今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2014年7月 「金山 秋男」さん

金山 秋男(かねや まあきお)さん

1948年栃木県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は死生学、宗教民俗学。明治大学法学部教授、明治大学死生学・基層文化研究所代表、明治大学野生の科学研究所副所長、国際熊野学会副代表。著書に『歎異抄』(致知出版社)『古典にみる日本人の生と死』(共著・笠間書店)『生と死の図像学』(共著・至文堂)などがある

『日本人独特の死生観。その根底にあるのは魂の信仰』

日本人の死生観を知りたくて、沖縄や熊野へ行くようになった

中川:
先日は、沖縄センターまでお越しいただき、ありがとうございました。あのときは、ごあいさつ程度しかできませんでしたが、今日は、ゆっくりと、先生のご専門である死生学についてお聞きしたいと思っています。先生がセンターへ来てくださったのは、アウエハント静子さんのご紹介でしたよね。
金山:
直接先生のもとへお連れいただいたのは石嶺えりさんです。彼女も熱心に真氣光の道を歩んでおられて、ちょうど先生が沖縄に来ておられるから是非会ってみてということで。静子さんとは数年前からのご縁で、明治大学が行っている社会人向けのリバティアカデミーという教養・文化講座の講師をお願いしたこともあります。スピリチュアルなお話、いろいろと聞かせていただいています。彼女も、真氣光とは、ずいぶんと古いご縁だとお聞きしましたが。
中川:
先代が初めてヨーロッパへ行ったころですから、25 年くらい前からのご縁ですね。通訳をやってくださったり、いろんな方をご紹介くださったり、ずいぶんとお世話になりました。今回も、こうやって先生とのすばらしいご縁を作ってくださって、ありがたいですね。ところで、先生のご専門の死生学ですが、そういう学問というのは古くからあったのですか?
金山:
学問として意識されてくるのは90年代でしょうか。それまでも英語でサナトロジーと言い、どう死ぬかということをテーマにした死学というのはありましたけどね。がんで亡くなった千葉敦子さんというジャーナリストに、『よく死ぬということはよく生きることだ』という著書がありますが、それがとても印象に残りました。以来、死ぬことと生きることとの関係をずっと考えてきました。それを死生学という名前で呼んで、8年ほど前に、死生学研究所というのを作りました。ですから、まだ学問体系として整っているものではありません。
中川:
どうして先生は死のことを考えるようになったのでしょう。あまり、死のことは考えたくないというのが普通じゃないですか。
金山:
私は、死生学をやる前は英文学をやっていました。ところが、30代半ばで神経症になりまして、自分の首を吊る枝ぶりを探して歩いている時期がありました。以前に、夏目漱石の『行人』という小説を読んでおりましてその中で、主人公の一郎が、人生の出口は三つしかないと言っているんですね。ひとつは死ぬこと、それから狂うこと、三っつめが門を叩くことだって言うわけですよ。狂い死ぬのはきついなと思って、私は門を叩くことを選び、横浜の鶴見にある總持寺の門を叩き、坐禅を組むようになりました。それが縁で、道元禅師のことを勉強するようになりましたが、これが難しい。『正法眼蔵』にはとても歯が立たず、そのまわりをグルグルと回っていました。どこかとっかかりがないかと入口を求め続けて、5~6年たってやっと論文が書けました。そのとっかかりが、生しょう死じの巻で、そのあたりから、今の方向へと進んできた訳です。それが1990年代の末ですね。
中川:
死ぬとか狂うではなく、門を叩くという道を選んだのが良かったのでしょうね。マイナスの状況になったとき、ちょっとした気持ちの切り替えで、それが大きなプラスに転換することはよくありますね。
先生自身が死まで考えるほどの状況になったからこそ、死を現実的にとらえることができるわけで、神経症になったのも、今の研究をされる上で、とても意味があることなんだって思いますね。
日本人というのは、独特の死生観をもっているんじゃないですか。
金山:
そうですね。日本人独特の死生観の背後にあるのは、やはり日本人特有の霊魂観、他界観だと思います。私は、それが知りたくて、熊野とか沖縄とか出雲に行くようになりました。それが2000年以降ですね。
中川:
日本人は、霊魂とかあの世とか、信じている民族じゃないかと思うのですが。
金山:
私もそう思います。日本人の根底にあるのは魂の信仰です。そのあと、遺骨の中に魂が宿るということで、遺骨を大事にするようになりました。もともとは魂の信仰で、高野山など聖地への納骨信仰を通して、骨に執着する文化はあとから出てきたものです。日本人は、まず魂があって、次に遺骨があって、最後にお墓がくるんです。昔はお墓はなかったですからね。たいてい風葬でした。
中川:
太平洋戦争で亡くなった方のお骨を拾いに行くとかありますからね。魂を信じつつも、骨とか遺体がないと、なかなか死は実感できませんよね。

<後略>

(2014年4月30日 明治大学・駿河台キャンパスにて 構成 小原田泰久)

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