(58)苦しむ武士たちに光を

1868年9月8日(旧暦)に明治天皇が即位していますから、武士の時代が終わって百数十年になろうとしています。しかし今なお、セッションなどで私が氣を送っていると武士の魂が出てくることがあります。私がA さんに氣を送っている時に出て来た魂さんは、戦に負けて亡くなった今もなおA さんの家に戦いを挑んでいる武士でした。「死んでなお苦しんでいる者の気持ちがわかるか。死んでからが、もっと苦しい。私は神も仏も信じておるし、悪いことをしたこともない。自分が悪人なら諦めもつく。」私は、氣を送りながら「心が少しは軽くなりませんか」と聞いてみたのです。すると「心は軽くなどなってはならぬ。心は腹の底に据え、何があっても動かさない。弱音を吐くことも、ひるむこともならぬのじゃ。」使命を持って生まれ、小さい頃から武士の長としての教育を受けてきたのです。私には彼の辛さが少しばかりわかったような気がしました。しばらく氣を送り続けていると彼は話し始めました。「そうか、もうすべては終わったのだ。死んだ時にもう終わっておる。それまでどんな人生でも自分自身で納得をすれば良かった。死んでからは何もできぬ、それでよしと、すればよかったのだな。戦で命を落として、満足のいくはずがない。しかし悔いてもしょうがあるまい。よくも悪くも、それが私の人生であった。それに気づかせてくれた、感謝である。私に付いて来てくれた者たちも同じ気持ちであったろう。もう良い、良しとしよう。自分だけが苦しいと思っていたが、私は感謝しておる、大将の私がそんなことで皆の者を苦しめておった。皆の者、もうよい、もうよい。刀を捨てぇい、よくやってくれた。成仏しようではないか。これが光というものか、皆の者、こちらに進もうではないか。もうよい、皆の者もうよい、かたじけない。さらばじゃ」真氣光の光が、自然に氣づきを与え光の世界に導いたのです。A さんは自分の病気ばかりではなく家にもいろいろな不幸な出来事が続いておりましたが、真氣光で少しずつ解決してきたところでした。ご縁のある魂たちは、「見過ごさないでほしい、解決して欲しい」と皆思っています。大事なのは日頃の真氣光の充電に加え、変えられない過去については自分を成長させてくれた良いところをみつける姿勢、これからのことについては行動して自ら変える努力をするということ。そうすれば身体に出ている現象もプラスに向き、気づきが出てその人の魂の強さになるでしょう。その人の魂が強くなれば、そこに縁あって来ている魂も本来の場所に行けるのです。