私が氣を送っていると、時にはその人に影響を及ぼしている別の魂が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。
あるとき出てきた魂の話です。
私がある女性に氣を送っていると「気づかせてなるものか」と言うんです。
私は「えっ」と思いましたが、咄嗟にこれは彼女自身ではなく、彼女に影響を与えている別の魂(男のようです)だとわかりましたので、氣を送り続けていました。
そうすると「病気治しで十分だったんじゃなかったのか?それ以上踏み込んでもらうと困るんだよ」と言うのです。
氣を受けている彼女は、確かに最初は体の調子が悪かったので真氣光を始めたのです。
さらにその魂が話を続けます。
「全ての病気が治るなんてありえないんだよな。どんなやつも、老いぼれて最後は何かの病気で死ぬんだ。病気が完全に無くなるなんて、あり得ない話さ」私は特に何も話をせず、彼女の魂に真氣光の見えない光が届くように、さらに集中して氣を送りました。
すると「気づかれちゃうと困るんだよ。こっちの思い通りにならないじゃないか。思考をコントロールするのが、俺たちのやり方だ。体が楽になったところで満足してもらいたかったが・・・。もうこれ以上ここにはいられない。」と言います。
私は、彼が何ものなのかと思い、聞いてみたのですが「手の内が分かってしまうだろう」という言葉を最後に、何処かに行ったのか、何も言わなくなってしまったのです。
俺たちということは、グループのようです。
過去に亡くなっている魂もしくは体を持たない魂で、どのような思いを残しているかはわからないのですが、そのような存在が本来の私たち自身の魂に影響を与え、コントロールしようとしていたのです。
真氣光はそれを受ける人自身の魂にエネルギーが入っていきます。
もしもその人に影響を与えている何ものかがいても、氣を受け続けることで同調できなくなり浮き上がってくるような形になるのです。
その時、気持ちや体に一見マイナス的なことが起きたり、本来の自分自身と違うような感覚が生じることがあります。
その時に自分自身の内面に目を向け氣づこうと意識することで、完全に切り離しができ、私たちは一層魂の持つ光を強めるのです。
確かに真氣光を受けることで、心や体が癒されます。
しかしそればかりではなく、真氣光は私たち自身の魂を強くする氣づきを促すエネルギーだということなのです。
先代が氣づきの重要性を唱えて15年、そのことで光が届いたからこそ浮かび上がった魂の話とも言えるのです。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]