(77)光陰矢の如し

 10月も下旬に差し掛かり、「2023年版真氣光カレンダー」の販売をお知らせする時期となりました。
「もう来年!」と思う方も多いのではないでしょうか。
「光陰矢の如し」ということわざがありますが、私などは、ある時期からどんどん時間が早く進んでいるような気がしています。
このことわざを辞典で調べてみると、「月日の過ぎるのは早いもので、しかも二度と戻らぬことの意味。光陰の光は日、陰は月で、月日、歳月の意。矢はかつては早さが実感出来る代表的なもので、しかも一度放たれた矢は再び射手に戻らないことからたとえられたもの。日本では南北朝時代から使われている」とのことです。
 今も昔も時間が経つのは早いと感じる人は多かったようです。
私の感覚で考えてみると、子どもの頃はもっと時間がゆっくりしていたような気がします。
♪〜もういくつ寝るとお正月〜♪の歌にあるように、楽しく、ワクワク・ドキドキすることが多く、それを待ち焦がれ、なかなか時間が進まないと感じていたようです。
 ところで、体を失うと魂という、心を伴った氣のエネルギーの状態になります。
体が無いのですから、老いることもないですし、食べることもいらない・・つまり時間的な感覚が無くなります。
この時、楽しい状態がいつまでも続くのなら申し分ないですが、苦しい状態がいつまでも続くのでは非常に困ります。
死んだからと言って急に人の心は変わりません。
魂の中には氣のエネルギーを失いマイナスの氣となり、もう何百年も前のことを苦しみの中で恨んでいるものもありますから、今のうちに心をポジティブにして楽しいことを多くしていくことが大事です。
 また、マイナスの氣の影響を強く受けると、自分がしっかり意識できなくなることもあり、時間が早く進む状態になることもあるでしょう。
この状態が長く続くと、とても勿体ないということになってしまいます。
「光陰矢の如し」ですから、真氣光をしっかりと受け、マイナス的なことにはケリを付けて次(前)に進むということを意識して欲しいと思います。
真氣光カレンダーを利用して、楽しい事ばかりではなく少々ハードルとなる予定も記入して、予め氣を送ることもオススメです。
 この真氣光カレンダーですが、今年は2ヶ月毎のページにQRコードを入れて、その時期に関連する真氣光ニュースの過去記事をスマホなどで閲覧できるように工夫してみました。
実際に商品のお渡しは11月からになりますが、10月中に購入していただいた方には、私の直筆サインを入れますので、ぜひ今月中に最寄りのセンターで宛名をお伝えいただき、お買い求めください。

(76)慌てる乞食は貰いが少ない

 私の失敗ですが、先日、時間が無くて、少々急いでいたのです。
駅の階段を駆け上がっていると電車がホームに入ってきているのが分かったので、慌てて乗りました。
「間に合って良かった」と思いながら、シートに座って呼吸を整えていると次の駅に到着したのですが、よく見ると私の行きたい方向と反対に進んでいるではありませんか。
慌てて飛び降りたのですが、スマホを床に蹴飛ばしてしまい、とても恥ずかしい思いをしました。
結局、時間には間に合わず、「慌ててはいけない」と反省して、すぐに気持ちを切り替えたのですが、すっかりマイナスの氣に付け入る隙を与えてしまいました。
 「慌てる乞食は貰いが少ない」ということわざは、小さい時から良く聞いてきた言葉です。
ことわざ辞典には『急いで事をしようとする者はうまくゆかないから、落ち着いて対処しろということ。
物乞いするにも相手に対して礼儀はいるだろう。
自分ばかり貰おうと人を押し退けたり、せかせかとがさつに振る舞ったりすれば、相手が気を悪くして貰える物も貰い損なうかもしれない』とあります。
 昔よりはずいぶん慌てないようになってきたつもりですが、年齢のせいなのか、思いがけない事があると思考回路がついて行けなくなるようです。
慌てると頭が真白になるとは言いますが、思いがけないことが起こり、思考が一瞬止まったようになったところにマイナスの氣が強く影響を与えるのだと思います。
マイナスの氣は大失敗に繋げて、勢力をさらに拡大しようということなのでしょう。
ですから心に余裕を持って物事にあたる、慌てない・平常心を忘れない工夫が必要です。
 また、マイナスの氣の影響を受けていると、慌てることが多くなったり、セカセカとさせられてしまうことがあります。
今しなければいけないことに集中しなければ、上手く行くべきことも失敗に繋がりやすくなるものです。
それは分かっていても、ついつい先々のことまで考えてしまい焦ってしまう時には、注意してください。
 さらには、慌てていなくても、気持ちが急かされている、ゆっくりできていない自分が感じられることがあります。
たいそうなことではありませんが、マイナスの氣は小さいことをだんだん大きくしていくことがありますから、時々自分自身をチェックしてみる必要があるでしょう。
 プラスの氣が応援しようと一生懸命働いてくれていても、慌てていては、それをキャッチできません。
真氣光をしっかりと受け、マイナスの氣を寄せ付けないようにするとともに、毎日の生活の中で慌てないこと、セカセカしないことが大事ですね。

