過度の我慢

 今週、私は京都での真氣光研修講座を終えて、ほっとひと休みということで、長野で休暇をとっておりました。
講座参加者の皆さん、ありがとうございました。
先週も書きましたとおり、真氣光35周年のこの年に京都、それも御所近くで開催できたことは、とても意義あることでした。
1200年のあいだ政治や経済、文化、宗教の中心として栄えた京都は、古くからの佇まいが残っていて、とても落ち着く街です。
しかし、古くに生きた先人たちの中には、その伝統を変えられず、いまだに苦しみの中で耐え忍んでいる魂がいます。
 例えば、宗教に携わっていた人たちの中には、お経を唱えるなどの方法だけに囚われてしまい、本質を理解するところまで進めなかったことで、未だに光の方に向かえない魂もたくさんいます。
 私は、苦しむ彼らに、宇宙からのエネルギー・真氣光を使ってもらいたいと光を送るのですが、その光を受け入れずに、頑なに自分たちのやり方を変えることなく、変わるまいと、頑張ろうとします。
時代が進み、誰にでも宇宙やエネルギーといったことが分かるようになりましたが、彼らには分かりませんので、私は「お天道様と同じですから、この光を受けてみて下さい」と言うのです。
 そのような変わりたくない魂が、研修初日に出てきて「おまえは変われるかもしれないが、おまえの仲間たちは変われまい」と言っておりました。
研修が進むうちに、「氣づきの時間(いいとこ探し)」では、変わろうとする人たちの良いお話がたくさんあり、講座最終日には彼らに、私たちの大きな変化を見ていただけたように思います。
真氣光のエネルギーの素晴らしさを、私たちの変化をとおして理解して貰えたようなのです。
 私は、今年を変革の年と捉えていますが、このような時に、彼らを光に導くことができたことが、さらに私たちを大きく変化させるように思います。
 変わって良いこと、変わらないほうが良いことはありますが、変わらなければいけないのに、我慢し続けることで変われない魂たち、さらには変わってしまわないようにと、我慢と辛抱をし続ける魂たちを、今回の研修では、たくさん目の当たりにしました。
我慢することが大事な場合は多々ありますが、過度の我慢が氣を下げ、心や体を傷めつけることもあります。
この過度の我慢の裏には、プラスの氣が変わるべき道を一生懸命に教えてくれているのに、頑なに「変わるまい」と、マイナスの氣が影響を与えていることがあるのです。
 私も、必要な我慢と、不要な我慢をしっかりと見極めて、周りの人たちの力を借りて我慢を取り払い、良い方向に変わって行こうと思うのです。

京都御所を前にして

 今日から、京都での真氣光研修講座が始まります。
初めて京都で講座を開催できたのが、比叡山の麓で2013年のことでした。
その地にご縁を持って集まる人たちに、たくさんの真氣光を受けてもらうことで、集まる人が大きく変わるばかりか、その土地のエネルギーが上がることがわかり、私は'07年から日本全国で講座を開催してきました。
しかし、ご縁がなかったのか、当時なかなか京都で良い場所が見つからなかったのです。
それが比叡山の麓に良い研修施設があるとわかり、それから毎年のように開催できるようになったのですが、このコロナ禍で、そちらの施設が休業となってしまい、昨年から京都御所の近くで開催しています。
特に今年は、御所に面しているばかりか蛤御門から百数十メートルという立地の会場ですから、私は、すごくワクワクしているのです。
 真氣光のエネルギーは、生きている人ばかりではなく、苦悩する多くの魂を光に変えます。
しかし、このエネルギーが遠い宇宙から送られてくる強力な光であり、これまでの宗教のように地球由来のものではない異質さから、なかなか理解されないばかりか、最初は畏れや恐怖を抱く魂も多いようです。
 しかし、私たちが体験して真氣光を理解していくように、そのような魂たちにも徐々に光があたり、その変化から次第に、この氣の良さが理解でき受け入れてくれるようになるばかりか、積極的に利用したいと思ってくれるようになります。
京都にはそのような先人がたくさんいて、これまで多くの方をとおして応援の光になっていただきました。
 '13/8/23付のこのニュース(https://shinkiko.com/blog/?p=1769)に、『京都は歴史のあるところです。平安時代から明治時代に入るまでの千二百年という永い間、日本の首都であり、政治・文化の中心地だったわけですから、全国各地にもこの「京の都」に特別な思いをもっていた先祖など、ご縁のある方は多いと思います。読者の皆様も研修に参加しているつもりで、波動合わせをしていただければと思います』と、書きました。
私は、今年が真氣光にとって大きな変革の年と捉えていますが、その中でも今月の京都が大きな節目だと考えています。
個人的にも私にとって思い出深い土地ということもありますが、日本の歴史的中心から暗い部分を少しでも光あるものに変えられることで、真氣光の土台が確立されるように思っています。
氣というものの性質上、強い光を放てることで、その波動は自ずと周りに拡がります。
日本から世界に向けて光が拡がる時代の足がかりとなることでしょう。

