(68)報われない思い

 私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、その人とは全く別の魂が出てくることがあります。
私は、既に体を失っている彼らから、いろいろな事を学んできました。
そこでわかったことは、どのような気持ちになっていると魂が光を失い、苦しみのまま暗いところに存在しなければならなくなるのかということです。
だから、今のうちに少しでも、そのような気持ちを少なくしていくことが大事なことであり、その一つの目安として洗心の指標を紹介するようにしています。
先日会長セッションで、ある女性に氣を送っていた時のことです。
洗心にはない心の状態ですが「一生懸命やって来たのに誰も分かってくれなかった」と言いながら出てきた魂がいました。
憎しみや怒りなどの強いマイナスの氣ではないのですが、なかなか光が届かず直ぐには楽になれないようです。
誰にも理解されない、自分のしてきたことが何の意味もない、そのような気持ちが、激しさはないのですが魂の輝きを大きく失わせるのです。
氣を送るうちに、だんだんと自分で自分を認められるようになり、光が見えて来たと言って消えていったのです。
 報われない思いとはどういうものでしょうか?
人は何かを一生懸命にやったのにもかかわらず、周囲から認められなかった時、そのような思いにかられるのではないでしょうか。
それでは、その思いのまま亡くなってしまったらどうでしょう。
ずっとその思いは続き、さらに報われない時を過ごすことになるのです。
たとえ自分の思い通りの結果、生き方だったとしても誰かに認めてもらえなければ何か寂しく、すっきりとした気持ちにならないものです。
それはあまり意識することはないかもしれませんが、誰にでもあることで、また不満とも違っていて、少し悲しみを含んでいるのです。
ですからマイナスの思いではあるものの、非常に表に現れにくく、内に秘めた思いとして奥深くに持ち続けてしまうことになるのです。
そしてこれを現すことは、一つの恥であるという思いからも決して現そうとしない人達も多くいます。
しかし、このような現れにくいマイナスの思いにも光をあてなければいけません。
ともすれば激しいマイナスの思いに意識がいきがちですが、こうした良識あるものたちが陥りがちなマイナスの思いも、まだまだたくさんあり、光になる時を静かに待っているのです。
このような謙虚さゆえのマイナスの思いにも、もっと目を向けるべきであり、この思いに苦しんでいる人達はたくさんいます。
これからは、このような現れにくいマイナスの思いにも意識して光を送らねばと思ったのでした。
(中川 雅仁)
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