(75)あしたはあしたの風が吹く

 先週末、私は阿蘇での真氣光研修講座を開催しておりました。
阿蘇もまた歴史ある所ですので、受講生ばかりではなく、ご先祖様も含めて、私は多くの関係している方々に真氣光を受けていただけたように感じております。
受講していただいた皆さん、ありがとうございました。
 ところで、研修講座では前半の2日目ぐらいまでは、初めて受講する人・もう何回も受講している人に関わらず、好転反応がでることが多いものです。
今回の研修でも反応がでた人がいましたが、少しばかり体や気持ちが不調になっても氣をどんどん受けていくうちに、マイナスの氣がプラスに変わり以前よりも良くなる、つまり「好転」していくことを体験されたようです。
 しかし、研修ばかりではなく、ピンチに陥った時、たいへんな状況に遭遇したとき、私たちは、「この先どうなるのだろう?」と心配したり、悩んだり、先が見えないことで気持ちが落ち込んだりしてしまうものです。
体や心に現れる問題ばかりではなく、身の周りにいろいろな問題が山積みで、気持ち的に追い込まれているときなど、好転反応を何回も見聞きしたり体験している私でも、先が見えないような不安感に苛まれることがあります。
先のことは、考えてもどうなるか分からないものです。
今できることを精一杯やって、準備できる手段は十分にとって、後は天に任せるしかないのですが、そんなことは頭で理解していても、不安にさせるマイナスの氣の影響を受けてしまうことがあるものです。
 夜になって、明日はどうなるのだろうと考えているうちに、夜も眠れなくなってしまっては、さらに物事を悪い方に向かわせてしまうことになります。
そのようなときに、私も自分で自分によく言って聞かせるのですが、「あしたは、あしたの風が吹く」という諺が、とってもピッタリするものです。
 ことわざ辞典では「変わりやすい風向きを、ああだこうだと心配していても無駄なだけ、向かい風が逆に追い風になることもある」とあり、江戸時代から先人が使っていたことわざのようです。
 誰にもプラスの氣の応援があるのですが、一時的にマイナスの氣の影響が強くなることがあるもので、そのようなときに悪い出来事や現象に直面するわけです。
そのようなときにマイナスの氣を引き寄せないよう、「いいとこ探し」や気分を明るい方向にすることで、早めに切り抜けられるものです。
取り越し苦労の多い人は、既にマイナスの氣の影響があるかもしれません。
真氣光をしっかり受けると共に、このことわざで気持ちを切り替えていただきたいと思います。

