今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2011年1月 「樋口 恵子」さん

樋口 恵子(ひぐち けいこ)さん

1932年東京都生まれ。東京大学文学部美学美術史学科卒業。時事通信社、学研、キャノンをへて、評論活動に入る。東京家政大学名誉教授。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。著書に「祖母力」(新水社)「チャレンジ」(グラフ社)「生き上手は老い上手」「女、一生の働き方―貧乏ばあさん(BB)から働くハッピーばあさん(HB)へ」(以上、海竜社)など多数。

『もっとお年寄りに元気になってもらって高齢社会を乗り切る』

働くばあさん、ハッピーばあさん、未来を拓く花咲かばあさん

中川:
ユニークなタイトルの本を出されましたね。「女、一生の働き方」というのがメインタイトルで、これはわかるんですが、サブタイトルの「BBからHBへ」というのが鉛筆みたいで面白いですね(笑)。
樋口:
そうでしょ。BBというのは貧乏ばあさん、HBというのは働くばあさん、ハッピーばあさん、未来をひらく花咲ばあさんという意味なんですよ。
中川:
そうですか。先生がお作りになった言葉ですね。
樋口:
そうです。貧乏ばあさんというと、不快に思う方もおられると思います。しかし、貧乏というのは恥ではなし、日本の女性が年をとってから経済的な困難に直面するのは、その多くが日本社会の構造的な問題です。
私は、貧乏を恐れずに見つめ、貧乏にめげずにきちんと考える力と行動する勇気をもち、みんなの力を集めることで、貧乏をつくり出す構造は乗り越えられると考えています。ばあさんにしても、私は「祖母力」という本を書いたことがありますが、長く女性を生きてきたことにより蓄積された資源があるはずです。料理とか子育てとかね。それを上手に生かしてハッピーになってもらって、花を咲かせてもらいたいという思いを込めて、そう呼んだわけです。昔話だと、「あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」というところから始まるじゃないですか。おじいさんやおばあさんというのは、物語の主役であり、進行係なんですね。
中川:
なるほど。貧乏にしても、ばあさんにしても、決してネガティブな意味で使っているわけではないということですね。社会をもっと良くしていくことは大切だけれども、そのためには、自分自身が、ハッピーで花を咲かせるような存在でないといけないということでしょうね。
樋口:
そうですね。ところで、会長さん、うちの猫がずっと会長さんの椅子の下にいるんですが、この子はすごく恥ずかしがり屋で、お客さんが来ても、すぐに奥へ引っ込んでしまうのですよ。こんなにリラックスしているの初めて見ますよ。これはびっくり、ずいぶんとゆったりと寝転んでしまって。
中川:
いや、すいません、私の尻の下で(笑)。でも、動物は、氣を感じやすいですから…。
樋口:
それでですか。会長さんの氣で気持ちいいんでしょうかね。こんなこと初めてですよ。このままここにいさせてよろしいのでしょうか。
中川:
どうぞ、どうぞ。尻の下で申し訳ないですが(笑)。
樋口:
で、何の話をしていましたっけ(笑)。そうそう、貧乏ばあさんですね。世の中には、元気で働く志のある高齢者はたくさんいます。そういう例を参考にして、働いて端はたを楽らくにし、ハッピーで花を咲かせるばあさんになってもらいたいと思いましてね。これは女性ばかりの問題ではないので、男性も含めて、ハッピーな高齢者になってもらいたいということで書いた本です。
中川:
先生は、高齢社会をよくする女性の会というNPOの理事長をやっておられますが、これはどういう団体なんですか。
樋口:
1982年ですから、ずいぶんと前の話になります。私も50歳くらいで、私たちの世代の女性は、舅、姑の介護に直面していました。当時は、嫁が仕事をやめて介護するのが当たり前でしたし、亭主の方は、口は出すけど手は出さないという状態でしょ。ものすごい辛さの中にいました。そういう女性の声を集めようと集会をやったんですね。そしたら、大変な反響でした。私は、第1回目をやったら、次からは不定期にやればいいと思っていたのですが、まわりがそれを許さなくて、結局、決まった会を作るべきだという話になって、「高齢社会をよくする女性の会」というのを設立しました。以来、毎年、集会をやっていますから、今年が集会は29回目、会の設立から28年ということになります。今年の集会は、大分の別府で開かれ、2400人もの方が集まってくださいましてね。会の設立の最初は、企業団体の支援に頼っていましたが、会員も増えまして、今では、自前で会の運営ができるようになりました。
中川:
この会が設立されて、その流れで、2000年の介護保険が作られたわけですね。
樋口:
法律ができる一つの推進役にはなれたと思います。私も、介護保険の産みの親の一人だと言われるのは、とても光栄です。
あのころは、ずいぶんと感情的な反発もありました。嫁が世話をするのが伝統だ、当たり前だという考え方が主流でしたから。嫁が介護しないのは許せないという感情が出てくるんですね。
ですから、私は言いましたよ。ここは感情よりも勘定だって(笑)。
感情を無視して統計数値で物を言っても説得できないこは重々承知しています。これまでそうやってきたからこれからもという気持ちもわかります。しかし昔は子どもが7人も8人もいたけれども、今は2人しかいないという現実を見る必要はあるわけです。変化を直視しないところに適切な対応はありません。
それに、昔は人生50年でしたから、50歳~ 60歳の舅、姑に、嫁は40歳になっていませんでした。それが、寿命が延びて、80歳を超えた舅、姑に60歳の嫁ということになるわけです。姑を背負おうにも、嫁の方が体調を悪くしていたりするんですね。そういう変化を認めた上で対策を考えていかないと。それを、私は感情より勘定と言ったんです。

(後略)

(2010年10月26日 東京都杉並区の樋口さんのご自宅にて 構成 小原田泰久)

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