(59)ご縁のある方々に光が届く

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、全く別の魂が話し始めることがあります。ある時、私の真氣光セッションで、ホワイトセラミックヘッドを握りながら、氣を受けていた人から出てきた魂がいました。どうも心臓が悪くなって、随分前に亡くなった人のようでした。真氣光が受けている人ばかりではなく、多くの人たちに光を与えることがわかる興味深い話なので紹介しましょう。 最初、氣を受けていた人は胸を抑えて苦しそうにしていたのですが、そのうちに楽になってきたらしく、次のように話しを始めたのです。「真っ暗な中で苦しんでいたが、この光のおかげだ。これがどんなに多くの人を助けているか、わかるか?」そう言って、目を閉じたままホワイトセラミックヘッドを握っている手をゆっくり上にあげるのです。そしてさらに話を続けました。「人だから人を救える、分かってもらえるんだ。例えば、人以外の動物や物になど、分かって欲しいと思う者はいない。死んだら、誰でもいいから分かって欲しいと思うだろう。特に家族や周りの近い人に分かって欲しいんだ。それが人ってもんだろう。この光で光になれる、こんな幸せはないよ。どんな一生を送っても最後は光になれる。ありがとう。本当に自分の力じゃ、どうにもならないこと、それが叶うんだ。こんなありがたいことはない、待つだけだ。ただ巡り会うのを待っているだけだ。でも、もう大丈夫だ、これで大丈夫だ。」そう言って光の世界に旅立って行ったようでした。 私 たちの周りには、どんな人にも、「ご縁」というもので繋がった、たくさんの目に見えない魂たちが存在します。中には辛く苦しい人もいて、何とか早く少しでも楽になれないか、気づいてもらえないかと、時には長い時間をかけて待っているのです。私 は「真氣光は魂に光が入るものです」とお話ししています。自分の病気を治したいと思って買ったハイゲンキも、それを使うということは、その人を輝かせるばかりか、周りに光を放ち始めます。そして周りの先祖や家族など、生きている、生きていないに関わらず、多くの人に光を与えることになります。たまたまのようにして皆さんが巡り会ったハイゲンキは、もしかすると「ただ待つだけだ」と、今か今かと光を待ちわびる、たくさんの魂たちの切なる願いの結果かもしれません。自分だけで生きているのではありません。「そんなこともあるかもしれない」と頭の片隅において、ハイゲンキを使っていただけたら幸いです。

(60)霧の中で彷徨う魂たち

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、別の人格が出てくることがあります。その人に影響を与えている魂で、大別すると、辛い苦しいなどマイナスの感情をもっているものと、子孫を思う先祖や守護霊などプラスの感情をもつものがあるようです。ある時、氣を送っていると出てきた魂は、辛くも苦しくも悲しくもないが、ただ行き場が無いと言います。その魂が話した内容は次のようなことでした。「何がいけないんだ、何も見えない。霧の中に置き去りにされているようだ。私は苦しくも悲しくもない。私の家族は幸せに生きている。誰かを恨んだり呪ったこともない。私は普通に生きたんだ。この世には何の未練も無い。自然にあの世に行けるものではなかったのか。そりゃ死ぬ時は少し苦しかったが、今は苦しくもないんだ。死んでから行くところが無いなんて不思議なものだ。何も要らない、なのに何故行く場所が無いんだ。生きている者に迷惑もかけたくない、世話にはなれん。・・・この霧の中には、会うことはできないが、他にもたくさんの人が立ちすくんでいるようだ。・・・」私は一生懸命に真氣光を送りましたが、なかなか光が見えてこないようです。しばらく時間が経過して、その魂は話し始めました。「何かがはっきり見えるのではなく、霧が薄くなって光が見えてきた。あの光になるということか?この光になったらどうなるのかなぁ、悪い気はしないが・・・」そして最後に「この光の方に行けば苦しいことも無さそうだ」と言って消えていったのでした。 こ れまで、いろいろな魂の話をしてきました。たいていは辛いとか苦しいという強いマイナスの感情に支配されていますので、分かって欲しい、早く楽になりたいという思いがあります。自ら何か楽になれるすべはないものかと必死に求めているがゆえに、最初は真氣光の光が怖くて受けることを拒んでも、次第に楽になっていくことがわかると、光の良さを理解しやすいという特長がありました。ところが、この魂は、そういうわけにはいきませんでした。強いマイナスの感情は無いけれど、行き場がわからなく彷徨う魂の辛さがわかります。そして、今そのような魂がたくさん存在しているようなのです。テレビなどの影響でしょうか、魂の存在を信じている人が増えていると言います。良いことですが、死んでもすぐに生まれ変われるという誤解もあるようです。実際には、亡くなった人を光に導くのはたいへんなことなのです。私は、それができる真氣光の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思うのです。