(74)聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

 政府の緊急事態宣言が、延長されると報道されています。このコロナ禍で、昨年早々から、うちのマンションでも「エレベータの中での会話は控えてください」との張り紙があります。
私などは、もともと会話をすることも少なかったのですが、話はマズイということで、住人同士の会話も減っている気がします。
また、先日からコンビニで買い物をする時、今までは決済手段を「ペイペイで支払います」と店員さんに伝えていたのですが、ディスプレイ上を自分で選択する方法に変わっていました。
ますます話すことがなくなりました。
 初めての人と話す場面で一番多いのが「何かを聞く」ということかと思います。
自分が分からないから人に尋ねるということですが、今では、人に聞くよりスマホで調べたほうが確かですから、これさえも少なくなっていると思います。
気がついたのですが、私などは余程困らないと、知らない人に聞くことがありません。
どこか気恥ずかしいと思っている感じがします。
私ばかりではなく、一般的に女性に比べ男性は話さない人が多いですから、どこかにへんなプライドがあるのでしょうか?私から見ると女性は、世間話等、いろいろな情報交換が上手です。
「よく、そんなことまで話せるなぁ」と思うぐらい、一見無駄に思えるような話から気心を知るなど、より深い情報にアクセスしている感じです。
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがあります。
頭で考えればよく理解できるのですが、気軽に聞くのは難しいものです。
このことわざを辞典で調べると「江戸時代初期から見られる。
知らないことは恥ずかしがらずにどしどし聞きなさいとするこのことわざには、昔の日本人の知識に対する考え方がよく現れている」とあります。
 私は、いつも皆さんに「頭で考え良いと思う事をなかなか行動できないのは、マイナスの氣の影響です」と、説明していますが、まさしく私が聞けないのは、これに当てはまる事案です。
人は人と関わることで成長できるものであり、そのようにして良い方向に変わっていくのを邪魔しようとするマイナスの氣が存在します。
ですから「恥」と感じるのはマイナスの氣の影響でしょう。
 ところで、情報としての会話ばかりではなく、会話を楽しむことにより良い氣を与え、良い氣を貰う氣の交流が可能になり、このような時だからこそ皆が、それをより意識していくことが大事です。
SASでは、センターばかりではなく、オンラインでの無料体験会など、いろいろな機会を作っていますので、ぜひご参加ください。
私も、マイナスの氣の邪魔には負けないように努力したいと思うのです。

(73)七転び八起き

 先日、自転車に乗っていて、危うく転びそうになりましたが、足で踏ん張って何とかバランスを戻せました。
老化した体にしては、よくやれたものでした。
(笑)バランス感覚と言っても、脳が記憶しているほど体が動いていないから転びそうになるわけで、昔とは少し違ったことが原因です。
子どもの頃は、よく転んでいましたが、自転車の運転が未熟だったのと、恐いもの知らずというか、危険な運転をしたからであり、転ぶということから、たくさんの収穫を得ていたように思います。
 この転ぶということでは、「七転び八起き」という諺があります。
辞典には「何度失敗してもめげずに頑張ること。
武士道精神を謳った江戸中期の『葉隠』に用例がある」とあります。
このような諺があるのは、昔から「めげずに頑張れると大きな成長がある、ダメージはあるが失敗を恐れるな」ということがあるからでしょう。
 マイナスの氣は失敗を促し、後悔させて何もできないように仕向けるものです。
そうすることで、自分の意のままに、いつまでもその人に影響力を持って存在できるからです。
しかし、自分の力でこれに打ち勝てると、見えない光のような氣のエネルギーは増え、以前にも増して、そう簡単にはマイナスの氣の影響を受けないように成長できます。
一方、このようなマイナスの氣に強い影響を受けてしまうと、失敗するのが恐いから何もしないという人になってしまいます。
失敗もないけれど、成長もないわけで、次第にマイナスの氣の影響が強くなって、行動や考えをコントロールされるようになり、結局は自分の氣が大きく落ちるようになってしまいます。
 ところで実際には、七転び八起きは分かっていても、失敗してしまうと、反省し過ぎてしまい、後悔に発展することもあるでしょう。
どのようにして立ち直るかということがポイントになるのですが、やはり真氣光を受けて、マイナスの氣の影響を小さくすることが第一に挙げられます。
失敗してしまったのですから、これを次に生かすことしかできません。
どうすれば良いのか、しっかりと考えることです。
それを成し遂げられた時の自分をイメージできたり、それまでの細かなステップを頭に描いておくことも、簡単に諦めないで続けられるポイントです。
また、周りにポジティブな人がいることも大事です。
私たちは、人の失敗にも敏感なものです。
見守るという温かい眼差しを忘れて、あれこれダメ出しをしたり、咎めてみたり…。
私の場合、先代のポジティブ思考と失敗への寛大さが、亡くなった後も思い出す度に、私に大きな力をくれているように思えるのです。

