今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2019年12月「柳沢 三千代」さん

中川雅仁

柳沢 三千代(やなぎさわ・みちよ)さん

大阪府出身。青二プロダクション所属。日本大学芸術学部演劇学科卒。在学中に如月小春主宰の劇団「NOISE」に旗揚げより参加、卒業後声優の道へ。【アニメ】『それいけ!アンパンマン』カレーパンマン役、『機動戦士ガンダムSEED』エリカ・シモンズ役、上田トシコ原作『フイチンさん』フイチン役、ちばてつや原作『風のように』語り...他。【TV】フジテレビ『ライブニュースイット』特報ナレーション..他。演劇ユニット「WAKU」プロデュース、朗読ユニット「はんなりラヂオ」で、舞台の活動も続けている。

『アニメや舞台からみんなを元気にする氣を届ける』

夢は小学校の先生‥ ひとつひとつの ご縁が繋がって声優に

中川:
これまであまりご縁のなかったお仕事の方をゲストにお迎えしました。声優さんの柳沢三千代さんです。
『それいけ!アンパンマン』という子どもたちに大人気のアニメがありますが、柳沢さんはカレーパンマンの声をずっと演じておられるんですよね。
柳沢:
『それいけ!アンパンマン』は1988年10月3日に放送が始まりました。カレーパンマンは第2話からの登場で、それ以来の付き合いになります。おかげさまで、この10月から32年目に突入しました。長く続く番組にレギュラーで出演出来る事に感謝しています。
中川:
30年以上も続くアニメってそんなにはないと思うのですが。『サザエさん』とかは長いんでしょうけどね。
柳沢:
『サザエさん』が50年、『ドラえもん』が40年、それに続くのが『アンパンマン』、そして『ちびまる子ちゃん』も30周年です。
中川:
長く続くにはきっと愛される理由があるんでしょうね。最初からこんなにも続くと思っておられましたか。
柳沢:
いえ当初は、先輩方もワンクールと思っていらしたようです。新人の私は只々必死で、先の事を考える余裕は全くありませんでしたが(笑)。ワンクールというのはだいたい3か月です。原作者のやなせたかし先生もびっくりされていました。
中川:
ほのぼのとした内容で、ストーリーもすごくわかりやすいですからね。愛すべきキャラクターもたくさん出て来るし。子どもたちはこういうアニメが好きなんでしょうね。
柳沢:
親御さんたちが、ディズニーのアニメを見せたいと思っても、なぜか子どもたちは、アンパンマンを見たがるようなんです。いったい何がそうさせるのか、ちっちゃな頭の中をのぞいてみたいですね(笑)。
中川:
カレーパンマンというのはどういうキャラクターなんですか。
柳沢:
頭がカレーパンで出来ていて、空腹の人がいると、カレーを振る舞うんです。性格的にはけっこうおっちょこちょいで、短気でけんかっ早い。でも、とても人情家で正義感が強くて、困った人を見ると放っておけません。
中川:
憎めないキャラクターですね。
柳沢:
物語の中では、アンパンマンとしょくぱんまんとカレーパンマンが、正義の味方トリオです。
中川:
重要な役ですよね。そもそも柳沢さんが声優になったきっかけというのはどういうことだったのですか。いつ頃から声優さんになろうと思われたのでしょう。
柳沢:
子どもの頃の将来の夢は、小学校の先生だったんですよ。小学校の担任の先生がとても素晴らしい方で、その影響を強く受けて、先生になりたいと思っていました。
中川:
小学校の先生ですか。柳沢さんはやさしそうだから向いているかもしれませんね。憧れていた小学校の担任の先生というのは、どんな方だったのですか。
柳沢:
男の先生でしたが、ユーモアたっぷりで、遊びを上手に取り入れながら授業をしてくださいました。社会で地名を覚える時も、暗記をさせられるのではなく、地図帳を広げてみんなでどこにあるかを見つける競争をします。一番に見つけようと必死になって探すわけです。そんなことをしているうちに、自然と地理を覚えました。
他にも、ときどき教室を暗くして、「お化けの話」と称して、先生が怖い話をしてくださいました。推理小説がメインでしたが、あまりに怖すぎて泣いちゃったことも(笑)。松本清張さんの「砂の器」のような大作を、何日もかけて語ってくださったこともあります。
中川:
一方的に押し付けるような授業じゃなかったんですね。公式や英単語や西暦を覚えるのは退屈ですからね。私も暗記は大嫌いでした(笑)。
小学校の先生になるなら、教育学部を目指すのが普通ですが、柳沢さんは演劇学科に進まれましたよね。
柳沢:
高校の時に、教育学部の大学生が教育実習にみえたのですが、とても堅苦しい印象で、どこかで教員養成のための大学へ行って教員になるということに抵抗が生まれたのかもしれません。もちろん、たまたまその時受けた印象がそうだっただけで、教育学部が全てそうだということではありません。でも、私の心に残っていた小学校の担任の先生とはあまりにも違っていて、もし自分が小学生なら、大学でやりたい事を学んだ先生がいいなと。
中川:
それで演劇学科を専攻されたんですね。高校で演劇をやっておられたのですか。
柳沢:
いえ、運動部でした。高2の文化祭で、クラスで「王様と私」をやったのですが、その時に演出と王妃の1人の役をしたのが、唯一の演劇の体験でした。その時に、演劇の面白さとみんなで造る喜びを知りました。その作品の背景を描いていた親友が、美術を学びたいと、東京の大学を目指していたのですが、彼女と話しているうちに、大学にも演劇科がある事がわかり、日大芸術学部の演劇学科を受験することにしました。

<後略>

2019年10月17日 エス・エー・エス東京センターにて  構成/小原田泰久

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