(61)光を失った魂が増えている

最近は、考えられないような凶悪な犯罪が多いですね。
いろいろなことがあると慣れてしまったのか、少々の事では驚かなくなってきました。
さらにはテレビや新聞のニュースを真剣に見たり読んだりしていると、どんどん気持ちが暗くなりますから、防御反応のように自然に遠ざけていたりします。
 私はこの数年、強い危機感を抱いていることがあります。
それは亡くなって肉体を失ってしまったのに、あの世といわれる世界に帰れない、エネルギーを失った魂が増え、地球上にいろいろな弊害をもたらしていることです。
病気ばかりではなく、常識では理解できないような事件や事故など、さまざまな問題が私たちの身のまわりに生じているのも、このことと無縁ではないと私は考えています。
 この地球では、飢餓やそれによる病気で毎日2万5千人ちかくが亡くなっています。
飢餓や紛争のない日本でも、交通事故や自殺などで毎年百万人以上の人が亡くなります。
亡くなった人の魂は、まわりに存在するマイナスに傾いた魂の影響が強いと自らの魂もエネルギーを失うのです。
つまりマイナスの氣が分厚く蓄積してできてしまった暗い霧のようなものに閉ざされて、立ち往生する状態です。
むこうからの光も届かず、またこちらの魂のエネルギーも弱くて、行くべきところを見つけることもできない。
魂は霧のなかで、たったひとり、ここはどこなのだ? と自問自答しながらどこにも行くことができません。
魂の世界は、死のない、無限とも思える時間が続く場所ですから、迷いは深くとてもつらいものです。
 こうした光を失った魂は、自分がどこにいるのかもわからず、自分自身ではどうすることもできません。
身近な血縁者や縁ある人にすがったり、ときには自分とよく似た波動を持つ人の体に入ってしまうこともあります。
それによって体調不良や病気になったり、ストレスが増えたり人間関係が悪化する、などなど・・・「魔が差す」こともあり得るでしょう。
昔に比べると、よほど自分がしっかりしていないと、ほんの少しの「隙」にマイナスの氣が同調してきて雪だるまのようになりやすいのです。
今、縁あって真氣光を知ることになった皆さんが毎日の生活の中で真氣光を受けていただくということは、自分自身の魂のエネルギーを強めて「隙」をつくらないばかりか、周りにもたくさんのエネルギーを与えることになります。
ですからハイゲンキをはじめ、身のまわりのあちらこちらに氣グッズを配置して活用していただきたいと思うのです。
(中川雅仁)
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(62)マイナスの氣の連鎖

いま私は、つくばみらい市で8月の真氣光研修講座を開催しております。きょうは3日目で、朝の「いいとこ探し」行法も、心に響く発表が続きました。
今月は、終戦記念日やお盆などがある特別な月ということからでしょうか、受講生の皆さんには、ご先祖に氣を送りたいという方が多く、真氣光のピラミッドとハイゲンキ照射ヘッドでつくる遠隔真氣光の装置を人数分配置したコーナーが、会場の後ろに自然のうちにできあがっておりました。亡くなった魂にもエネルギーを送れるのが真氣光のすばらしいところであり、さらにはそういう魂たちが生きている私たちに多くの学びを与えてくれることもあります。
ある時、私が氣を送っていると、氣を受けている人から出てきた魂がありました。「育った環境が恵まれなかったから何を努力しても駄目なんだ。だからこいつの人生も、めちゃくちゃにしてやる。」自分の一生が思うようにならなかったのでしょう。ヒガミや妬みという強いマイナスの思いがあるばかりに、光の世界に行けない魂でした。
私は、かける言葉も見つからず氣を送っていると「あー、自分もそうだったんだ、わからなかった」と言ったのです。その魂が説明するには、自分も何かマイナスの思いを持った魂に強く影響されて、生きているとき身の周りに良くないことがいろいろ続き、その結果、ひがんだり人を妬んだりするようになってしまったと言うのです。さらに、その魂は「もう遅いよ、こんなになっちまった、もうやり直せないよ」と泣きます。「今度は後悔したまま、ずっとこのままか、氣づく前の方が良かった。やっぱり駄目だ・・・俺はこいつにひどいことをしてきた」と言うのです。どんなことをして来たのかと聞いてみると、その魂は、小さい頃からその人に、怪我をさせたり、病気にしたり、時には友達に働きかけて仲違いをさせたり、たくさん悪いことをしてきたと言います。
そして最後に「でもこいつは、へこたれないんだ。何でだろう」そう言うとすぐに「そうか分かったよ、違うんだ。同じような体験をしても駄目になる奴と、そうならない奴がいる。自分だけが嫌な思いをしたわけじゃない、不幸なわけではなかったんだ。」真氣光のエネルギーがどんどん、その魂に氣づきを与えていきます。
「もうここで嫌がらせをするわけにはいかない、でもこんな悪いことをして天国にいけるはずもないし・・・」と言うので、私はどんな魂にも光は届くこと、自分の体験を生かしてこれからも人のためになれるということを伝えたのです。すると「白い光が見える」と言って、スーッと消えて行ったのでした。

(63)ずっと邪魔してきた

 セッションで私がある40代の女性に真氣光を送っていると、その人とは全く違う男性の口調になって出てきた魂がありました。
「努力しても出来ない奴はいるんだよー」と言います。
話を聞いていると、何をやっても、どんなに努力しても自分は駄目だった、だから、この女性がうまくいかないように、ことごとく邪魔をしてきたと言うのです。
それも、小さい頃からだと言います。
なぜそんな悪いことをするのかと聞くと、「はっはっは」と笑いながら「面白いからだよ。
適当に挫折感を味わってもらってな、ちょっとした悪戯だよ。
自分の出来ることをやってみただけだ」と言うのです。
 私は話を聞きながら集中して氣を送りました。
すると、だんだん強気の口調が変わっていきます。
「邪魔して、この始末か。
オマエに見つかってしまった。
やっぱり駄目か俺は。
そうだ、こいつは大学受験のときは悔しいからといって希望校に入りやがった。
俺は失敗したんだ、安心してしまった、気を抜いてしまったんだ。
こいつは何か嫌なことがあると、頑張るんだよ。」
 「俺は辛かったんだ。金も無くて身体が弱くて、学校にも行けなかった。努力しても世の中が先に行くんだ、オマエみたいな奴にわかるわけがない」
私は、ただ一生懸命に氣を送るしかありませんでした。
しばらくすると「環境のせいじゃない、自分の意思が弱いということだ。この光のことが理解できた。光を送ってくれ」と言って、スッと消えたのでした。
 セッションが終わった後、氣を受けていた女性に聞いてみると、中学のときに大事な試験があったのですが、頭が真っ白になって考えられなくなり、自分でも信じられないほど悪い点数をとったらしいのです。
その頃身体が弱かったこともあり高校は随分ランクを下げて受験、無事入学しましたが、当人はすっかりやる気を失ってしまったということです。
でも大学受験のころには、見返してやるつもりで希望校を受験、努力が実って合格し、その後は、就職、結婚して主婦になり、あまり努力しなくても「何とかなる」式で、今まで来たそうです。
10年以上前に体調が悪いことから、真氣光を始めたそうですが、長い間氣を受けて来たことで、ピッタリと同調し奥深いところに隠れていたマイナスの氣に光が届いたのでしょう。
思い通りにならずマイナスに傾いた魂は、この世にたくさん存在します。
多かれ少なかれ誰でも、その影響を受け、上手く行かないことがあるものです。
私は話を聞いていて、氣を受けるとともに、それに負けない努力と、どんなに小さな事でも「自分はやれば出来る」という成功体験を得ることが大事だと感じたのでした。
(中川 雅仁)
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(64)気づかれちゃ困るんだよな

 私が氣を送っていると、時にはその人に影響を及ぼしている別の魂が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。
あるとき出てきた魂の話です。
私がある女性に氣を送っていると「気づかせてなるものか」と言うんです。
私は「えっ」と思いましたが、咄嗟にこれは彼女自身ではなく、彼女に影響を与えている別の魂(男のようです)だとわかりましたので、氣を送り続けていました。
そうすると「病気治しで十分だったんじゃなかったのか?それ以上踏み込んでもらうと困るんだよ」と言うのです。
氣を受けている彼女は、確かに最初は体の調子が悪かったので真氣光を始めたのです。
さらにその魂が話を続けます。
「全ての病気が治るなんてありえないんだよな。どんなやつも、老いぼれて最後は何かの病気で死ぬんだ。病気が完全に無くなるなんて、あり得ない話さ」私は特に何も話をせず、彼女の魂に真氣光の見えない光が届くように、さらに集中して氣を送りました。
すると「気づかれちゃうと困るんだよ。こっちの思い通りにならないじゃないか。思考をコントロールするのが、俺たちのやり方だ。体が楽になったところで満足してもらいたかったが・・・。もうこれ以上ここにはいられない。」と言います。
私は、彼が何ものなのかと思い、聞いてみたのですが「手の内が分かってしまうだろう」という言葉を最後に、何処かに行ったのか、何も言わなくなってしまったのです。
俺たちということは、グループのようです。
過去に亡くなっている魂もしくは体を持たない魂で、どのような思いを残しているかはわからないのですが、そのような存在が本来の私たち自身の魂に影響を与え、コントロールしようとしていたのです。
 真氣光はそれを受ける人自身の魂にエネルギーが入っていきます。
もしもその人に影響を与えている何ものかがいても、氣を受け続けることで同調できなくなり浮き上がってくるような形になるのです。
その時、気持ちや体に一見マイナス的なことが起きたり、本来の自分自身と違うような感覚が生じることがあります。
その時に自分自身の内面に目を向け氣づこうと意識することで、完全に切り離しができ、私たちは一層魂の持つ光を強めるのです。
確かに真氣光を受けることで、心や体が癒されます。
しかしそればかりではなく、真氣光は私たち自身の魂を強くする氣づきを促すエネルギーだということなのです。
先代が氣づきの重要性を唱えて15年、そのことで光が届いたからこそ浮かび上がった魂の話とも言えるのです。
(中川 雅仁)
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(65)やっと肩の荷が下りる

 今週は、昨日まで2日に渡って、新型ハイゲンキの出荷作業を行っていました。
近いところでは既に届いた方もいらっしゃるでしょう。
沖縄など遠い所は、もう2,3日お待ちください。
どんな商品もそうですが、特に今回のハイゲンキ3型は、私にとっては最初の試作段階から山あり谷ありでしたので、昨晩は「肩の荷が下りた」出荷記念に妻と二人でささやかな祝杯を上げました。
次回の出荷は12月になります。
お申し込みいただいている方には恐縮ですが、いましばらくお待ちいただくようお願いいたします。
 これまで私が真氣光を送ることで氣を受けている人の口を借りて出てきた魂には、いろいろな人がいましたが、「肩の荷を下ろす」で、思い出したことがありますのでお話しします。
私は、ある女性に氣を送っていたのですが、その方は真氣光を受けるうちに、すごく苦しそうな表情になりました。
誰か苦しい人の影響だと思い、私は続けて氣を送ったのですが、あるところからどんどん楽になり、少し話せる状態になったのです。
その人は武家に生まれ、死んでも変わること無く、先祖から受け継いだ家を守っていると言っていました。
何百年もの昔から、代々その家は続いてきたのでしょう。
しかし、家を守ることに疲れ、苦しみの中にいたようなのです。
私が真氣光を送ると最後には、「名前が違っても光を送ってくれる子孫がいる」と、嫁に行って名字が変わっても変わること無く光が届くということが分かり、すごく安堵した表情で「やっと肩の荷をおろすことができる」、「光が来るほうに行く」と言って消えていったのでした。
 私たちは、お墓参りに行ったり法事や法要をしたりしますが、それは先祖にプラスの氣つまり光のようなエネルギーとして届くのです。
しかし、○○家というように家単位に行われることで、どうしても姓が違うと人々の意識から外れ、それによって家族でも違う姓では光が届きにくくなるようなのです。
ですから先祖の中には家の名を絶やしたくないと一生懸命なあまりに、姓が変わって欲しくないとか、家を守るためには嫁に行った人でも戻ってきて欲しいと、結果的には今生きている人を苦しめてしまうこともあるようです。
 しかし、真氣光を受けることで、その人をとおして縁あるところ、つまり「家」などの枠を越え幅広く光が届きます。
今回、新型ハイゲンキが世の中に出たことで、古いハイゲンキの力もアップします。
真氣光というエネルギーが強くなるということは、生きている人、既に亡くなってる人、いろいろな人たちに、さらに広く氣が届くようになるということだと思います。
(中川 雅仁)
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(66)日本を敗戦国にしてしまった

 私が会長セッションで、ある人に真氣光を送っていたときのことです。
氣を受けるうちに、その人はみるみる苦しい表情に変わりました。
どなたか、辛い気持ちのまま体を失った魂の影響だと思い、私はさらに集中して氣を送りました。
魂に光が届くと、暗かった周りが次第に明るくなり、あるところから気持ちがどんどん楽になるのです。
 その時も、氣を受けるうちに苦しみが癒えてきたようで、言葉がしゃべれるようになったのでした。
聞き取りにくい声ですが、注意して耳を傾けると「日本を敗戦国にしてしまった」と言っています。
かつて戦争に導いたということで、戦犯として処刑された人々がいましたが、私はその関係の人のような気がしました。
ただ負けたことを悔やんでいるのかと思って聞いていると、どうやら日本が敗戦したことで欧米の考え方が主になってしまい、古き良き日本の強くて高い精神性がすっかり失われてしまったと嘆いていたのです。
真氣光を受けることで最後にその人は「今、私たちが力を貸さなければ・・・光の方に行く」と言って消えていきました。
あちらの世界から私たち日本人を見守ってくれていると思います。
 ところで、かつての日本には良いものがたくさんありました。
その一つに「修身」があります。
「修身」は、戦前の小・中学校の教科で、国民への道徳指導を目的としたものでした。
しかし、その内容に、天皇に対する忠誠心を育て、日本を軍国主義に導いてしまった要素が含まれているということで戦後GHQによって停止され、悪いものというレッテルが貼られてしまい、今ではすっかり人々の目には触れないものになってしまいました。
最近、『日本人の美徳を育てた「修身」の教科書』金谷俊一郎著・PHP新書(740円)という本が出版されました。
本の内容は「小学四年生の教科書より」から五年生、六年生までと三つに章分けして、昔の教科書から抜粋し後ろに解説がついています。
『初等教育の現場で教えられ受け継がれてきた、先祖代々素敵な「美徳」のお話を、再び不幸な戦争に導くことのないように細心の注意を払いながら』この本は執筆されたようです。
 これが小学生向けの内容かと思われるほど、大人の私が読んでも奥の深い話の数々で、中には読んでいて涙が出てくるものもありました。
昔から日本人は、このような美徳を大事にしてきたのです。
私たちの先祖は、体は無くても見えない氣のエネルギーとして存在しています。
私は本を読んでいて、「良いものは、しっかり伝えてほしい」という先人の声が聞こえるようでした。
(中川 雅仁)
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(67) 私が家を守ってきた