富士山を目の前に

 富士山での2泊3日の真氣光研修講座が始まりました。
私は昨夜こちらに着き、今日は朝から良い天気なので、氣を送りながら富士山をバックに数枚の写真を撮りました。
富士山は、どっしりと雄大で、実に優雅なシルエットです。
私は35年ほど前に登ったことがあるのですが、先日の大掃除の際に、サラリーマンをやっていた頃の写真が、まだ整理されずに段ボールから出てきたのです。
入社同期の友人が労働組合の活動をしていて、「富士山登山をやるのだけれど人数集めの為にどうしても参加してくれ」と言うので、「しかたがない」ということで登ったのでした。
 この企画は、チャーターした大型バスで夜10時に職場前を出発して、山頂で日の出を見るというツアーでした。
登り始めは真っ暗ですから頭に着けたヘッドライトだけが頼りですが、あちらこちらから集まってくる人達で駐車場は一杯になり、ラッシュアワーの状態から一列になって細い道らしき所を登ります。
遠くから見るのと実際に登るのとでは大違い、登り始めると、すごく急な勾配で、まだ七合目、まだ八合目と、一合分を登るだけでもたいへんなことでした。
当時、体力には自信があったのですが、高山病でしょうか?寝不足からでしょうか?頭が痛くなり、そのうちに一歩足を前に出すのも難しくなりました。
何度、もうここで終わりにしようと思ったことか。
でも一緒に登っている友人達が「登るぞ」と声をかけてくれ、最後は「ここまで来て山頂まで行かなければ後悔する」という思いだけで必死に登りました。
何とか山頂に辿り着き、雲一つ無い晴天の中、ご来光を拝んだときには、何とも言えない気持ちになりました。
いま再び登りたいという気持ちにはなりませんが(笑)、本当に登って良かったと思います。
 何事もそうですが、外から見るのと実際に行動してみるのとでは、大きな違いがあります。
自分のこともそうですが、周りの人達のことも同じです。
私たちは、体をもって行動して、魂の光のような氣のエネルギーが増えるようになっていて、その大・小はありますが、誰もが体を維持し「生きる」ことで、それをやっています。
行動して何か達成できれば良いですが、結果が思うようにならなくても、やらないのとは大きな違いです。
もう一つ富士山を見ていて思う事は、たいへんな時こそ、どっしりと雄大に構えられるように、心に余裕を持ちたいと思うのです。
そのためには、日頃から、真氣光のエネルギーをしっかりと受け、私たちを生かしてくれている宇宙を信じ、与えられることに前向きで臨むことですね。

思い出に「片を付ける」

 私事でお恥ずかしい話ですが、9/14のYouTubeで、先月末に私が再婚したという話をしました。
本ニュース9/3号で近藤麻理恵さんの片づけ術をやってみた話を書きましたが、話の内容はこれを実践する中で最後の部分でもある「思い出のもの」に着手した話でした。
コンマリさんによると、片づけとは過去の思い出に「片を付ける」から片づけというのだそうですが、思い出のものは、片を付けるのが難しものです。
ほのぼのと良い思い出が湧き上がってくるものは、取っておいて、いつも身の周りに置いて見られるようにできるのですが、悲しい辛い思い出がよみがえるものは、取っておくのか捨てるのかと判断しなければいけないのに、手に取ることさえ難しいものがあります。
私も、亡き妻にまつわる思い出のものの中には、そのようなものが沢山ありました。
それも、時間とともに自分の中で少しずつ変化していき、今回の大掃除でしっかりと片づけられたのです。
 再婚も、いろいろなことがずいぶん頭の中をめぐり、考え抜いて決心したことです。
困ることもありませんでしたから、将来に渡って暫くは、これまで通り生活できるはずですが、もっと人生を楽しく、豊かにできるのではないか、どうせ生きるなら、よりワクワクする道を選ぼうと思ったのです。
自分が輝くから周りが明るくなる、真氣光はマイナスをプラスに、絶望を希望に変えてくれる宇宙エネルギーです。
最後は、自分の中から湧き上がる思いと、それを信じて、宇宙にお任せしたわけです。

大は小を兼ねる?

