平等に与えられている時間の使い方

 先日、月刊ハイゲンキ巻頭対談の取材で、禅宗のお坊さんでもあり、大学教授、庭園デザイナーとしても活躍する枡野俊明さんにお話を伺って来ました。
以前、私が『心配事の9割は起こらない:減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』(三笠書房)という本を読み、ぜひお話を伺いたいと取材をお願いしていたのですが、それが実現したのでした。
私たちは、ついつい心配事、悩み事に頭を占領されてしまいます。
それが「9割は起こらない」と言い切った枡野さんの著書、禅の考え方は、とても参考になるものです。
禅は鎌倉時代から武士達によって広められたということでした。
現在はストレス社会だと言います。
昔の武士達は、「生きるか、死ぬか」、ストレスという言葉はなかったかもしれませんが、現代以上のストレスに曝されていたのではないでしょうか。
 ところで、時間は誰にでも平等に与えられている唯一のものです。
この時間をどう過ごすか?どのように活用するかによって、その人の魂の輝き方が大きく変わってくるのです。
このことに今一度気づくことができれば、この先、生き方が変えられる一つのチャンスになるかもしれません。
人は得てして、心配や悩み事、他と比べて自分が持っていないもの、与えられていないもの、劣っていると思うことを見つけては落ち込んだり、イライラしたり、惨めな気持ちになったりします。
逆に自分の方が他より優れている、恵まれていることに安心したり、優越感を覚えてしまうのです。
どちらもよくあることで、当たり前のことのようですが、この気持ちの振れ幅が大きい程、人は心のバランスを崩しやすくなるのです。
自分という存在は唯一無二であり、その自分には他の人と”同じ時間が与えられている”ということだけを考えた時、その時間の過ごし方をどのようにすれば幸せになれるのか?輝けるのかということに、できるだけ時間を使ってみようということになるのです。
 この時間の使い方は、もちろんみんな違っていていいのです。
なりたい自分のためでもいいし、誰かのための時間でもいい、そしてもう一つの大切なことは、その時間が自分にとって都合の悪い時間かもしれません。
そんな時こそ、自分を信じ、できることを一つ一つやっていくことなのです。
その時間の使い方が魂の輝きを増し、成長を続けていくことに繋がります。
宇宙からの真氣光は、そのような人達を応援するエネルギーなのです。
 枡野俊明さんとの対談は月刊ハイゲンキ10月号に掲載の予定です。
お楽しみに。
(中川 雅仁)
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考え、気づいて、工夫をしてやってみる

 テレビを観ていたら、「大学の食堂に一人で食べる“お一人様席”が登場した」と、キャスターが話していました。
最近は、誰にも気兼ねせずに一人で食べたいという意見が多いようで、「友達がいない人」に見られるという、人の目も気になるのでは?というコメントもありました。
私の学生時代には、食堂で友人ができたり、情報交換の場だったものですから、少々ビックリでした。
そうかと思えば、電車の中で人目を気にすることなく化粧をする、物を食べる人もいるとか。
番組では、友人など自分に近い人の目は凄く気になるが、それ以外の人に対しては全く人目が気にならなくなる傾向があるとの分析でした。
 ところで、人の目を気にして何かノビノビとできなかったり、窮屈な思いをしたり、心からリラックスできないことは、誰にでもあることです。
また、全く人の目が気にならずに周りがどうであろうと、自分のペースでしたいことをしてしまうというのもありますが、氣の観点から言うと、どちらもあまり望ましくない状態だと言えます。
前者の場合は、自分に自信がなく、いつもどうして良いのかがわからなく、他の人の評価によって、それを確認している場合です。
それは、「両親など他人から言われたとおりに行動すること」にすっかり慣れてしまい、「自分で考えて行動すること」があまりなくなってしまっている状態かもしれません。
でも心の中には、他人から「こんな風に見られたい」という理想の自分がいるために、つい人の目を気にしてしまうのです。
それは、いつも自分の意志が弱い状態、つまり魂のエネルギー(氣)が弱くなってしまうので、強いマイナスがあれば必ずと言っていいほど影響を受けてしまうことになります。
とても良い環境にいることができれば問題はないのですが、もしそうではない場合には、マイナスの氣の影響を受けてしまうので、とても生きづらくなってしまいます。
 だから、少しずつでもマイナスをプラスに変える練習を、若い時からできるようにしていくのが良い事なのです。
どんなことでも自分で考え、気づいて、工夫をしてやってみる。
これができるようになることが、より良く生きるためには、とても重要なことです。
うまくやろうとか、得をしようとか、何か自分にとってラッキーなことだけ考えていたのではマイナスの強いエネルギーに、やがては取り込まれてしまいます。
また、後者の全く人目が気にならない場合は、すでに強いマイナスの氣の影響を受けていると考えられます。
どちらの場合も、真氣光が後押しをするように作用して、出来ないことも少しずつ変わりますので、工夫して氣を受けてみることなのです。
(中川 雅仁)
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真氣光とご縁のある鹿児島