(72)窮すれば通ず

 私は、いつも月末・月初が忙しくなるのですが、今月は30,31日が土日になりますから、きょう29日の金曜日はチョット特別な日ということになっています。
氣の同調作用と、いつも言っていますが、忙しい時には忙しくなることが舞い込んで来るものです。
そこで、ボヤいたり、愚痴ったり、不満を口にしていると、更なるマイナスの氣が集まって来て、もっと厳しい状況に追い込まれるので、沈着冷静に次から次へと順序良く片っ端から仕事を仕上げていくしかありません。
今までに、「もうダメか」と思う時がありましたが、「窮すれば通ず」のことわざ通り何とかなるもので、何回も修羅場をくぐっていると、そのうちに「これも大丈夫だ」と、何処かにヘンな自信がついてくるものです。
 この言葉「窮すれば通ず」を、ことわざ辞典を調べてみると『これ以上は駄目だという行き詰まりまで行くと、案外うまく切り抜けることができるものだということ。
出典は中国の「易経」』と、あります。
氣の観点から分析すれば、マイナスの氣の影響を強く受けると、もう駄目かもしれないと思う程の行き詰まりまで追いやられてしまうのですが、でも何とか助けようとしてくれるプラスの氣が力を貸してくれるから、どうにか事無きを得られるということでしょう。
もちろん、いつもプラスの氣を当てにして、ピンチは救ってくれるものだと過信していると、プラスの氣も「もう面倒は見ていられん」ということになるでしょうが、私の場合、プラスの氣も辛抱強く付き合って下さっているようで、本当にいつも感謝の気持ちで一杯です。
そのうちに行き詰まりだと感じる限界点が上がり、どんどん出来ることが増えてきたのですから、ありがたいものです。
 ところで、どんな人にも、このプラスの氣が存在しています。
ですから、「行き詰まり」を感じた時にも諦めることなく、いかにマイナスの氣を遠ざけ、プラスの氣と波長を合わせて、そちらからの応援を受け易くするかということがポイントになります。
諦めてしまっては、どうにもこうにもプラスの氣は応援のしようがないわけです。
過去にも大きなピンチがあったはずです。
氣の性質から、気持ちが沈むとマイナスの氣が集まり、さらに同調してマイナスの氣が集まり、それがどんどん繰り返されると私たちは生きてはいられないということになります。
いま私たちが生きているのは、どこかで必ずプラスの氣が助けてくれていたからということです。
それを思い出し、ピンチに陥っても何とか出来ると思うことです。
真氣光を受けている人は、プラスの氣の応援が受けやすくなっているはずですから、決してそれも忘れてはいけないのです。

(71)良薬口に苦し

 今日から3日間、3回目の真氣光オンライン研修講座が始まります。
4月、5月にも開催したオンライン研修講座、オンラインとはいえ強力な氣が受けられるということでは通常の研修講座と同じであるばかりか、自分の家や地域にも氣が届くということが、受講者の体験談から分かっています。
またオンラインでは、日本全国から参加しやすいという特長がありますから、あちらこちらの地に住んでいる方々が強い氣を受けていただけることで、その方の縁を通して一気に氣が届きやすくなるということがあるのです。
さらに、来週には東京センターで研修講座があり、一週あけて次の週にはメンバーズの集いがありますから、年末に向け、読者の皆さんのお宅で受けられる真氣光もより強力になっていきます。
ですから、マイナスの氣がプラスに変わることで、一見良くない反応、つまり好転反応が出ることもありますので、気持ちを前向きに、洗心のための指標の一番最初の項目、マイナスの氣に負けないように「強く」を忘れずに生活しましょう。
 好転反応とは、真氣光という光によって物事が良い方向に好転するのですが、その前に、マイナスの氣によって一見良いこととは思えない出来事が現れる反応です。
光が強ければ強いほど、強いマイナスの氣をもプラス(光)に変えることになりますが、マイナスの氣の抵抗も強くなりますから好転反応がキツくなることがあります。
 私は、この好転反応について「良薬口に苦し」ということわざを思い浮かべます。
ことわざ辞典で調べてみると、『その人のためになる忠言は、当人には聞き入れにくいというたとえ。病気に効く薬は苦くてのみにくいものだということから。中国伝来のことわざとしては、平安時代から今日までずっと用いられ続けてきた、最もよく知られたものである』とあります。
 自分にとって嫌な「忠言」は、昔から自分と一緒に居たマイナスの氣であればあるほど、深い所で邪魔しようとするものであればあるほど、「聞き入れにくい」ことになっているものです。
しかし、それを放っておいては、マイナスの氣によって、いつまでも影響を与え続けられ、彼らの思うツボにハマリます。
 人からの忠言ばかりではなく、自分の「氣づき」も同様です。
分かっていても出来ないこと・しないこと、気がついていても実行に移せないこと、自分にはこれが足りないのでこうしたい・こうやりたいと思っても、それを行動に移せないこと…等々、マイナスの氣と深い関係にあります。
好転反応を早く乗り越えるには、真氣光を十分に受けることはもちろん、「聞き入れにくい」ことこそ重要なカギなのです。

(70)負けるが勝ち

 「負けるが勝ち」という諺があります。
辞典で調べてみると「その場では勝ちを相手に譲っても、長い目で見れば自分の方が優位になるということ。
…江戸後期から、いろはカルタを通して馴染まれてきた」とあります。
私は、たくさんの人に氣を送って来ましたが、氣を受けている人の口を借りて出てくる、霊的な存在(私はマイナスの氣と言っています)の話から、この諺の意味を再確認することが度々あります。
 夫婦喧嘩が絶えないという方に氣を送っていた時のこと、この奥さんはご主人の悪口を言っていましたが、奥さんの先祖に昔、酷い目に遭わされたという恨みを持ったマイナスの氣が出て来ました。
夫婦仲を悪くして不幸に陥れたいのです。
奥さんは、喧嘩をしても相手が悪い事ばかりで、こちらから歩み寄る必要は無いと言います。
氣を受けて出てくるマイナスの氣は氷山の一角で、まだまだ層になって積み重なっている似たような恨みを持ったマイナスの氣があるものです。
それをプラスに変えられるのは、日頃から相手に歩み寄る姿勢です。
私は、「日頃から真氣光が充電されているので、奥さんから歩み寄ったり謝れると残りのマイナスの氣がどんどん光を受けて変わっていけますよ」と、アドバイスしたのです。
 夫婦喧嘩ばかりではなく、仕事や友人関係でも似たようなことはあります。
人づきあいの中で、意見の相違から許せないと思うことから、お互いが気まずくなることもあるでしょう。
その時、軽くでも謝れることは、自分に影響を与えていたマイナスの氣に相当なインパクトを与えます。
恨んでいるマイナスの氣は、先祖に自分がたいへんな目にあわされたので、負けを認めさせたいと思っています。
そこでその人が謝れると、氣の充電も伴って、あっという間に気が済んだようになり光の方に行かれるのです。
実際には謝らせた方が勝ちのように見えますが、氣の観点からは前述のように、謝れた側に急激に光が増えるということから、「負けるが勝ち」ということが言えるのです。
 また、恨みを持っていたり、光を嫌がっているマイナスの氣の強い抵抗を受けると、好転反応と呼ばれる一見悪い出来事が起きることがあります。
プラスの氣が存在していても、マイナスの氣に負けたかのようになる現象ですが、それもそこから私たちは何かに気づくことができるし、真氣光をやっていれば、さらに氣を受け光を強めることができるのです。
少しの間は、マイナスの氣に負けた状態でも、そこから大きく光の方へ事態を転じることができるというものです。
 より高いところに存在しているプラスの氣の「負けるが勝ち」ということなのです。

