(67) 私が家を守ってきた

 私が真氣光を送っていると、あくびや咳、涙など氣を受けている人にいろいろな反応が出ることがあります。
時には、周りに来ていた霊的な存在が、その人の口を通して実際に「話す」というかたちで出てくることがあります。
ある時「この家をずっと守って来た」という、とても苦しそうな人が出てきたことがありました。
日本において昔は、家というものが、非常に大事なものでした。
私には、その魂が家を守るために自分を犠牲にして、かなり無理をしてきたのではないかと思われたのですが、そればかりではありませんでした。
代々その家の人達もこの魂に従うために、自由を奪われ、多くの犠牲を払って来たのでした。
その結果、「家」というカタチは続いてきましたが、代々続く家の中で多くの家族は苦しい人ばかりだったため、彼ら先祖の苦しみの影響で、今生きている人も家族関係が悪くなり、多くのストレスを抱えて生きることを余儀なくさせられているということでした。
その魂には、家を守るという信念があったわけですが、それは光にはならず、結果として子孫達を苦しめていたのです。
それが真氣光を受けるうちに自分の過ちに気がついて、光の世界が見えてきたと消えて行ったのでした。
信念を持って生きる事は、とても良いことです。
でも時として、それは我になってしまうことがあります。
信念を持ってそれを貫く生き方ができれば、どんなにかすばらしく、魂の成長も積み重ねられ、光り輝く方向に行くはずなのです。
「信念」と「我」を比べると、そうであると強く自分の意見や態度を示す点においては、とても似通っているのですが、その根源になっているものが全く違っているのです。
信念とは生きる上で決める指針のようなものであり、我とはただただ意固地になって周りに迷惑をかけてしまうことで、そこには目の前のマイナスのエネルギーと強く結びついてしまう危険性があるのです。
 だから何か強く自分の意見や意志を通さなければならない時、そう思った時には、なぜそうするのか、なぜそう思うのかを、良く考えてみることが必要です。
そして、その考えの基準は、世のため、人のためでなければ魂の成長にもならないばかりか、自らの我によって、マイナスのエネルギーに囲い込まれていくことになるのです。
まだはっきりとした信念が持てないということもあるかもしれません。
しかし、日頃から意識して事に当たっていると、必ず自分にあった信念が見つかるものです。
人は自分の為だけに生きるのではありません。
もっともっと意識を広げることが重要です。
宇宙からの真氣光のエネルギーが、それを助けてくれるのです。
(中川 雅仁)
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