 私が真氣光を送っていると、あくびや咳、涙など氣を受けている人にいろいろな反応が出ることがあります。
時には、周りに来ていた霊的な存在が、その人の口を通して実際に「話す」というかたちで出てくることがあります。
ある時「この家をずっと守って来た」という、とても苦しそうな人が出てきたことがありました。
日本において昔は、家というものが、非常に大事なものでした。
私には、その魂が家を守るために自分を犠牲にして、かなり無理をしてきたのではないかと思われたのですが、そればかりではありませんでした。
代々その家の人達もこの魂に従うために、自由を奪われ、多くの犠牲を払って来たのでした。
その結果、「家」というカタチは続いてきましたが、代々続く家の中で多くの家族は苦しい人ばかりだったため、彼ら先祖の苦しみの影響で、今生きている人も家族関係が悪くなり、多くのストレスを抱えて生きることを余儀なくさせられているということでした。
その魂には、家を守るという信念があったわけですが、それは光にはならず、結果として子孫達を苦しめていたのです。
それが真氣光を受けるうちに自分の過ちに気がついて、光の世界が見えてきたと消えて行ったのでした。
信念を持って生きる事は、とても良いことです。
でも時として、それは我になってしまうことがあります。
信念を持ってそれを貫く生き方ができれば、どんなにかすばらしく、魂の成長も積み重ねられ、光り輝く方向に行くはずなのです。
「信念」と「我」を比べると、そうであると強く自分の意見や態度を示す点においては、とても似通っているのですが、その根源になっているものが全く違っているのです。
信念とは生きる上で決める指針のようなものであり、我とはただただ意固地になって周りに迷惑をかけてしまうことで、そこには目の前のマイナスのエネルギーと強く結びついてしまう危険性があるのです。
 だから何か強く自分の意見や意志を通さなければならない時、そう思った時には、なぜそうするのか、なぜそう思うのかを、良く考えてみることが必要です。
そして、その考えの基準は、世のため、人のためでなければ魂の成長にもならないばかりか、自らの我によって、マイナスのエネルギーに囲い込まれていくことになるのです。
まだはっきりとした信念が持てないということもあるかもしれません。
しかし、日頃から意識して事に当たっていると、必ず自分にあった信念が見つかるものです。
人は自分の為だけに生きるのではありません。
もっともっと意識を広げることが重要です。
宇宙からの真氣光のエネルギーが、それを助けてくれるのです。
(中川 雅仁)
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(68)報われない思い

 私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、その人とは全く別の魂が出てくることがあります。
私は、既に体を失っている彼らから、いろいろな事を学んできました。
そこでわかったことは、どのような気持ちになっていると魂が光を失い、苦しみのまま暗いところに存在しなければならなくなるのかということです。
だから、今のうちに少しでも、そのような気持ちを少なくしていくことが大事なことであり、その一つの目安として洗心の指標を紹介するようにしています。
先日会長セッションで、ある女性に氣を送っていた時のことです。
洗心にはない心の状態ですが「一生懸命やって来たのに誰も分かってくれなかった」と言いながら出てきた魂がいました。
憎しみや怒りなどの強いマイナスの氣ではないのですが、なかなか光が届かず直ぐには楽になれないようです。
誰にも理解されない、自分のしてきたことが何の意味もない、そのような気持ちが、激しさはないのですが魂の輝きを大きく失わせるのです。
氣を送るうちに、だんだんと自分で自分を認められるようになり、光が見えて来たと言って消えていったのです。
 報われない思いとはどういうものでしょうか?
人は何かを一生懸命にやったのにもかかわらず、周囲から認められなかった時、そのような思いにかられるのではないでしょうか。
それでは、その思いのまま亡くなってしまったらどうでしょう。
ずっとその思いは続き、さらに報われない時を過ごすことになるのです。
たとえ自分の思い通りの結果、生き方だったとしても誰かに認めてもらえなければ何か寂しく、すっきりとした気持ちにならないものです。
それはあまり意識することはないかもしれませんが、誰にでもあることで、また不満とも違っていて、少し悲しみを含んでいるのです。
ですからマイナスの思いではあるものの、非常に表に現れにくく、内に秘めた思いとして奥深くに持ち続けてしまうことになるのです。
そしてこれを現すことは、一つの恥であるという思いからも決して現そうとしない人達も多くいます。
しかし、このような現れにくいマイナスの思いにも光をあてなければいけません。
ともすれば激しいマイナスの思いに意識がいきがちですが、こうした良識あるものたちが陥りがちなマイナスの思いも、まだまだたくさんあり、光になる時を静かに待っているのです。
このような謙虚さゆえのマイナスの思いにも、もっと目を向けるべきであり、この思いに苦しんでいる人達はたくさんいます。
これからは、このような現れにくいマイナスの思いにも意識して光を送らねばと思ったのでした。
(中川 雅仁)
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