会長セッションももう終わり頃の出来事です。私は、少し離れたところでまだ横になっている女性A さんに氣を送っていたのですが、彼女が突然「負けられない」と言ったのです。私は、「何かな?」と思って、もう少し集中して氣を送ると「この人が頑張っているから、私も負けられない」と言うのです。私にはすぐに、A さんの口を借りて、違う人(魂)が出てきているとわかりましたので、氣を送りながら事情を理解するために話を聞くことにしました。内容は次のようなことでした。そ の魂は、随分苦労して一生を終えたようです。苦しいことばかりで楽しいことが何もない人生だったので、その辛さを少しでもA さんに分かって欲しいと思って、同じようなたくさんの辛い目に合わせてきたそうです。しかし、A さんは泣き言を言うどころか、辛いとも悲しいとも言わなかったらしいのです。これでもか、これでもかと、問題となることや、足を引っ張るような事を起こして来たのでしょう。「負けられない」という言葉の裏には、頑張っていろいろな事をしてきたけれど、「A さんには負けそうだ」という思いが隠れていたのです。この魂は、かなり昔からA さんのところにやって来ていて、いろいろなマイナスの現象を起こしていたのでしょうが、どんな事をしてもA さんが泣き言を言わないので、だんだん焦りを感じるとともにA さんの魂と波長が合わなくなって浮き上がってきたのです。それまではA さんの魂と一体化して分からないように隠れていられたのですが、真氣光のエネルギーも手伝って、こんなふうに口を借りて出てくることになったのです。私は、事情か分かりましたので、辛いことを分かって欲しかったというその魂に光が届くように意識して氣を送り、光の世界へと見送りました。よ くお祓いをして霊を祓うと言いますが、真氣光はマイナスの意識を持つ魂を、ただ取り除くのではありません。身体を失った魂も、辛い気持を抱えながら一生懸命に頑張っているのです。その気持を分かってあげることでA さんにも氣づきがあり、この魂の方にも光が届きやすくなるのです。辛 いときや苦しいとき、一見マイナスな出来事に遭遇したとき、早くそこから逃れたいと思うものです。つい泣き言が出てきそうになりますが、氣を受けながら、そこにはいろいろな辛さを持った魂の存在があるかもしれませんので、そちらにも光が届くようにイメージしてみてください。真氣光が効率よく吸収されることでしょう。
カテゴリー: たましいの話
(50)なぜ嫁いできた
私 が会長セッションでA さんに氣を送っていると、A さんとはまったく違う声で出てきた魂がありました。その声は苦しそうに「なぜ来た、なぜ嫁いできた」と言います。A さんが、実家のB 家からA 家に嫁いだことを非常に厳しく非難し、怒っているのです。どうも過去にAB 両家の間には争いがあったようで、一方的にA 家が滅ぼ
されたことによりB 家への強い怒りと怨み、さらには報復の念が、時間を超えて延々と続いていたようなのです。怨みをもっていることで相当な苦しみがあり、苦しいからより一層怨みの念を持ち、その繰り返しが続いていたのです。私が氣を送るうちに、だんだん苦しそうな声が穏やかになります。「やっと楽になってきた」と言い始めたので、「どうして楽になったか、わかりますか。あなたが怨んでいた、この人から光が来たのですよ」と話すと、うなずきます。「もう怨むのは終わりにしましょう。これから、いろいろよろしくお願いします」と私が言うと、スーッと光の世界に消えていきました。後 でA さんに聞くと、そんなこととは全く知らないで、当時ご主人がとても良い人に見えたのでB 家からA 家に嫁いだということです。結婚してからお姑さんとの仲が悪くなり今では往き来しておらず、最近ではご主人との仲もしっくりいかなくなっていたようです。私は、A さんが真氣光を受けるようになって充電が進んだので、やっと強いマイナスの部分に光が当たり始め、抵抗する魂達の影響がご主人の態度にも現れているように思いました。二人が出会って結婚することになったのは、確率から考えると非常に低く全くあり得ないと考えても良いほどだと思います。A さんばかりではありませんが、全く知らない二人が出会って結婚するということは、その意味を氣の観点から考えると、両家に光を与えるためとしか思えないのです。たくさんの人が苦しんでいるのかもしれません。中には、なかなか分かってくれない先祖がいるかもしれません。しかし、真氣光の光が徐々に浸透し、さらには光の世界に行けた人も手伝ってくれるはずですから、必ず明るい未来があると思うのです。今を生きる私たちが、過去に向かって光を与えています。私は、セッションが終わった後に、光の世界に旅立って行った人に「二人を見守ってください」とお祈りすると同時に、A さんにはこの先も辛い出来事があるかもしれないけれど、挫けることなく真氣光を続けて欲しいと願ったのでした。
(51)核開発者の苦悩
私は先週、月刊ハイゲンキの対談のために映画監督・鎌仲ひとみさんのお話しを聞き、新作「六ヶ所村ラプソディー」の試写会に行ってきました。鎌仲監督の活動については、小原田さんが(月刊ハイゲンキ2003年9 月号)行動派たちの新世紀のページで、映画「ヒバクシャ」について劣化ウラン弾の話を中心に取材しています。監督は「身体の中に放射性物質をとりこんだ現代のヒバクシャの終着点は私たちの足元、六カ所村だった。劣化ウラン弾は原子力産業から出てくる廃棄物から作られている。核の平和利用の副産物なのだ」と言っています。六カ所村に使用済み核燃料再処理工場ができ本格稼働寸前です。施設着工前には反対運動も盛んでしたが、今では大勢の人がその関連で生計をたてており、今では反対者も少なくなっているのが現状です。そんな六カ所村を、反対派・賛成派双方の目から撮られたドキュメンタリーでした。数 ヶ月前のことです。ある女性に氣を送っていたら、その方の口を借りて出てきた魂がありました。かなりの苦しみがあるのか、低い唸り声を上げています。私がしばらく氣を送ると、その魂は次第に楽になっていくようでしたので「楽になりましたか?」と声をかけたのです。すると「楽になってはいけない、私のためにどれだけの人が苦しんでいることか」と言うのです。何の事だろうと考えていると「私はたいへんな物を作ってしまった。それで多くの人があっという間に亡くなった。たくさんの人が苦しんでいるのに自分だけが楽にはなれない」と言ったのです。私はすぐに、核開発に携わっていた人だとわかりました。その人の強い自責の念を感じ、私は何とか力になりたくて「今は、あなたが作ったものの恩恵も受けています。あなたがやらなくても誰かが作ったかもしれない。今できることは、あなたも光になって地球の未来のために応援してください」と言ったのです。その人はしばらく躊躇していたのですが、こうしていても何も変わらないということが分かったのか、スッと光の世界に行かれたのでした。現 在私たちは大量の電気を使っていますし地球の温暖化も進んでいます。この問題は複雑ですが、人類が学び進歩していく過程で、どうしても通らなければならない道だと思うのです。今の満ち足りた生活に感謝するとともに、危険な作業に関わってくれている人たちに感謝し、かけがえのない地球であることを認識して行動することによりエネルギー消費を少なくしていくことが重要です。まずは多くの人が現状をよく知り、将来を考える必要があります。
(52)幸せになった…
ある日の会長セッションでの出来事です。A さんに氣を送っていると、苦しがる魂がA さんの口を借りて出てきました。手も身体も動かず、さらには、目は見えないし耳も聞こえない、口もきけないようなのです。うんうんとただ苦しそうに唸っていたのですが、私が氣を送るうちに、だんだん少しずつ口がきけるようになってきました。どうも長い間植物人間のようにして晩年を送ったようなのです。やっと話を聞くと、何も出来ないことをしきりに嘆いています。私もかわいそうに思いながら一生懸命に氣を送り、話を聞いていました。その魂は、一切の事が出来なくて、とっても不幸だと言います。不幸だから、幸せなあの世には行けないということなのです。私は、「たいへんでしたね」と聞くとうなずきます。聞こえなかったはずの耳が聞こえているようなので、「耳は聞こえますか」と聞くと「聞こえない」と答えます。長い間聞こえなかったので、そのように思いこんでしまっているのです。私は、手や耳や目など身体が無くなってしまって、魂の存在になったのだと説明しました。つまり身体は失ってしまったけれど、魂として聞こえるし、光も感じられるということを話したのですが、それには耳を貸さず自分は不幸だと言います。私 は、魂にとっての幸せとはどんなことだろうと想像してみました。身体がないのですから生きている時のように、お金があるとか、おいしい物を食べられるとか、物質的に恵まれたからと言って幸せを感じることはないでしょう。嬉しい気持ち、晴れ晴れする気持ちになったとき幸せと感じられるのかもしれません。その魂は、ずっと苦しかったので、そのような気持ちがまったく分からなくなってしまったのです。そんな事を考えながら氣を送っていると、次第に真氣光のエネルギーが届いてきたのか、「ああ明るい、気持ちいい」と言い始めました。最後に「幸せになれました」と言って光の世界に消えて行ったのです。最 近、延命治療についての報道をよく目にしますが、人は死に方で、成仏できたり、苦しんだりするのではないようです。辛い亡くなり方をしても、あちらの世界を信じ、幸せ感に包まれるように気持ちが切り替えられる人は、あの世に向かう光のトンネルを見つけられるのではないでしょうか。あとは、遺される家族が会えない悲しみを克服することです。亡くなられた人は、私たちより少し早く旅立たれただけです。また会えるわけですから、それまでお互いが魂磨きの修行をしっかりとしなければなりません。旅立つ人にも遺された人にも真氣光の光が氣づきをもたらしてくれるでしょう。
(53)何も言わなかった
私が氣を送っていると、A さんは胸が苦しいと訴え始めました。最初は辛そうにしているだけで何も言えないようでしたが、次第に氣が届いたのか楽になったようでした。そして、何かを話し始めたのです。話に耳を傾けてみると、どうやらご本人自身ではなく、その人の口を借りて出てきている違う人、つまり魂だったのです。「私は、何も言わなかった。みんなが、困るようなことは何も言わないから…。だから私が居ても居なくても誰も困らない、何も言わないから。名前があっても、ただの物。言いたいことを言わないで、ずーっと生きてきた。それがみんなのためと思っていた。でも自分のためにならないことは、人のためにはならないの。自分が、ただ弱かっただけ。誰のせいでも無い。どうしたら良いかわからなかっただけ。」その人は、心にたくさんのものを溜め込み、苦しいまま亡くなったのでしょう。しかし、亡くなった後も苦しさが続いていて、たぶん似たような体験を持つA さんのところに来たのだと思います。「でもね、私、この人に、こうやって自分の気持ちを言える機会を与えてもらったの。ね、こうやって…。良かった。」と言って、その魂は涙を流すのです。私は、彼女の話す言葉がずいぶん変わって来たことから、真氣光がかなり浸透してきたと確信できましたので、黙って氣を送り続けました。するとA さんは、何度か激しく咳き込みましたが、その後また話し始めたのです。「人の心って難しいわねぇ。こうしたらいいって言う答えがないの。でもね、心に光の入り口をつけて、少しずつでも光が入って…、光って言うよりは風通しが良くなるのかな。そして息苦しさが少しずつ消え晴れやかな気持ちに変わって、気がついたら真っ黒で堅い石が、明るいそよ風が吹いている場所に変わっているの。そうなれば人の心は自由でしょう。たとえ周りが変わらなくても、自分の心が明るくなれる。何があっても平気よね…。」そう言って、その魂は光の世界に逝かれたのでした。人 の心は一人ひとり皆違い、感じ方は様々です。ですから、それを解決できる“ものの考え方”も、人によって皆違うということになります。ですから同じ悩みでも、ある人には効果がある言葉も、ある人には効果がないのです。しかし真氣光は魂に作用し、根底から心を軽くしたり明るくするのです。私は、彼女の話の中から、魂に真氣光の光が充電され、心にどのように作用するのかという事を教えられたのでした。
(54)永い年月を遡って届く光
今月7 〜9 日に開催したリーダー研修で、全国的な傾向として説明した魂のお話です。昨年から、私が氣を送っていると、とても強い恨みをもった魂達が浮かび上がって来ることがあるのです。その人たちが生きていた時代は、想像するに4 〜500 年前、つまり室町・戦国時代のようです。ある日の会長セッションで出てきた魂は、代々その家を恨み続けていて「一族を一人残らず殺すまでは…」と拳を握りしめ絞り出すような口調で言っていました。どんな場合でも出てきた魂達は真氣光を送っていると、だんだんその恨みと苦しみが減ってきて穏やかになり、最後には光の世界に旅立っていくのですが、最初の印象から察するに相当な恨みがある人たちだと、私は感じたのです。彼らの言う一族とは血筋や家、名字が同じなどという関係ばかりでなく、血縁関係になくてもかつて親しい間柄だったり一緒に戦っていたなど、少しでも縁のある人は全て一族と見なすということのようなのです。歴史にうとい私には、当時の人達がどうしてそのような強い恨みの念をもたなければならなったのか、よくわかりませんでした。そんな話をしたところ、ある人が清水克行著「喧嘩両成敗の誕生」(講談社選書)という本を貸してくれました。こ の本を読んで、いろいろな事がわかりました。日本の中世と言われるこの時代には、絶対的な権力者がいないばかりか、法が整備されていないがために、たくさんの人達の命が犠牲になっていたのです。大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯事で、今では想像もできないほど人命が軽んじられていたのです。実力者とのコネがものを言い、力の無いものは集団で戦い、切腹しなければ自分の正当性が主張できないような時代で、復讐が果てしなく繰り返されるのです。そんな中世が生んだ究極のトラブル解決法が、喧嘩両成敗法だというのです。話 は変わりますが、私は毎週NHK の大河ドラマ「功名が辻」を楽しみに観ています。激動の中を懸命に生き、死んでいく人達を観ると思わず涙してしまうこともしばしばです。今のこの平和な日本は、一足飛びにできたのではなく、歴史上たくさんの犠牲から成り立っているということをつくづく感じます。テレビ等で多くの人々が当時の事を知ることは、見えない光のような氣となって、少しずつ当時の人たちの魂に届きます。さらには真氣光という光を毎日受けることは、強い恨みをも自然に溶かします。永い年月を遡って光が届いたのは、皆さんの光が強まった結果だと、私は思うのです。
(55)嫁がせたくない
長い人生には、大事なことを決心し行動しなければならない節目が何度かあるものです。そのような時には、自分なりの結論が出るまで、いろいろと思い悩みます。当の本人ばかりではなく相手がある場合、さらには家族や友人などいろいろな人が関係するときには本当にたいへんです。まわりの人達の思いと自分の気持ちを鑑みて、進むべき道を選択するのですが、強い心が無いと決心・行動がなかなかできないことがあるものです。さらにはそこに、ご先祖様のような目には見えない魂達も関係してくることがあるので、話はますます複雑です。先日、こんなことがありました。A さんは結婚することになり婚姻届を取り寄せたのですが、なかなかハンコが押せないと言うのです。「自分でもヘンだと思うのですが…」と、会長セッションの前に話していました。セッションが始まってしばらくすると、A さんの口を借りて「行かせたくない。…この人に頼ってきたのに、居なくなるのは寂しい、誰を頼れば良いのか?」と、ご先祖の一人が出てきたのです。今 に比べ昔は物が無く不平等な社会でしたので、亡くなった後も苦しみの中で、少しでもそれを分かってほしいと願う先祖たちがいるものです。生きている人はどんな人も、亡くなっている人に、見えない光のようなもの(氣)を分けています。さらに先祖を大事に思う人がいることで、それが大きな光となって届いていくのです。このような先祖の中には、苦しみの中からやっと楽になれたので、少しでも近くに居てほしいと、その人が結婚しないよう、あるいは結婚しても戻ってきて欲しいと望むのかもしれません。A さんの場合、真氣光によって、この数年でご先祖たちに急速に光が充電されていたのでしょう。私が氣を送るうちに、どんどん彼らの気持ちが変わって来たのです。まず、A さんのおかげで自分たちには、もう光が十分に届いていたということを言い始めたのです。それは既に頼らなければいけない状況ではなく、これからは本当の意味でA さんを見守り、それによって自分たちも成長していく段階にきたこと。さらに、AさんはB さんの家に嫁ぐことで、そちらにたくさんの光を増やすことができるということであり、それが自分たちの歓びになるということだったのです。人 生には選択しなければならない、いろいろな道があります。人によって皆状況が違いますから、答えは一様ではありません。自分自身で決心しなければならいのですが、真氣光を受けることで、先祖にも光が届き、その答えがより明確になるのかもしれません。
(56)収容所に向かう列車
会長セッションでA さんに氣を送っていたところ、急に腰を押さえ痛みを我慢するような仕草になりました。すぐに私はご縁のある魂の影響だとわかり、何を訴えたいのかと耳を傾けたのです。苦しみが強くて、なかなか声にならないのですが、氣を送り続けているとやっと「嫌だ、死にたくない」、次に「乗りたくない、嫌だ、乗りたくない」と繰り返していることがわかりました。船なのか?飛行機なのか?と尋ねると、「列車」だと言うのです。どこに向かう列車なのか?聞いても苦しみがこみ上げてきて、なかなか答えられません。さらに氣を送っていると、やっとの思いで絞り出すように発した言葉が「収容所」だったのです。その魂は、氣を送るうちに次第に楽になっていき、苦しみの中にまだまだたくさんの人が居ることを私に伝え、それを最後に光の世界に逝ったようでした。第二次世界大戦中には、強制収容所での大量虐殺がありました。この人も収容所で亡くなったのでしょう。「乗りたくない」と言うことは、列車で送られ殺されることへの強い恐怖が魂に刻まれたということだと思います。私は、亡くなった後も消えなかった苦しみに真氣光の光が届いたことの悦びと、戦争の無い平和な世界の有り難さを感じたのでした。 私 は以前、ある会員さんからもらった絵本を思い出しました。それは「エリカ 奇 跡のいのち」という題名で柳田邦男が翻訳したものです。要約すると「大戦中、ナチスによって貨車で強制収容所に送られていたユダヤ人の一団の中にいた若い母親が、生まれて二〜三ヶ月の赤ちゃんを、せめてこの子だけでも生き残ってほしいと毛布でくるんで、すし詰めの貨車の換気口から投げ捨てたところ、偶然目撃した沿線の村の住民が、奇跡的に怪我もしなかった赤ちゃんを拾って、密かにエリカと名付けて育てた。戦後50 年目にドイツを旅行していたアメリカ人女性作家が、たまたまエリカと出会い、その半生記を聞いて絵本ができた」というものです。 貨 車の中では、どんなに辛く悲しい状況だったことでしょう。その中で母親が、我が子を思うが故に絶望の中で一縷(いちる)の望みをかけてとった行動、そして危険を冒して拾い育てた村人の心。日本は、経済的に豊かで、平和な国になりましたが、死に直面することが減った分だけ“いのち”に対する思いが希薄になっていると思えてならないのです。真氣光は人にとって一番大切な“いのち”(魂)に直接エネルギーを与え、心を変えていくのだと思います。
(57)足をすくわれていた?
左足に限って、いろいろな不調に見舞われていたA 子さん。小学生の時に転んで、膝を大きく切るアクシデント以来、何度も転んだり足首を捻挫したりしていたと言います。本人曰く「不注意と言われればそれまでですけど、あまりにも左側に集中するので変だと思っていました。でも特に気にしてはいませんでした」よく話を聞くと、それは何か大事な事の前に起こっていたと言うのです。例えば、友人の結婚式でスピーチをしなければならないのに、その前日に洗濯物を干していて何かにつまずき竿を持ったままバランスを崩して大転倒。足首を捻挫したのですが、彼女はすかさずハイゲンキを当てたと言います。私もいろいろ経験がありますが、外傷など物理的な怪我にけっこう効くのです。彼女も最初はどんどん腫れて来たので、これは病院に行かないと大事になるかもしれないと思ったらしいのです。しかし、予想に反してハイゲンキが効果を発揮し、痛みと腫れが引いたと言います。翌日の結婚式も少々腫れていたけれど事なきを得たと言います。そんなA 子さんに、私が氣を送っていると、突然左足を揺らし始めます。そのうちに痛そうに顔を歪めて唸り始めました。私は、彼女にご縁のあった魂が、何かをわかってほしいのだろうと直感しました。案の定、「(今まで)苦しかった」と、訴え始めたのです。話を聞いていると、どうも小さい時に落馬して足を痛めたお姫様のようです。満足に歩くこともできず、正座もできず・・・結局お嫁にも行くことができずに、暗い気持ちのまま亡くなったのでした。永い年月が過ぎましたが、気がついたらA 子さんの所に来ていたようです。「少しでも私の苦しさをわかって欲しい」という気持ちや、少しは「私がこんなに苦しいのだから、この人も少し苦しんだらいい」という気持ちもあったかもしれません。A 子さんが楽しいと感じている時や、何か重要な事があると、いろいろな事を起こしていたようです。しかし氣を受けているうちに左足の動きも小さくなり、だんだん楽な表情に変わっていきます。最後にフッと何かが消えていったように、A 子さんは我に返ったのでした。A 子さんは、もしかしたら人生のいろいろな局面で、足をすくわれていたのかもしれません。今回このようなかたちで魂さんが浮かんで来られたのは、日頃から真氣光を充電して来た結果です。私は「怪我をした直後にハイゲンキを当てていたのも、魂さんの心を穏やかにする大きな効果があったと思いますよ」と、お話ししたのでした。
(58)苦しむ武士たちに光を
1868年9月8日(旧暦)に明治天皇が即位していますから、武士の時代が終わって百数十年になろうとしています。しかし今なお、セッションなどで私が氣を送っていると武士の魂が出てくることがあります。私がA さんに氣を送っている時に出て来た魂さんは、戦に負けて亡くなった今もなおA さんの家に戦いを挑んでいる武士でした。「死んでなお苦しんでいる者の気持ちがわかるか。死んでからが、もっと苦しい。私は神も仏も信じておるし、悪いことをしたこともない。自分が悪人なら諦めもつく。」私は、氣を送りながら「心が少しは軽くなりませんか」と聞いてみたのです。すると「心は軽くなどなってはならぬ。心は腹の底に据え、何があっても動かさない。弱音を吐くことも、ひるむこともならぬのじゃ。」使命を持って生まれ、小さい頃から武士の長としての教育を受けてきたのです。私には彼の辛さが少しばかりわかったような気がしました。しばらく氣を送り続けていると彼は話し始めました。「そうか、もうすべては終わったのだ。死んだ時にもう終わっておる。それまでどんな人生でも自分自身で納得をすれば良かった。死んでからは何もできぬ、それでよしと、すればよかったのだな。戦で命を落として、満足のいくはずがない。しかし悔いてもしょうがあるまい。よくも悪くも、それが私の人生であった。それに気づかせてくれた、感謝である。私に付いて来てくれた者たちも同じ気持ちであったろう。もう良い、良しとしよう。自分だけが苦しいと思っていたが、私は感謝しておる、大将の私がそんなことで皆の者を苦しめておった。皆の者、もうよい、もうよい。刀を捨てぇい、よくやってくれた。成仏しようではないか。これが光というものか、皆の者、こちらに進もうではないか。もうよい、皆の者もうよい、かたじけない。さらばじゃ」真氣光の光が、自然に氣づきを与え光の世界に導いたのです。A さんは自分の病気ばかりではなく家にもいろいろな不幸な出来事が続いておりましたが、真氣光で少しずつ解決してきたところでした。ご縁のある魂たちは、「見過ごさないでほしい、解決して欲しい」と皆思っています。大事なのは日頃の真氣光の充電に加え、変えられない過去については自分を成長させてくれた良いところをみつける姿勢、これからのことについては行動して自ら変える努力をするということ。そうすれば身体に出ている現象もプラスに向き、気づきが出てその人の魂の強さになるでしょう。その人の魂が強くなれば、そこに縁あって来ている魂も本来の場所に行けるのです。