今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2007年3月 「奥田 和子」さん

奥田 和子(おくだ かずこ)さん

1937年福岡県生まれ。広島大学教育学部卒。大阪大学発酵工学科研究員、イギリス・ジョーンモアーズ大学食物・栄養学科客員研究員などを経て、現在甲南女子大学人間科学部人間環境学科教授。学術博士。専門は現代食文化論、食生活デザイン論、調理科学。著書に『現代食生活論―21世紀へ向けての食生活づくり』『震災下の食―神戸からの提言』『なぜ食べるのか聖書と食』『食べること生きること』など。

『「食べること」から 「生きること」を考えてみよう』

命に、食事に携わってくれた人に感謝して戴く

中川:
初めまして。『栄養と料理』という雑誌に、先生の「食べる意味を問い直す」というお話が掲載されているのを目にして、素晴らしいことをおっしゃっている、これは是非お目にかかって、もっとお話をうかがいたいと思いました。
奥田:
あぁ、「宗教に学ぶ『食べ方の英知』」と題した記事ですね。インタビューに来られた方が、私の言いたいことを過不足無く、内容を良くまとめて書いてくださいました。ところで、おたくの雑誌を読んだだけでは、まだよく分からなくて、氣の株式会社?ちょっと大丈夫かな、と思ったんですよ(笑)。
中川:
まあ特殊といえば特殊で、他には無いような会社ですから、皆さんに、すぐには分かっていただけないことも多くて(笑)。ちょうど昨日まで合宿制の研修講座をしていたんですよ。
奥田:
研修講座?氣の出し方などを教えるのですか。
中川:
ハウツー的なことではなく、心の持ち方の勉強ですね。
奥田:
心、ですか。
中川:
そうです。例えば講座では、食事も栄養摂取の「行法」なんです。食べ物は、命を持った生き物で、その命を戴く。私たちは、見えないものを“氣”と言っていて、命も氣なんですね。そして更に、その命が私たちの食事となるには、いろいろな方たちの手を経て届けられます。魚を捕る人、卵を得るために鶏を育てる人、野菜を育てる人、運ぶ人、売買する人、調理する人、盛りつけや配膳をする人…そういう方々の氣もプラスされて、私たちはそれを戴くのですね。
奥田:
分かりやすいですね。私も「食事は命を戴いていることだ」と言っているのですが、その命は氣であって、さらに作ってくださる人たちの氣も加わって価値の高い食物に仕上がっていく、というわけですね。なるほど、それはスゴイじゃないか、と思います。
中川:
一口ご飯やおかずを口に入れたら、お箸を置いて目を瞑って、良く噛んで食事となった食材の命に、そして携わってくれた人たちにも感謝をしながら戴く…ということもしています。厳格な玄米菜食ではないのですが、なるべく野菜中心のものを、食べ過ぎないように適量を戴くということ。そして、大切なのはどんなものでも“感謝”の気持ちで戴くことだと思うのです。
奥田:
今は「金がどれだけかかったか」を、行動するときの心の拠り所にしています。これはコンビニの100 円のおにぎりだから食べ残して捨てても別にかまわない、などとね。“氣”の考え方を導入して、行動指針を決めていく、それは良いことですねえ。

<後略>

(2007年1月17日 甲南女子大学にて 構成 須田玲子)

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