今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2008年8月 「宮崎 ますみ」さん

宮崎 ますみ(みやざき ますみ)さん

女優。1968年愛知県生まれ。84年にクラリオンガールに選ばれ、映画、ドラマなどで活躍。94年に結婚し、渡米。2児の母となり2005年に帰国。映画「奇妙なサーカス」に主演。乳がんであることを公表し、現在、女優のほかにも、講演活動やセラピストとしても活躍中。

『すべては完璧なタイミングで起こっている』

副作用の不眠が氣功で改善した

中川:
はじめまして。今日は、わざわざありがとうございます。真氣光については、あまりご存知ないかと思いますが。
宮崎:
雑誌を拝見しましたし、さっき、ハイゲンキという機械の体験をさせていただきました。とても気持ち良かったです。
中川:
そうでしたか。もともとは、私の父が始めたもので、氣功のひとつだと思っていただければいいと思います。ただ、機械から氣が出るとか、一週間で氣が出せるとか、従来の氣功のから言えば、ちょっと常識はずれと言われることがあります。¥r¥n私も、わが父のやっていることでしたが、信じていませんでした(笑い)。でも、仕事で体調が悪くなりまして。ストレスですよね。精神的にも肉体的にもバランスが崩れてしまったんですね。それで、当時は伊豆の下田でやっていた研修に参加しました。そしたら、体調は良くなったし、それに心の持ち方が現実を変えるという考え方が、私のようなサラリーマンにも必要なんじゃないかと感じまオて、それで氣の世界にとても興味をもったということが始まりなんです。
宮崎:
お父様は、ずっと氣功をやっておられたんですか。
中川:
そうなんですよ。まず機械でしたね。この機械があったから、真氣光はとてもいい形で広がったし、先代が亡くなった後、右も左もわからなかった私をずいぶんと助けてくれました。この機械があって、さらに先代のもとで真氣光を学んできた方々が支えになってくれたからこそ、私もやってこれたんだなと感謝しています。
宮崎:
私も氣功には縁が深いんですよ。2年半前に乳がんになって、手術と放射線の後、ホルモン治療を受けたんですね。そしたら、すごく副作用が強くて、夜も眠れないし、つらい毎日を過ごしていました。¥r¥nそんなときに、氣功を習おうと思って、インターネットで調べて、自宅から簡単に通える氣功教室へ行くことにしました。そしたら、氣が体中に充満して、パンパンになった感じなんですね。氣の流し方なんか知らず、ただひたすら氣を入れることばかりやっていましたから。その夜、体が痛いと叫んでいる感じがしました。でも、嫌な感じではなかったですね。それで、とりあえずは寝るかとベッドに入ったら、ぐっすり眠れまして。翌朝は、霧が晴れたようなさわやかな気持ちでした。
中川:
れないというのは辛かったでしょうね。でも、すぐに氣功を習おうと、よく思われましたね。
宮崎:
もともとスピリチュアルなことには興味がありました。15歳で芸能界の仕事を始めて26歳で結婚するまで仕事を続けて、スピリチュアルなことに目覚めれば目覚めるほど、潜在意識が表に出てくれば出てくるほど、当時の私は社会とのバランスがとれなくなっているのを感じていました。これ以上仕事を続けたら自分は死んでしまうのではと追い込まれた状態でしたね。休憩したいなと思ったときに、アメリカに住んでいる日本人と出会って結婚したんです。ロスに住んだのですが、仕事から解放されて、自分を見つめるような時間をたっぷりととれました。自分の癒し作業でしたね。子どもができて、子育てしながら自分を磨く作業をしてくる中で、ヨガやインド哲学を勉強する機会もありましたから、氣功も決してなじみがなかったわけではなかったんです。
中川:
氣功をされて、眠れるようになったことのほかに、何か気づきとか変化はありましたか
宮崎:
ぐっすりと眠れた翌朝ですが、いきなりインスピレーションで「こんなことをしている場合ではない」と感じたんです。こんなことってどんなことだろうと考えたら、それはホルモン治療のことだって思いました。再発を予防するための治療だけど、こんなにも副作用が出ているのは体のバランスを崩しているに違いないから、もうやめようと思いました。お医者さんにも相談しまして、思い切って、ホルモン療法をやめることにしました。これは私にとって大きな選択、決断だったと思っています。
中川:
不安もあっただろうと思いますが、よく決断されましたね。お医者さんは、この治療をすると何%改善されるとか、数字を出してきたんじゃないですか。
宮崎:
その通りですね。10年後に再発しない確率は、何も治療を受けない場合は60%で、5年間ホルモン治療をすると70%に上がると言われました。私は、えーっと思いました。こんなにもつらい思いをしてたったの10%という気持ちでした。人によっては、10%も上がると感じる人もいるんでしょうが。それで、私はホルモン治療をやめて、60%にかけることにしたんです。

<後略>

(2008年6月26日 東京池袋の (株)エス・エー・エス本社にて 構成 小原田泰久)

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