「大は小を兼ねる」ということわざを調べてみると『大きいものはそれ自体の役割の他に、小さいものの代わりとしての役目も果たすが、小さいものは大きいものの代わりにはならない。小さいものより大きいもののほうが、幅広く役に立つということ』とあります。
 真氣光の氣グッズは、一般的に値段が高くなると、取り出せる氣のエネルギーも強くなり、確かに真氣光を受ける際にも、大きな氣中継量のものは、暗くて強いマイナスの氣にも光が浸透しやすく氣の充電が早く進みます。
 では、氣中継量が小さなものは役に立たないのでしょうか?
氣の観点から重要なポイントの一つに、取り出せる氣の量は、その人の意識と強く関係しているということがあります。
 「氣を受けよう」と意識を集中することで、小さな氣中継量の氣グッズからでも、多くの氣を受けることが可能になるのです。
 もう一つが、いつも継続して使えることで結果的に多くの氣が入るということです。
 小さな氣中継量の氣グッズでも、いつも使っていることで、長い年月の間に水滴が岩をも削るように、マイナスの氣を光に変えるのです。
 このようなことから先代は、氣中継量の大きなものから小さなものまで、生活の中で使える様々な用途の氣グッズを商品化したのです。

 

ワクワクする心を大切に

 昨夜、YouTubeの生放送で我が家の大掃除の話をしました。
近藤麻理恵(コンマリ)さんの片付け術にのっとって、インテリアコーディネーターの田屋さんに指導を受けながらの、私には大仕事となりました。
このコンマリメソッドについては、このニュースの2011年末に紹介していますが簡単に言うと、トキメキという観点から必要と感じるものだけを残して、そう感じないものは感謝して捨てるということです。
捨てるというよりは、私の考えでは、自分との縁を切り離して地球に戻すということでしょう。
 当時私は、コンマリさんは氣のことを良く理解しているものだと感心したのです。
そういう私も、この10年の間に、トキメキを感じるかというと、そうでもないモノが大きなゴミ袋で100袋以上と、かなりの量になりました。
使われないモノには悲しいマイナスの氣が入ります。
収納には余裕があり、問題を感じていませんでしたが、知らないうちにマイナスの氣の影響を受けやすくなっていました。
 買う時には、トキメキを感じて買っていても、人はどんどん変わりますし、時代も変わります。
全てのモノを一度目の前に出してみて、一つひとつ実際に手に取って氣を感じるということでしょう。
氣の波動と物理的な役割、両方を感じて残すか残さないかを決める、つまり私の場合は、忙しさで、モノに対峙して感じようとすることが疎かになっていたわけです。
 全てのものには科学で捉えられないエネルギー、氣があります。
動物、植物、鉱物、‥人が作ったモノにもです。
例えばモノであれば、作ろうと考えた人の意識という氣、工場などで作った人の氣、流通させた人の氣、販売した人の氣、場所や使う人によって後から入り込む氣等です。
それを前にしてトキメキを感じる心からは、プラスの氣が発せられ、それに合わせて周りからプラスの氣が集まります。
良い氣が集まるから、よりいっそう良い方向に進めるのです。
 今の我が家は、すっかりモノが無くなってしまい、少々寂しい気もするのですが、これからは収納なども考え、新しくトキメキを感じるモノを増やしていく段階です。
私の場合、トキメキというよりはワクワク感と言ったほうが良いでしょうか。
ワクワクも嬉しい楽しいことを期待して心を躍らすということですから、トキメキと同様にプラスの氣を集めることになるのはもちろんです。
年齢が進むと、日頃の慌しさに翻弄されて、感じようとしないとワクワク感が少なくなるものです。
どんな人でも毎日の生活の中に、ワクワクする瞬間はあります。
マイナスの氣の影響を受けていると感じ難くなりますから、プラスの氣の応援がより受けられるよう真氣光を受けることもお忘れなく。

 

