今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2003年10月 「大倉 正之助」さん

大倉 正之助(おおくら しょうのすけ)さん

能楽囃子大倉流大鼓、重要無形文化財総合認定保持者・日本能楽会会員。室町時代より650年続く能楽大・小鼓の大倉流宗家の長男として生まれる。9歳で小鼓方として初舞台。17歳で大鼓に転向。「大鼓独奏」「素手打ち」という独自のスタイルを確立し、至難の業といわれる「素手打ち」にこだわり続け世界各国で演奏活動を繰り広げている。2000年には、ローマ法皇より招聘され、バチカン宮殿内ホールでのクリスマスコンサートに出演する。世界の民族芸能、音楽を紹介する独創的なイベントも多数プロデュースしている。著書に「鼓動」(到知出版社)がある。

『伝統芸能とバイクが合体!鼓に氣を乗せ、鎮魂の旅を続ける』

バイクはただの乗り物ではない。意思がある

中川:
今日は、お忙しい中、事務所までご足労いただきましてありがとうございます。今、外にかっこいいバイクが置いてありますが、あれは大倉さんが乗ってこられたんですよね。
大倉:
そうです。さっきまで明治神宮でイベントの打ち合わせをしていまして、時間がぎりぎりになったので、電車でも車でも間に合わないかなと思いまして、いつも乗っているバイクで駆けつけたという次第です。
中川:
大倉さんは、伝統芸能である大鼓の奏者ですが、伝統芸能とバイクというと、何かミスマッチのようなイメージがありますよね。よく質問されると思いますが、なんでまた、能とバイクが結びついたのでしょう?
大倉:
よく聞かれますね。伝統芸能の家に生まれた者は、バイクのような危険なものに触れないようにするという不文律がありますし、なかなか能とバイクは結びつかないと思います。
でも、私にとっては、バイクは単なる乗り物、移動の手段ではありません。能と同じように、生きることの意味を教えてくれる大切な道具だと思っています。
たとえば、昔の旅には生死が付き物でした。今でも旅に危険はついて回りますが、命がけということはありません。新幹線や車、高速バス、飛行機で快適に移動するのが旅です。
バイクだと、まだ、昔の旅の感覚をもつことができます。途中の空気や風、においを感じることができます。人間の本能や野生を取り戻すことができます。直感や身体能力が必要な乗り物です。そこに能と共通するものを感じるのですが。
中川:
私はバイクには乗りませんが、きっと車とは違った感覚があるんでしょうね。馬で旅している感じなのかな。機械ではなく生き物としてバイクを感じているということでしょうか。
どんな感覚なのか、バイクに乗らない人にもわかりやいように、説明していただくことはできますか。
大倉:
そうですね、中学生のとき、はじめて50ccのバイクに乗りました。近くの広場で、バイクにまたがってエンジンをかけて、クラッチを離した瞬間、いきなりバイクが竿立ちになって後ろに振り落とされました。自転車に毛の生えたような50ccのバイクですから大したことないと馬鹿にしていたのですが、とんでもなかった。バイクは単なる機械ではない。意思をもっている。まさに、今言われたような馬のような存在だと、そのときに思ったわけです。
バイクに乗っていると、環境の変化をダイレクトに感じます。冷たい雨の中を乗っているときは、体がすっかり冷えて歯がかみあわなくなるような事もあります。また、カチカチになって止まったとき、足を伸ばしたつもりが、筋肉が硬直していて足が動かず、バイクを止めた途端にその場でコテンと転んでしまう格好の悪いこともあります。
気持ちのいいこともたくさんあります。しばらく走っているうち雨が上がってきて、太陽の光が差してくる。太陽の暖かさが冷え切った体をふわーっと暖めてくれる。このとき、体がふうーっと伸びていく感覚を味わうことができます。『種子が芽吹くときはこんな感じかもしれない』と自分が植物の種になったような感慨を味わうことができます。
普段の生活では、そうそう味わえるものではないですね。
中川:
なるほど、バイクにもなかなか奥深いところがあるわけですね。
能という伝統芸能とバイクに象徴されるように、大倉さんはこれまでの能の常識をくつがえして新しいことに次々と挑戦して、結果を出されておられますね。
新しいことをやるというのは、いろいろと反発もあって大変だと思います。特に、室町時代から続いている古典的な世界ですから、新しい価値観がそう簡単に受け入れられるものではないでしょう。ご苦労されたと思いますが。

<後略>

(2003年7月18日 エス・エー・エス東京センターにて 構成 小原田泰久)

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