んでいる。『遊びが育てる世代間交流』(黎明書房)など著書多数。早稲田大学講師。

『おもちゃはコミュニケーションを豊かにする生活道具』

人間が初めて出あう芸術はおもちゃだ

中川:
はじめまして。ここはもともと小学校だったんですね。かつての小学校に木のおもちゃという組み合わせはとてもフィットしていますよ。すごく温かみがあって。ほっとする空間ですね。それにしても、ずいぶんとたくさんの人が来られていましたね。
多田:
ありがとうございます。ここへ移ってきて約1年ですが、来館者は約8万人です。一番多い層が0歳から8歳の子どもさんを連れたファミリーです。ファミリーの人に来ていただいて、いろいろと感じて帰っていただきたいと思っていましたので、今のところ目論見どおりです。中川会長は、氣という私にはあまりなじみのない世界で活躍されているようですが、具体的にはどのようなことをやっておられるのですか?
中川:
もともとは父が始めたことです。夢を見て氣が出るようになりまして。よく氣は心と言いますが、私たちが生きる上で、心のもち方はとても大切で、心のもち方が変わればだれでも氣を出せるようになると、1週間の講座を始めました。講座では、この世は物質だけでできているわけではなくて、実は見えない世界のエネルギーこそ本質なんだということを伝えていました。氣を受けると、体が動いたり、病気が回復したりと、不思議な現象が起こります。その体験によって、多くの人が氣の存在を認めるようになります。そして、氣のことを深く理解して心を豊かにすれば、氣も出るようになるということで氣功師を養成していました。実際、その講座でたくさんの氣功師が誕生しています。父は95年に亡くなりました。今は、私が跡を継いで、氣の研修講座を開催したり、氣のグッズを開発したりしています。
多田:
そうでしたか。実は、東京おもちゃ美術館も、私の父が始めたものです。父は、美術教育の専門家で、小学校や中学校の図工や美術の先生を指導するという仕事をしていました。あるとき、ヨーロッパへ行きまして、向こうのおもちゃを見て感動して帰ってきたんです。何気なく出窓やピアノの上に置いてあるおもちゃや赤ちゃんのガラガラのデザインがすばらしいというわけです。人間が生まれて初めて出あうアートはおもちゃだと、興奮して帰ってきたみたいですよ。それがきっかけで、おもちゃ集めが始まって、おもちゃ美術館が作られるということになりました。もっと大きくしていくんだと張り切っていましたが、13年ほど前に64歳で亡くなりました。会長と同じように、私が跡を継ぐことになりました。本当は継ぎたくなかったんですが(笑)。
中川:
私も継ぐつもりなんかなかったんですけど(笑)。もともと電機会社の技術者でしたから。ストレスで体調を壊したことで父のやっている講座を受けたら驚くほどの効果があったし、言っていることも心に響きましたし、これはすごいかもしれないと父の手伝いをするようになりました。氣のことなど、大して理解していないうちに、父が亡くなって、訳もわからず会長になって、右往左往の日々でしたよ。
多田:
私も、8年くらいしか父と一緒に仕事をしていませんでしたし、自覚もなく代表にさせられてしまいました。何だか、境遇が似ていますよね(笑)。

<後略>

(2009年3月24日 『東京おもちゃ美術館』にて 構成 小原田泰久)

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