白髪の話から

 6年程毎月通っていた床屋を変え、一大決心をして、知り合いの美容院に行って来ました。 私は、「男は床屋だ」との強いこだわりと、女性ばかりのところに入り難いという気恥ずかしさから、私にとっては少々高めのハードルでした。 「経験をすることで、いろいろな学びがあり、体験しないと分からないことがあるものだ」と、皆さんにはいつも言っていることですが、他の人にとっては何でもないことでも、当人にとっては難しい問題ということがあるものです。 美容院の体験そのものも貴重なものでしたが、その後、気づけることがありました。 私は、美容師さんとの話から、髪を染めてみることにしたのです。
 私の髪は、右側に特に白い部分があります。 私より上の中川家の人達を見ると、全員が白髪ですから、私も白くなって当然だと考えていました。 しかし、最も白い部分が右前の部分で、メッシュを入れているようになっていました。 会員の方からは、「そこだけ白くしてるのですか?」とか、逆に「素敵ですね」とか言っていただいていたのですが、右側前の部分は幼少の頃から、いつも気になるところだったのです。
 ところで、毎月発行している月刊ハイゲンキ誌では、巻頭対談のページがあります。 その時に撮る写真が、誌面を見開いた時にゲストの方と対談しているように写真をレイアウトする関係で、私は必ず右側からの顔写真と決まっているのです。 もう25年、このスタイルは変わっていません。 偶然のように右側です。 若い頃は、気がつきませんでしたが、近年、この白髪の部分が強調されるように見えてきて、年齢を感じさせるものですから、嫌な気がしておりました。
 美容師さんが「こんな感じになりました」と白髪だったところを見せてくれた時、3年前脳ドックで「右側頸動脈にプラークがありますが、小さいので来年また検査してください」と言われたことを思い出し、昔から、ずっとここにいたマイナスの氣と全てが繋がっていたと、妙に感じられたのです。
 私たちの体は、うまくできていて、マイナスの氣の影響を受けると、体には痛みや違和感など気がつけるような変化が現れるようになっています。 私の場合は、白髪だったようです。 脳ドックでプラークがあることが分かったので、それから私は毎年の検査と注意して氣を受けるようにしています。 
 マイナスの氣は、スキをみて少しずつ増えていきますから、早めにそれに気がついて、目に見える対策をしっかり施すとともに、真氣光を受ける時に氣をそこに集中させるようにして受けると良いのです。 私も白髪は染めましたが、頭の右側には今後も続けて氣を送るつもりです。

嫌なことをシェアする

 料理研究家・コウケンテツさんの本「本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ」を読んでいて、気になることの違いから料理をするのが嫌になる話があるのですが、これは夫婦の話でも料理の話でもなく、家庭はもちろん職場でも学校でも、あらゆる人間関係の間で参考になる話だと興味深く思いましたので紹介します。
『料理に限らずですが、家事は「やっても褒められないけれど、やらないと文句を言われるという理不尽な作業です。
‥(略)‥
時間をかけて作っても 、品数を増やして作っても、無言で黙々と食べるだけ。
ごはんの時間が遅くなると「まだ〜。」品数が少ないと「これだけー?」と文句を言われる。
そして食後はソファーに座ってテレビや携帯電話に熱中しはじめる。
だれも自ら後片付けを手伝ってはくれず、ひたすら我慢する日々……。
 この理想と現実のギャップが私たちを苦しめます。
 せめて、感謝の言葉を口に出してくれたら少しは気持ちも楽になるのですが、それが実は一番難しい。
「おいしいね」「ありがとう」など、褒めたり、感謝の気持ちを表現したりという習慣がない人にとっては、それを口に出して言うことはとても難しいことです。
‥(略)‥
すでに何年も何十年も一緒に生活していると、当たり前となったお互いの習慣を変えることはなかなか難しい。
それを今日からきちんと表現してほしいと伝えても、やはりハードルが高いのかもしれません 』
では、どうすれば良いのか?
コウケンテツさんは、嫌なことをシェアする、まずは今ある現実で気になっていることの順位を付けてやめてもらうことだと言っています。
 やめてほしいと感じるポイントは何なのか?「またお惣菜」と手料理を強いられる。
出来上がった料理に文句を言われる。
料理中にあれこれロを出される。
食事中に無言で携帯電話を見られる。
せっかく作った料理に手を付けず残される。
 ‥その中でも特にストレスを感じることを、きちんと家族に伝えてみること、相手に「こうして欲しい」と「理想」を叶えてもらうより、気になっていることをやめてもらう方が容易だと言うのです。
 確かに、人と自分とは違うのですから、気になるところも違うはずです。
お互いに嫌なところを認め合い、話し合いの上で、出来るところを譲歩しあえると良いのです。
ただ、この過程でマイナスの氣は邪魔をするように働くことがありますから、相手の話を認めない、腹が立つ、悲しくなる等、マイナスの感情に陥りやすくなるので注意が必要です。
真氣光を受け、自分とマイナスの氣とを分離し、工夫して伝えることです。
マイナスの氣を光に変えるのが真氣光の特長ですから上手に活用したいものです。

 