 今日は朝から鹿児島にやって来ました。
鹿児島での会場は20年程のお付き合いになる、たぬき湯さんです。
空港からは、いつもレンタカーですが、今回も空港のインターから高速にのりました。
途中、桜島SAでトイレ休憩と思い停車したところ「まんじゅう」の文字が、私の目に入りました。
お店がちょうど営業を開始したところで、中年の女性達が駆け寄っています。
私は饅頭好きなものですから「ご当地饅頭、これは食べずして帰れない」と一つ買ったのです。
よく見ると加治木饅頭(かじきまんじゅう)というもので、鹿児島県姶良市加治木町で江戸時代中期からつくられている蒸し饅頭、由緒のある物だったのです。
1478年に中国から薩摩にもたらされたとする説や、1606年に島津義弘にお茶うけとして供されたのが始まりとの話もあります。
白いふかふかの酒饅頭、私にはとてもおいしいものでした。
この饅頭、空港・駅の売店やデパート等では殆ど取り扱っておらず、地元での知名度は高いが他の地域ではほぼ無名に近いということです。
これもご縁ですので、きょうはこれにまつわる話をします。
実は加治木というところは、真氣光とはとても縁が深いのです。
1989年先代が48日間拘留された警察署が加治木署です。
「何の効果もないものを効くと言って売った」とハイゲンキが詐欺罪で摘発されたのです。
先代は逮捕されたのですが、「騙された」という被害者は見つからず、詐欺罪から「医療用具のようにして売った」という薬事法違反に切り替えられ、初期の50台のみが違反という判決を受けました。
しかし、先代は納得できず最高裁まで持ち込んだのですが、結局先代が亡くなったことで、この裁判も終了したのです。
 先代は拘留されたときに、いろいろな氣の実験をやったと後々話してくれました。
鉄格子越しに氣は届くのか?分厚いコンクリートではどうか?離れている人にも氣が送れるということが確認できたので、先代はこの時から全国の人に氣を送る、朝7時・夜10時から15分間の真氣光タイムが始めたのです。
当時は、氣が時間や空間に関係なく届くということは分かっていませんでした。
今でこそ、誰もが当たり前のようにやっている遠隔真氣光も、まだ誰も知らない時代です。
普通であれば、気持ちがすっかり滅入ってしまうような時にも、マイナスなこととは考えずに、心配や不安ではなく、一生懸命に今できることを探して行動する。
先代の前向きな姿勢がなければ、真氣光タイムや遠隔真氣光、さらには真氣光も続いていなかったことでしょう。
(中川 雅仁)
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気づくことを意識する

