真氣光を利用して、人として自立する

 今日は、仙台に向かう電車の中で、この原稿を書いています。
人は、本当に一人では生きていけないとつくづく感じます。
例えばこの電車、当然鉄道会社の人が運転してくれ、この電車の運行には、多くの人が関わっています。
また、駅のフォームで駅弁を買いましたが、売ってくれた人がいて、運んだり棚に配列したり、その駅弁の材料を提供してくれる人がいたりと、これもまた多くの人が関わっているはずです。
当たり前だと思えば、その通りですが、いろいろ考えてみると、本当に一人では生きていないことに気がつきます。
必ず誰かの協力や手助けがあって、この社会で生きています。
しかし、だからといってそれは誰かに頼って、依存して生きているのでしょうか。
私は違うと思います。
生活する上で、自分一人でできることと、できないことがあるのは当然のことだと思うからです。
 誰かに依存することとは、これとは違っていて、一人で何かをしているようで実は精神的にとても弱く、不安定な状態であるということだと思うのです。
これは、何かいつもと違うことが目の前に起きた時、とても動揺してしまったり、怒りがこみ上げてきたり、マイナスの感情が自然とすぐに湧いてきてしまうという状態です。
誰かが自分のために何かをしてくれなければ、幸せではないと思ってしまうことです。
自分一人でできることと、本当の意味で人として自立することは違うことなのです。
 自分一人で考え、行動して、気づけるようになってこそ、人として自立して、より良い人間関係を築けるようになると思います。
マイナスの氣の影響を受けている状態から、気づいてそれを光に変えることで、自らの魂の輝きを増やすことです。
自分の気持ちを優先させたり、嫌なことを避けていたのでは、いつまでも自立することはできないでしょう。
人として成長するためには、自分で解決していけるようになることです。
そして忘れてはいけないのは、たとえそれが上手くいったとしても慢心することなく、次へと進むことです。
世の中は、上手く生きて、人よりも自分は優れていると思って生きる人を、賢いとか素晴らしいと評価しがちですが、そんな評価は何の意味もありません。
本当に人として生きている限り、成長しつづけることが一番の成功だと思うからです。
そして一人の人間として、魂として、自立した強い光を放てるようになることこそ、生きる意味であり、自分のため、人のため、世のためになることだと思うのです。
それには真氣光を、とことん利用することだと思うのです。
(中川 雅仁)
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