(69)棚からぼた餅

 そろそろお彼岸です。
甘党の私などは秋分・春分の日が近くなると、おはぎとぼた餅を思い浮かべます。
秋は萩の花から「おはぎ」、小豆の収穫に合わせ新鮮な豆そのままの粒餡を使い、一方春はこし餡を使って春の花である牡丹から「ぼた餅」と言うようになったとの一説がありますが、私はどちらも好物で、名称や餡の種類には何のこだわりもございません。
 ところで、「棚からぼた餅」という、ことわざがあります。
ことわざ辞典で意味を調べてみると、「思いがけない幸運のたとえ。
またその幸運に出合うこと。
棚のぼた餅が偶然落ちてきていい思いをしたことから。
……ぼた餅は江戸時代には、人気の食品だった。
現代では、それほどではなくなったが、「棚ぼた」と言われ最も普及していることわざ」と、あります。
普及しているということは、現代人は棚ぼたを望んでいるのか?感じているのか?私は氣の観点から、二つのポイントがあるように思います。
 一つ目は、辞典に「思いがけない」とありますが、この思ってもみなかったという気持ちが大事です。
「洗心のための指標」にある「プラスの氣を引き寄せる心」の中に「…我を折り、よろしからぬ欲を捨て…」とありますが、あまりに我・欲から願うと、それがマイナスの氣を引き寄せ、プラスの氣の応援を受け難くなることがあるからです。
 もう一つは「幸運」です。
幸運は、プラスの氣によるものですが、直ぐにではなく後になってわかるということが多々あり、広く捉えることが大事です。
 例えば、棚から本が落ちて来て、その本に真氣光のことが書いてあって研修講座を受講したという人がいました。
棚から「ぼた餅」ならぬ「本」なのですが、後々真氣光により人生がすっかり好転したとなれば、これは思いがけず幸運なことだった、つまり棚ぼたの域に入るわけです。
 これまでを、振り返ってみてどうでしょう?自分の意志で生きて来たと思いがちですが、偶然が重なるようにして、いろいろなことが起こってきたはずです。
ある家に生まれ、家族の中で育ち、結婚して、子どもや孫がいる。
少々問題はあっても、いまの生活に満足していたり、感謝できたとすれば、そこに繋がっている過去も幸せなことのはずです。
つまりは、自分の意志ではない、思いがけない幸運ということで、つまりは棚ぼたの連続だったということに感謝でき、それにより更にプラスの氣の応援が受け易くなるのです。
また、いま身の周りに幸せを感じられない人も、真氣光を受け、いいとこ探しをすることで良いことが多くなります。
今が幸せになり、少しずつ過去も変わるでしょう。
真氣光をうまく利用して、そのような棚ぼたの連続を感じたいものです。

(68)腹が減っては戦ができぬ

 きょうは朝から、早めに原稿を書き上げようと意気込んでいたのですが、友人からのクール便が届き、お礼のメールを書き上げていると郵便局の人が来て、そうこうしていると銀行から電話がかかってくるなど、いろいろな用事が舞い込んで、なかなかこの原稿が進まないのです。
忙しい時にはいろいろなことが舞い込んで来る「氣の法則」だと思っていたのですが、そのうちに何を書こうか考えが全くまとまらなくなってしまいました。

 こういう時には、焦れば焦る程、わけがわからなくなるものです。
昔は、こういう状況に陥ると復帰するのに少々時間がかかっていましたが、ある時からは慣れたもので、焦っても仕方がないと開き直るようになりました。
そうすると、何処からかアイデアが降って湧いてくるのです。

 きょうも、何を書こうか決まらないまま、お昼になってしまい、ふと時計を見て「あれ12時を過ぎている」と思った瞬間に、思いついた言葉が「腹が減っては戦ができぬ」でした。
十割蕎麦の乾麺があったことを思い出し、冷蔵庫の隅に残っていたトロロイモと、昨晩の残りのマイタケの天ぷらを入れて昼ご飯にすることにしました。
そして食べながら、これを題材にして書くことに決めたのです。

 このことわざを辞典で調べてみると「しっかり腹ごしらえをしていなければ、良い仕事や働きはできないというたとえ。江戸末期の脚本に似た表現がある」と、あります。
昔から広く言われている言葉で、よく私の母も使っていたものです。
「戦」とありますが、肉体面、精神面で最もエネルギーを消耗する戦を仕事などの比喩として取り上げたのでしょう。

 この言葉は、腹が減ると体はエネルギー不足になり、たくさんのエネルギーを消費する脳も良い働きができませんから、文字通りに「腹を減らすな」と解釈できます。
また、準備が大事だという捉え方もできます。
目先にたいへんなことがあると、そちらに氣をとられ肝心なところには意識を向けられません。
逆にマイナスの氣は、注意散漫にして肝心なことが出来ないように仕向けるものです。
ですからその手にのらないように、準備を怠らないようにしなければいけません。

 さらには、準備という点では、真氣光を日頃からしっかり受けるということも大事です。
「氣の充電」とよく言っていますが、ある程度、光のようなエネルギーが浸透していかないと、マイナスの氣はプラスになって消えていきません。
精神的にも肉体的にもヤマを乗り越えるには、日頃の氣の充電はとても大事です。
あまり無頓着なのも困りますが、焦っても仕方がありませんので、しっかり準備して臨んでいただきたいと思います。