今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2003年1月 「藤田 紘一郎」さん

藤田 紘一郎(ふじた こういちろう)さん

1939年旧満州生まれ。東京医科歯科大学医学部教授。東京医科歯科大学医学部卒業、東京大学大学院修了。東大・テキサス大学助手、順天堂助教授、金沢医科大学教授、長崎大学教授を経て、1998年より現職。日米医学会議のメンバーとして、マラリア、住血吸虫、成人T細胞白血病やエイズ関連の免疫研究の傍ら、寄生虫とヒトとのより良い共生をPRする。82年、日本寄生虫学会小泉賞を受賞。95年『笑うカイチュウ』で講談社出版文化賞を受賞。他に『清潔はビョーキだ』(朝日新聞社)『原始人健康学』(新潮選書)など著書多数。

『ヒトはバイ菌とのバランスを保った共生が大切です』

寄生虫がアレルギーを抑えている !?

中川:
はじめまして。先生のご著書、大変面白く読ませていただきました。こういう本をお書きになる先生はどんな方なのだろう、是非お話をお聞きしたいと思っていました。
藤田:
それは、ありがとうございます。私は、はじめは整形外科の医者をやっていたのですが、36年前、熱帯病の調査団の団長さんとたまたまトイレで会っちゃったのが、ウンのつきなんですよ(笑)。
奄美大島の南の波照間島に行く調査団の荷物持ちに頼まれましてね。私は柔道部出身ですので、体力を見込まれたんでしょう。行ってみて、ビックリしました。陰嚢が巨大に腫れ上がった患者がいっぱい居たんですよ。見たこともない奇病でした。
これが、フィラリア病だったんですね。西郷隆盛さんがなった病気で、蚊が吸血すると大金玉になっちゃう。そういう人はうつるからと、山に追いやられたんです。当時の鹿児島県民の5%、波照間島では何と10人に1人が罹患していました。
中川:
えっ、そんなに居たんですか。すごく高い率ですねえ。
藤田:
そうなんですよ。医者が全く足りないところですし、私が、「これは、誰かがやらなければいけませんねえ」と言ったんです。私がやりたいというんじゃなくて、単なるお世辞、言葉の弾みでね。¥r¥nそうしたら、団長さんが、「おお、君はこれが好きらしいから、やれ」と無理矢理、東大の伝染病研究所に入れられました(笑)。私の意志も弱かったのですけどね、こうして寄生虫学とかバイ菌と付き合いが始まったのです。
でも、研究しているうちに、日本はキレイな社会になっちゃって、バイ菌の専門家なんか、どこの大学も欲しくはないというわけですよ。
それで、三井物産木材部の嘱託医になりました。日本の企業が一斉に海外に進出し、ジャングルに入って木材を切り出していた時期です。そこで熱帯病になるでしょう、そういう人たちを診断し、治療をするという契約をしたんです。
インドネシアのカリマンタン島に赴任したんですが、行ってみて驚きました。現地の人は川でウンチをして、同じ川の水で口をすすぎ、顔を洗っているんですね。こんな生活はイヤだと、6ヶ月で辞表を叩きつけて帰国してしまいました。
ところが、東京に戻ったら、こんどは妙にそういう社会が懐かしくてね。非常に恋しくなりました。人々が、ものすごく優しいんです。アトピーも喘息もない。どうしてだろう…と、そこから始まりました。この30数年間、毎年インドネシアに行って1ヶ月滞在しています。若い頃は、1年の三分の二は海外生活でした。
発展途上国の70ヶ国ほど訪れました。現地の飲み水の検査をし、感染症の調査をしました。そして、その一方で、何故アレルギー疾患がないのかを調べたら、みんな寄生虫を持っていたんですね。そうか、寄生虫がアレルギーを抑えているんじゃないかなァ、って。
中川:
なるほど。現地調査で閃いたのですね。
藤田:
私は、高校まで三重県多気郡明星村というところで過ごしました。親父が国立の結核療養所の所長を70歳までしていましたから。結核は感染しますので、ド田舎に病院があるんです。
中川:
「多気郡」ですか。氣が多いところ…いい名前ですね。
藤田:
私はあまり氣のことは知らないのですが、感覚として氣は大事だと思っています。いいところでしたよ、私の故郷は。野山を駆け回って、杉鉄砲で遊んでいましたが、誰も花粉症なんかになりませんでした。その頃、みんな回虫を持っていたんですよ。その経験から、寄生虫だな、って思ったのです。
戦後日本人の回虫感染率は、70%を超えていました。しかし、進駐軍が日本政府に働きかけて、集団駆虫を徹底的に行いましたから感染率は急減し、60年代には20%になり、70年代には2%、80年代には0・2%ですよ。
それでです、このグラフを見てください。寄生虫の感染が低下するとともに、アレルギー疾患が増加していることを、見事に表しているでしょう。
中川:
本当ですね。ぴったり一致しています。
藤田:
回虫が珍しくなると、小学校の検便で回虫の感染が見つかった子は、イジメに遭うようになりました。不潔なヤツ、キタナイって言われて。社会が清潔志向になるにつれ、清潔でないものを排除するようになってくる。これは非常に問題です。
たとえば、浮浪者たちのことが、気になって仕方がなくなる。その人と結婚したり、友達になるということじゃないんだから、放っておけばよいのに、排除したくて叩いたりしちゃう。
少しでもみんなと違うものだとイジメてしまう。異質なものを排除する思想は、危険です。みんな、目立たないようにと、個性尊重なんて言いながら、全く逆な方向に行ってしまうのですね。同質化していくと、社会全体が非常に弱くなってしまいます。

<後略>

(2002年11月20日 東京医科歯科大学藤田教室にて  構成 須田玲子)

この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら
この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら