(60)霧の中で彷徨う魂たち

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、別の人格が出てくることがあります。その人に影響を与えている魂で、大別すると、辛い苦しいなどマイナスの感情をもっているものと、子孫を思う先祖や守護霊などプラスの感情をもつものがあるようです。ある時、氣を送っていると出てきた魂は、辛くも苦しくも悲しくもないが、ただ行き場が無いと言います。その魂が話した内容は次のようなことでした。「何がいけないんだ、何も見えない。霧の中に置き去りにされているようだ。私は苦しくも悲しくもない。私の家族は幸せに生きている。誰かを恨んだり呪ったこともない。私は普通に生きたんだ。この世には何の未練も無い。自然にあの世に行けるものではなかったのか。そりゃ死ぬ時は少し苦しかったが、今は苦しくもないんだ。死んでから行くところが無いなんて不思議なものだ。何も要らない、なのに何故行く場所が無いんだ。生きている者に迷惑もかけたくない、世話にはなれん。・・・この霧の中には、会うことはできないが、他にもたくさんの人が立ちすくんでいるようだ。・・・」私は一生懸命に真氣光を送りましたが、なかなか光が見えてこないようです。しばらく時間が経過して、その魂は話し始めました。「何かがはっきり見えるのではなく、霧が薄くなって光が見えてきた。あの光になるということか?この光になったらどうなるのかなぁ、悪い気はしないが・・・」そして最後に「この光の方に行けば苦しいことも無さそうだ」と言って消えていったのでした。 こ れまで、いろいろな魂の話をしてきました。たいていは辛いとか苦しいという強いマイナスの感情に支配されていますので、分かって欲しい、早く楽になりたいという思いがあります。自ら何か楽になれるすべはないものかと必死に求めているがゆえに、最初は真氣光の光が怖くて受けることを拒んでも、次第に楽になっていくことがわかると、光の良さを理解しやすいという特長がありました。ところが、この魂は、そういうわけにはいきませんでした。強いマイナスの感情は無いけれど、行き場がわからなく彷徨う魂の辛さがわかります。そして、今そのような魂がたくさん存在しているようなのです。テレビなどの影響でしょうか、魂の存在を信じている人が増えていると言います。良いことですが、死んでもすぐに生まれ変われるという誤解もあるようです。実際には、亡くなった人を光に導くのはたいへんなことなのです。私は、それができる真氣光の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思うのです。