プラスの氣の循環を多くしよう

東京オリンピックでは、日本選手の活躍がめざましく、私もテレビを見る時間が増えました。 どこの国の選手に限らず、私が「凄いな」と感心させられるのは、観ている側が「もうダメか?」と思われるような追い込まれた場面にも、強い精神力を持って気持ちを立て直す選手達のパワーです。 思わず力が入り、応援したくなるものです。 オリンピックでは、どのメダルを獲得できるのかということも関心事ですが、どんな競技、どんな選手にも自身との戦いのヤマ場があり、そこも見所と言えます。
 人の力でどうにもならないこと、全力を出し切って、もうどうしようもないことは、天にお任せして、ダメでも仕方がないと諦めることが大切ですが、そうでないことも諦めてしまう癖がつくと、何でも「まっいいか、仕方がない」と、なりがちです。 私なども、苦手なこと、面倒なことは、ついつい諦めモードになりやすいです。 しかし、氣の観点からは、何か問題など一見マイナスな出来事を乗り越えようとする途中が大事であり、その時にこそ見えない光のような氣のエネルギーが飛躍的に増え、そしてその後に直面している事態が大きく変わるのです。 ですから、いろいろな工夫をしてみることです。
 どんな工夫があるか考えてみると、自分からプラスの氣を出せると周りからプラスの氣が集まるのですから、自分の目標などハードルを最初から高くしないで、楽しいと感じられることを取り入れたり、良くできたと自分で自信がつくようにしたりなど、何かポジティブな心が持てるようにすることです。 少しでもそれができると、プラスの氣を出すからプラスの氣が集まる、良い氣の循環が出来上がります。
 真氣光を受けられる私たちは、氣を受けようとすることだけでも、プラスの氣を取り入れられます。 つまり良い氣の循環ができやすいわけで、さらにほんの少しでもポジティブな気持ちが持てると、大きくプラスの氣の循環が増える可能性があるわけです。
 そのようなことから、普段から真氣光を受け、良いところを探す「いいとこ探し」や「洗心のための指標」の「プラスの氣を引き寄せやすい心」=(強く、明るく、正しく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活)を持てるようにすることをお勧めしています。 また、なかなか問題となることが良い方向に変わらない方も、まずは真氣光を受ける事だけでも続けることです。 信じて努力するということが、まだまだ影響を与えていたいと画策するマイナスの氣を、やがて確実に光のほうへ向かわせるのです。

自分に良いものを取り入れ

私は、先週末の熊本での研修講座を終え、今週はセッションが多く入っているので少々忙しくしております。
研修期間中、私の場合、宿の食事が美味しいことで、つい宜しからぬ欲がでて食欲を上手にコントロールできず、いつも太り気味になってしまいます。
今回も体重が2キロ増し、栄養を過剰に摂取し、お腹に不要な脂肪を溜めてしまいました。
 ところで、研修では生活全てが行法ということで、起きた時、ご飯を食べる時、眠る時など、それに合わせたいろいろな誓いの言葉があり皆で唱和します。
その中でも栄養摂取の誓いは、一日に3回唱えるので、記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。
 内容をみてみましょう。
「栄養摂取の誓い--栄養は自分に良いものを取り入れ、自分に悪いものを入れず、不要なものは出しきることであると知りました。
自分に取り入れて、良いものと悪いものを知っているのは 身体自身に与えられている、智恵であると知りました。
今からの私は、自分の内在智の教えに従って 自分に適し自分に必要なものを取り入れ 不要で不適なものは出しきるよう努めます。
……」
 この言葉で注目すべきは、自分の内在智の教えに従うという、あくまでも自分が主体で、自分が決めるスタイルになっている点です。
マイナスの氣の影響を受けてしまうと、内在智の教えが悪い方向に引っ張られますから、真氣光をしっかり受けるとともに注意を怠らず、内在智が狂わないようにしておかないといけません。
 さらに、この言葉の凄いところは、口から取り入れる食べ物だけに限らない点です。
私たちは、氣・体・心の三つの要素から成り立っていますから、体の栄養ばかりではなく氣や心にも栄養となるものを取れ入れると良いのです。
氣の栄養とはプラスの氣です。
心の栄養とは何でしょう。
良かったこと、力が湧いてくること、嬉しい、わくわく、いろいろあります。
これも自分が主体となって、良いものを取り入れ、悪いものを入れないようにすることです。
また、私たちは毎日いろいろなことに曝されていますから、いつも良いことばかりが起きるとは限りません。
気持ちが下がった時に、周りからマイナスの氣が集まってきて、さらにマイナス方向に引っ張られ気分が下がりますから、いかに気持ちを切り替えてポジティブになれるか、その訓練も大事です。
真氣光を受けることで、それも上手になるのだと思います。
 オリンピックが始まりました。
幾多の困難を乗り越えているアスリート達からも、たくさんの心の栄養をもらえることでしょう。
氣の応援ということで、良い氣をお返ししたいものです。