今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2015年1月 「高野 誠鮮」さん

高野 誠鮮(たかの じょうせん)さん

1955年石川県羽咋市生まれ。大学時代には、科学ジャーナリスト、テレビ番組の企画・構成作家として活躍。1984年に羽咋市役所の臨時職員となり、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」を作り話題になる。2005年、過疎高齢化が問題になっていた神子原地区を立て直すべく、神子原米のブランド化などのアイデアで、限界集落をよみがえらせる。さまざまなアイデアと行動力で「スーパー公務員」と呼ばれている。著書に「ローマ法王に米を食べさせた男」(講談社)がある。

『UFO、町おこし、自然栽培。アイデアと行動力で日本を変える』

UFOで町おこしをするという突飛な発想を実現させる

中川:
実はですね、私どもの会員さん向けの機関誌である月刊ハイゲンキで、まだ創刊して間もないころですけれども、高野さんをご紹介しているんですね。石川県の羽はく咋い市がUFOで町おこしをしているという話で、その仕掛け人である高野さんにインタビューしています。1988年ですから、もう25年も前のことです。その高野さんが、今、町おこしもそうですが、自然栽培とかUFOとか、さまざまな分野で活躍されているというので、ぜひ、お話をお聞きしたいと思って、対談をお願いしたという次第です。
高野:
ありがとうございます。記事のことは、よく覚えていますよ。当時のハイゲンキの編集長がUFO仲間でして、そのご縁で取材に来てもらいました。
中川:
でも、なんでまたUFOで町おこしをと考えたのですか?
高野:
私は、羽咋市にある日蓮宗のお寺に生まれました。次男坊でしたから、高校を出てから東京の大学へ行き、在学中から、雑誌のライターやテレビ番組の構成作家をやっていました。テレビでは、『プレステージ』や『11PM』というけっこう有名な番組も手がけました。『11PM』では、UFOの番組を担当し、有名な矢追純一さんとも一緒に仕事をしました。
楽しかったですね。でも、28歳のとき、事情があって、羽咋へ帰ってお寺を継がなければならなくなりました。それが1984年かな。でも、父親もまだ元気だし、すぐにお寺の仕事をしなくてもいいというので、市役所の臨時職員に応募して採用され、東京時代とは180度違う、田舎での規則正しい生活が始まりました(笑)。
中川:
UFOとは学生時代からかかわっているのですね。
高野:
もう離れられないですね(笑)。若いころは、UFOの国際会議なんかあると、アメリカでもブラジルでも、すっ飛んでいきました。国連にUFOプロジェクトがあって、その責任者だたコールマン・フォン・ケビュツキー少佐にはずいぶんとかわいがってもらいましたよ。UFO問題の本質は彼に教えてもらいましたね。でも、このプロジェクトも、アメリカの横槍が入りました。アメリカという国は、UFO問題に触れられるのが嫌でたまらなくて、UFOや宇宙人がいるという話になると、すぐにつぶしにかかりますからね。
たとえば、ケネディ大統領ですが、殺される一週間前のホワイトハウスでの彼の会見のメモが、数年前に見つかりました。そこにはとても興味深いことが書かれているんですね。地球外には未知なる勢力があって、もう我々とソ連は戦っている場合ではない。このことを私は近々、国民に発表しようと思っている。そう書いてあるんです。ダラスで殺される一週間前ですよ。何かにおいませんか? 国連UFOプロジェクトも、当時のウ・タント事務総長が、ベトナム戦争の次はUFO問題だと発言して、すぐに失脚させられ、コールマンさんも辞めさせられ、プロジェクトもなくなってしまいました。
中川:
そうですか。軍事的な問題なんでしょうかね。
高野:
戦略軍事基地にUFOが着陸するわけですから、どんな防衛網も役に立ちません。ケネディが言ったように、国と国とが戦っている場合じゃないんです。でも、地球上で戦争がなくなると、軍事企業は儲けられなくなります。だから、UFOのことは隠そう隠そうとするわけです。
中川:
UFOに詳しい高野さんだから、UFOで町おこしをしようと考えたわけですね。でも、まだまだ一般的には怪しいと思われていたわけで、すんなりと受け入れられたわけではないと思いますが。
高野:
羽咋に戻ってすごく気になったのは、住民の人たちが、自分が住んでいる町の悪口ばかり言っていることでした。それじゃ、町おこしなんてできっこないですよ。それで、『羽咋ギネスブック』作りというのをやりました。羽咋市で一番のもの、誇りたいものを探して発表しようという企画でした。それを始めたら、いろいろな反響が出てきました。『うちのかあちゃんが作った味噌は最高だ!』とか『うちの漬物は羽咋で一番おいしいぞ!』とか、みんなが前向きになってきました。
このギネスブックを制作する中で、羽咋の古い伝記や伝承を調べていくうち、奇妙な古文書を見つけたのです。

<後略>

(2014年11月6日 東京・ホテルニューオータニ にて 構成 小原田泰久)

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