 私は、今日からの真氣光研修講座のため、札幌から1時間弱のところにある新篠津村にやって来ました。
研修施設の窓からは、石狩平野の広大な大地が目に入り、北海道を満喫できます。
今回はどんな研修になるでしょうか?
毎回のことですが、私は研修講座に参加される方が少しでも多くの氣づきを得て、晴々とした笑顔で帰って行かれることを思いながら準備をしています。
先日セミナーで、研修講座を効果的に受けるには、どのようなことに注意したらよいかという話になりました。
私は「意識的に受講する」こと、つまり自分と自分の周りの氣が変わることで、いろいろなことが変化しますが、変えたい、変わりたい、問題のあるところを自ら意識できると、そちらに氣が届きやすくなるので、効果が大きくなるという話をしました。
 人は、良くない出来事や、そのような状況を体験することで、大きく成長できるようになっています。
それはそこから大切な氣づきを得て、その人の考え方や行動が大きく変わるからです。
これは一般的に、人生の転機と呼ばれるものです。
でも、その転機の質も内容も時期も、人それぞれでありすべての人が良い氣づきを得て、人生を豊かにしているとは言い難いこともあるのです。
なぜなら、良くないことを体験し、その中から大切な氣づきを得るということが、それを体験して乗り越えた人にしか理解できないからです。
もし気づくことの大切さを知らなかったら、それをそのたいへんな出来事の真っ只中でやろうとは思いません。
また、良くない出来事を乗り越えることで人は強くなり、前よりも良い人生が送れるようになるということは知識として分かっていても、どのようにしたらそうできるのかということは、なかなか分かりません。
そして大半の人達が、自分にはそんなことはやってこないし、ごく平凡な人生だと思っているのです。
でも、その平凡な人生の中にも、たくさんの一見マイナスの出来事があり、そこから気づくことがあるのです。
大きなマイナス、小さなマイナスに関わらず、この気づくということを、そこから得ることができれば、その人の人生はとても豊かで有意義なものになるでしょう。
気づいて日々の生活を良い方へ、少しずつ変えられることで確実に、その人自身がもつ氣のエネルギーが良くなっていき、魂が強くなっていくのです。
そうすることで、その人の周りにも良い氣のエネルギーが集まって来るようになるのです。
真氣光という宇宙エネルギーは、氣づきを促します。
ひと月の中でも研修講座期間中は、たくさんの真氣光が受けられますから、何に気づいたら良いのかと意識してみるとよいでしょう。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「打ち水」

 「打ち水」は涼を求める昔の人の知恵です。
原理は、朝夕の「打ち水」によって家の周囲の地面の温度の上昇を抑え、まいた水が蒸発する時の気化熱が周囲の気温を下げ、その結果として家の周りを涼しくするというものです。
実際、1~2度下がるという実績データも出ています。
「打ち水文化研究所」は打ち水大作戦を全国規模で行っており、参加者も年々増えつつあり、全国で年に約300万人以上が参加していると言われています。
また、古くから日本には「水」に対して「禊ぎ(みそぎ)」の思想があり、「打ち水」もこの清めの意味があったと思われます。
それで、水で門口や玄関を清める心遣いもあったと言われています。
(本社 加藤)
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断捨離のやましたひでこさんにお会いしました

 昨日私は、断捨離の「やましたひでこ」さんに月刊ハイゲンキ9月号の巻頭対談の取材で、お話を伺いました。
昨年、PHP研究所から龍村修先生とやましたさんの共著「伝説のヨガマスターが教えてくれた究極の生きる智恵」という本が出版されています。
この本、私は龍村先生から頂いて読んでおり、そこから断捨離とやましたさんを知っておりました。
やましたさんは先代の時代、’92年に当時下田で開催していた研修講座にも参加されていらっしゃるのですが、お会いしたのは今回が初めてです。
(私の方が後に受講していますから「先輩」になります)
 断捨離という言葉は、沖先生の残した言葉なのだそうです。
謂わば一部の人だけしか知り得なかったことが、たくさんの人が知ることができるようになったのは、すごいことです。
お話を伺うと、やましたさんご自身が、出来ないと思っていた断捨離を徹底的に実践したことによって、それが真に自分のものとなり、その結果皆さんにお話できるようになったということです。
苦労されたことによって、それが大きな氣づきや学びになり、ご自身の氣(魂のエネルギー)を飛躍的に高めたということなんですね。
 人には必ず長所と短所があるように、物事にも良い面と悪い面があります。
そして、その両方を見ながら、良い方へと成長していくことが望ましいことです。
人の場合はできるだけ長所を伸ばしていくということもありますが、やはりそれだけでは人として成長するには不十分だということもいえます。
人は、はじめから完璧ではありません。
いろいろなことに気づき、学びながら成長していきます。
その時に、長所や得意なこと、好きなことだけをやっていたのでは、あまり学びがないからです。
嫌なこと、苦手なこと、自分の短所をどうやって無くしていくかということを考え、工夫していくことで、人間性が広がり、強い心が育つからです。
でも、このマイナスと思えることだけに目を向けると、マイナスの氣に同調してしまい、やる気を無くしてしまうこともあります。
自分はなんて駄目な人間なんだと落ち込んで前に進まなくなってしまったり、何となくすっきりしない重たい気分の毎日になってしまうかもしれません。
だからといって、そこには目を向けずに「まぁいいか」と日々楽観的に過ごしていたのでは、あまり成長は望めないのです。
やはり、プラスを多くしてマイナスを少なくしようと心がける生活をすることが大切です。
断捨離、仕事、勉強、人間関係等々…苦手なこと困難と思えることに向き合う時には、真氣光のエネルギーが大きな後押しをしてくれるのです。
(中川 雅仁)
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真氣光を利用して、人として自立する

 今日は、仙台に向かう電車の中で、この原稿を書いています。
人は、本当に一人では生きていけないとつくづく感じます。
例えばこの電車、当然鉄道会社の人が運転してくれ、この電車の運行には、多くの人が関わっています。
また、駅のフォームで駅弁を買いましたが、売ってくれた人がいて、運んだり棚に配列したり、その駅弁の材料を提供してくれる人がいたりと、これもまた多くの人が関わっているはずです。
当たり前だと思えば、その通りですが、いろいろ考えてみると、本当に一人では生きていないことに気がつきます。
必ず誰かの協力や手助けがあって、この社会で生きています。
しかし、だからといってそれは誰かに頼って、依存して生きているのでしょうか。
私は違うと思います。
生活する上で、自分一人でできることと、できないことがあるのは当然のことだと思うからです。
 誰かに依存することとは、これとは違っていて、一人で何かをしているようで実は精神的にとても弱く、不安定な状態であるということだと思うのです。
これは、何かいつもと違うことが目の前に起きた時、とても動揺してしまったり、怒りがこみ上げてきたり、マイナスの感情が自然とすぐに湧いてきてしまうという状態です。
誰かが自分のために何かをしてくれなければ、幸せではないと思ってしまうことです。
自分一人でできることと、本当の意味で人として自立することは違うことなのです。
 自分一人で考え、行動して、気づけるようになってこそ、人として自立して、より良い人間関係を築けるようになると思います。
マイナスの氣の影響を受けている状態から、気づいてそれを光に変えることで、自らの魂の輝きを増やすことです。
自分の気持ちを優先させたり、嫌なことを避けていたのでは、いつまでも自立することはできないでしょう。
人として成長するためには、自分で解決していけるようになることです。
そして忘れてはいけないのは、たとえそれが上手くいったとしても慢心することなく、次へと進むことです。
世の中は、上手く生きて、人よりも自分は優れていると思って生きる人を、賢いとか素晴らしいと評価しがちですが、そんな評価は何の意味もありません。
本当に人として生きている限り、成長しつづけることが一番の成功だと思うからです。
そして一人の人間として、魂として、自立した強い光を放てるようになることこそ、生きる意味であり、自分のため、人のため、世のためになることだと思うのです。
それには真氣光を、とことん利用することだと思うのです。
(中川 雅仁)
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他と比べることで成長できる

 先週末の愛知県三ケ根山での真氣光研修講座を終え、私は翌日の月曜日、慰霊の日の沖縄でのセッションを終えて東京に戻りました。
研修講座に参加していただいた皆さん、沖縄の皆さん、ありがとうございました。
 今回もそうでしたが、真氣光研修講座に参加して4日間を共に過ごすということは、本当にご縁のあることだと思います。
真氣光研修講座は、先代の時代から団体生活を基本にしています。
講義ばかりではありません。
寝るのも食べるのも、お風呂に入るのも誰かと一緒になります。
個人が尊重される今の時代には少々珍しいことかもしれませんが、真氣光を受けながら生活することによって、学べるところをたくさん発見できるのです。
人から直接教わることはもちろんですが、それまでは自分のことしか見られなかった人も、他の人と自分とを比較してみることができるからです。
 ところで、自分の置かれている状況や自分自身を他と比べ客観的に見るということと、他との違いに足りない部分を見つけて落ち込んでしまうこととは、似ているようで同じではありません。
時に私たちは、他の人と自分を比べ、出来ていないことや、自分が持っていないものなどに目が行き、なんて自分は駄目なのか、不幸なのかと少なからず思ってしまうことがあります。
では、足りない部分、出来ていない部分を見ずに、常に自分は幸せで満たされていて完璧なのだ、これでいいのだと思ってしまうことは良い状態と言えるのでしょうか。
そうではありません。
人は心や魂が成長するために生きているのです。
その成長のためには自分の足りない部分に氣づき、それがプラスになるような生き方、行動をとることなのです。
ですから何か他と比べて足りない部分、自分自身がこうありたいと思う部分があったのなら、やっぱり駄目だと思うのではなく、まだまだ成長出来る伸びしろが自分にはあるのだというプラスの面としてとらえ、少しの期待をしながら、何に気づけばよいのだろうと注意して考えてみると良いのです。
というのも何か物事がうまく行かない時や、気持ちがマイナスに傾いてしまうことにチャンスが隠れていることが多いからです。
そして気づくことをあまり難しく考えずに、「これかな?」と思ったら、まず出来るところから行動してみることです。
そうすれば、また違った氣づきが湧いて来て、また行動に移せます。
時は常に移り変わっています。
そして真氣光のエネルギーを受けている皆さんは、少し前とは氣の部分が確実に違うのですから、自ら良い方に変われるように動いてみることなのです。
(中川 雅仁)
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映画「ノア 約束の舟」を観て来ました。

 「神・光・善・悪・お試し…」。
人間を応援してくれる「光」。
洗心のための指標、いつももつべき正しい心「善」。
心の中からなくすべき感情「悪」。
ここまでするのか、と思ってしまった「お試し」。
特に光の存在には心を打たれました。
宇宙の光がこんな風に私達を応援してくれているのかなと、真氣光と重ねながら、ストーリーとしては少し物足りない感はありましたが、迫力のある、勉強になった映画でした。
(静岡県 Mさん)
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小さなことから自分を変える

 私は、水曜日の夕方から、愛知での研修講座開催のため西尾市、蒲郡市の境界にある三河湾国定公園に属する三ヶ根山に来ています。
途中の山道には綺麗な紫陽花が私たちを出迎えてくれ、眼下を見渡すと穏やかな海が広がっています。
昨日から33名の方々と3泊4日の研修が始まりましたが、毎年参加してくださる方、十年ぶりに参加される方、全く新しい方など、いろいろな皆さんです。
研修初日には洗心の指標の話をし、二日目の朝からは輪になって座り氣づきの時間(いいとこ探し)をすることにしています。
私はどんな人も研修をきっかけにして、「自分が変わる」ということが大切だと思っています。
 ところで、現状を良くしたいけれど、どうしたら良いのかがわからないことは誰にでもあるでしょう。
でも、その方法がわからないのです。
そして、それは自分が変わることによって改善してくということもなかなか気づかないものです。
さらに自分が変われるなどとは、思ってもみないし、変わろうとも思っていないのです。
まず考えることは、今のこの環境が自分に合わないのではないかと考えます。
そして、そこに居る人たち、そこで出会った人たちの中に原因を見つけようとします。
 そして、それを見つけたらできるだけ、その場やその人たちとの接触を避け、心の平常を取り戻そうとするのです。
もし、それを良しとして繰り返してしまったとしたら、とても生きにくい人生に自らがしていることになります。
しかし心を広く大きく、そして強くできたのなら、たいていのことは苦ではなくなり、もしたいへんなことが起きても乗り越える力が自然と湧いてくるようになるのです。
そして、乗り越えることによって、さらに心が強くなり、自分の力も増えていくことになるのです。
その時、最も大切なことは自分の足りない所に気づくということです。
その自分の足りない所、いわばマイナスの部分に気づき、そこにエネルギーを送り込むことで、さらに力を得ることになるのです。
では、今自分はどう変わればいいのでしょうか?そんなに急に大きく変われるものではありませんが、少しの小さな事でいいですから、変えてみようと努力することです。
真氣光を受けるとともに、そうすることで、足りない部分に気づきやすくなり、やがて大きく変われる時が来るのです。
研修に参加することでそれが容易になるのですが、参加していなくても出来ることですので、参加している気持ちになって、真氣光をたっぷりと受けながら試していただくと良いでしょう。
(中川 雅仁)
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