今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2007年4月 「寺山 心一翁」さん

寺山 心一翁(てらやま しんいちろう)さん

1936年東京生まれ。1960年早稲田大学第一理工学部卒業。東芝で半導体素子の開発にたずさわった後、1980年寺山コサルタンツオフィスを設立。1984年にがんとなったことがきっかけでホリスティック医学、統合医療の分野で活躍するようになった。現在、ホリスティック経営コンサルタント、フィンドホーン財団評議員などを歴任。

『腫瘍に向かって、毎日 『ごめんなさい』 『愛している』 と声をかけた』

超多忙だった日々が続き、突然の発病

中川:
はじめまして。先生のお名前はあちこちでお聞きするのですが、こうやってお会いするのははじめてです。今日は、よろしくお願いします。
寺山:
こちらこそよろしくお願いします。やっとお会いできたという思いです。感激しています。
中川:
先代の会長とは、何度か会っておられるとお聞きしていますが。
寺山:
そうなんですよ。だから、ぜひ、今の会長にもお会いしたかった。
お父様は、すごい方でしたね。当時、あんなことできる人、いませんでしたから。両手を広げて氣を送っておられましたが、私は驚きましたよ。
生駒へぜひお越しくださいとお誘いを受けていたのに、なかなか行けないうちにお亡くなりになってしまって。ホントに残念でした。
中川:
父のことはどこでお知りになったんですか。
寺山:
湯川れい子さんにご紹介いただいたいんです。すごい人がいるからと言うんで、池袋の事務所へ連れて行かれて、一緒にお食事をしました。脂の乗ったお肉をおいしそうに食べておられました。その後、ホリスティック医学協会のシンポジウムにお誘いしたり、何度もお会いするチャンスがありました。
中川:
食べることは大好きでしたね。肉食はあまりしない方がいいと言われてもいたようですが、好きなものを食べるという姿勢は変わりませんでした。寺山先生は22年前にがんになられて、そのときは経営コンサルタントをやっておられたとお聞きしましたが。
寺山:
コンピュータ・システムの導入を企業に指導するという仕事をしていました。コンピュータというのが時代の花形になりつつある時代だったので、超多忙な毎日でした。睡眠時間を少しずつ減らしていって、家へ帰らずに仕事をする日がどんどんと増えていきました。¥r¥n当時の私の生活は、タバコは吸わなかったですが、コーヒーが大好きで、一日に10杯から20杯くらい飲み、食事は、肉やうなぎを常食していました。ひどいものでした。事務所が神楽坂にあったので、おいしい店がまわりにたくさんありましたから。便秘がひどくて、痔にも悩まされていました。
中川:
きっと、ストレスも多かったんでしょうね。私も、サラリーマン時代、かなり無理をして、体調を壊しましたから。
寺山:
そういう人ばかりですよ。あのころ、運動不足になるといけないと思ってヨガ教室へ通っていました。そしたら、ヨガの先生が『あなたのオーラがあまりよくありません。チャクラも閉じています』って言うんですね。今ならわかりますが、当時は、変なことを言う人だと思いました。
中川:
そりゃそうでしょうね。オーラやチャクラと言われても、ぴんときませんからね。そして、がんが発病したわけですね。
寺山:
高熱が出て、血便が出て、検査をしたら、すぐに手術だと言われました。でも、仕事がいっぱいありましたから、取りあえずは帰宅して、それから二ヶ月間、死に物狂いで仕事をこなし、新しい仕事は請け負わないようにしました。そして1984年の11月、家内に付き添われて、病院へ行ったわけです。精密検査を受けて、『右の腎臓に腫瘍ができています。手術で摘出しちゃいましょう』と言われました。そのころ、私は医学に関しては無知でしたから、それががんだとは思ってもみませんでした。

<後略>

(2007年2月19日 東京・「超越意識研究所」にて 構成 小原田泰久)

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