今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2003年6月 「三戸 三戸サツヱ」さん

三戸サツヱ(みと さつえ)さん

1914年広島生まれ。1948年から幸島でのサルの研究が始まると同時に、小学校の教師をしながら、京大の今西錦司教授らの研究のお手伝いをする。1970年からは京都大学霊長類研究所幸島野外観察施設の勤務となる。研究者とは違うユニークなサルの観察が「幸島のサル」という本になり、サイケイ児童文学賞受賞。ほかにも、吉川英治文化賞など数々の賞を受賞。1984年に霊長類研究所を退職し、1994年にフリースペース・幸島自然苑を設立。

『サルたちを母親の目で見つめてきて半世紀。彼らの行動からたくさんのことを学びました。』

研究者のお手伝いから サルと付き合うことに

中川:
宮崎からレンタカーで来たのですが、1時間半ほどかかりました。ここは、もう鹿児島との県境ですよね。
今日は、おサルのお話をたくさんお聞きしたいと思っておうかがいしました。三戸先生は、ここでサルとお付き合いされるようになって半世紀にもなるそうですね。
三戸:
昭和23年(1948年)くらいからですから、もう50年を超えていますね。いつの間にかそんなにたったんですね。
中川:
先生はおいくつでいらっしゃいますか。とてもお元気ではつらつとされていますが。
三戸:
1914年4月21日生まれですから。いくつになりますかね。もう90歳くらいかな。
中川:
ここにパソコンがあるんですが、先生がお使いになるんですか?
三戸:
この間買いました。今、勉強しているところです。だから、使うというところまではいかないんですけどね。
中川:
すごいですね。その意欲はまだまだお若い証拠ですね。新しいことにどんどんと挑戦される気持ちがあるのはすばらしいと思います。
でも、どんなきっかけで先生はサルの面倒を見るようになったのですか。サルがお好きだったんですか。
三戸:
いえいえ、サルのことなんか、全然興味なかったですね(笑い)。ちょうど、私がここへ越してきたとき、戦後、朝鮮半島から引き上げてきたんですが、京都大学の今西(錦司)先生と学生たちがサルの研究に来ましてね。彼らの情熱を見ていて、何かお手伝いしたいなという気持ちになったのがきっかけですね。
別にサルが好きで始めたわけではないのですが、やればやるほど面白くなってきましてね。いつの間にやら50年を超えました。
中川:
サルの研究ですか。今は100頭くらいいるということでしたが、そのころもそんなにサルはいたんですか。
三戸:
いえ、そんなにいません。それに、なかなかサルは顔を見せてくれなかった。というのも理由があります。終戦すぐのころは、サルは山奥にしか住んでいなかったのでめったに見られない珍しい動物でした。宮崎の山で猟師が子ザルをとって米軍の司令官にあげたら、すごく喜んで、とてもかわいがっていたんですが、あるときひもが首に絡まって死んでしまいました。司令官が、簡単な気持ちだったのでしょうが、もう1匹ほしいと言ったので、サル取りが始まり、幸島に白羽の矢が立ったんですね。天然記念物だけど、当時はアメリカさんの命令だと言って、ハンティングクラブ、猟師、警察、前村長らが、総出です。サルは、お母さんが子どもをしっかりガードしているので、子ザルをとるためにはお母さんを殺さなければなりません。そんなことで、やっと子ザルをとって帰ったのですが、サルにしてみれば、大変な災難ですよ。
その上、食べ物もない、薬もない戦後ですから、サルの黒焼きが妙薬と言われていたため、密漁が入って、サルたちはさんざんな目にあったわけです。
そんなことがあって、京大の先生が来たときは、サルは絶対に姿を現さなかった。山を一日歩いても、サルが摘んだ木の芽とふんを見つけるだけ。人間と顔を合わせるのに3年かかっています。ところが、村の人が行くと、木のまわりにいたりしました。そんな話を聞いたら、手紙で知らせました。
そのころ、確実にいたのが10匹くらいですね。何年かして、20匹見つかった。それから系図を書くようになりました。
中川:
そんなことがあったのですか。系図も細かく書かれていて、貴重な資料ですね。¥r¥n1頭1頭にコメントがつけられていますね。失踪とかありますが。
三戸:
いなくなるサルがときどきいるんです。後でわかったのですが、それはオスのサルで、オスは必ず一度は外へ出なければならない決まりになっているようなんですね。
だから、ときどき失踪するサルがいて、何年かすると帰ってきて、また群れに入るわけです。¥r¥n私は、それを武者修行と呼んでいます。
中川:
でも、そうやって細かく見ていると、いろいろなドラマがあるんでしょうね。きっと、先生はサルたちのドラマに魅せられてしまって、50年以上もサルとかかわっているのかなと思います。

<後略>

(2003年3月3日 幸島にて 構成 小原田泰久)

この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら
この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら