(54)永い年月を遡って届く光

今月7 〜9 日に開催したリーダー研修で、全国的な傾向として説明した魂のお話です。昨年から、私が氣を送っていると、とても強い恨みをもった魂達が浮かび上がって来ることがあるのです。その人たちが生きていた時代は、想像するに4 〜500 年前、つまり室町・戦国時代のようです。ある日の会長セッションで出てきた魂は、代々その家を恨み続けていて「一族を一人残らず殺すまでは…」と拳を握りしめ絞り出すような口調で言っていました。どんな場合でも出てきた魂達は真氣光を送っていると、だんだんその恨みと苦しみが減ってきて穏やかになり、最後には光の世界に旅立っていくのですが、最初の印象から察するに相当な恨みがある人たちだと、私は感じたのです。彼らの言う一族とは血筋や家、名字が同じなどという関係ばかりでなく、血縁関係になくてもかつて親しい間柄だったり一緒に戦っていたなど、少しでも縁のある人は全て一族と見なすということのようなのです。歴史にうとい私には、当時の人達がどうしてそのような強い恨みの念をもたなければならなったのか、よくわかりませんでした。そんな話をしたところ、ある人が清水克行著「喧嘩両成敗の誕生」(講談社選書)という本を貸してくれました。こ の本を読んで、いろいろな事がわかりました。日本の中世と言われるこの時代には、絶対的な権力者がいないばかりか、法が整備されていないがために、たくさんの人達の命が犠牲になっていたのです。大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯事で、今では想像もできないほど人命が軽んじられていたのです。実力者とのコネがものを言い、力の無いものは集団で戦い、切腹しなければ自分の正当性が主張できないような時代で、復讐が果てしなく繰り返されるのです。そんな中世が生んだ究極のトラブル解決法が、喧嘩両成敗法だというのです。話 は変わりますが、私は毎週NHK の大河ドラマ「功名が辻」を楽しみに観ています。激動の中を懸命に生き、死んでいく人達を観ると思わず涙してしまうこともしばしばです。今のこの平和な日本は、一足飛びにできたのではなく、歴史上たくさんの犠牲から成り立っているということをつくづく感じます。テレビ等で多くの人々が当時の事を知ることは、見えない光のような氣となって、少しずつ当時の人たちの魂に届きます。さらには真氣光という光を毎日受けることは、強い恨みをも自然に溶かします。永い年月を遡って光が届いたのは、皆さんの光が強まった結果だと、私は思うのです。