先月下旬、会員さんから私は一冊の絵本をもらいました。「おきなわ島のこえ」(丸木俊丸木位里‘84年小峰書店発行、第16回講談社絵本賞など受賞)です。この絵本は、家族と生き別れて戦火から逃れる姉弟の視線で、住民の集団自決や旧日本軍による虐殺などの悲劇が描かれています。私は毎月沖縄センターでセッションを行っていますが、いつも日帰りの日程です。昨年の冬に月刊ハイゲンキの取材で美ら海水族館に行ったのですが、なかなか時間をとって旅行できないのが実状で、その前は確か2000年、ひめゆりの塔にお参りしたのを記憶しているほどです。私は、今週沖縄セッションのあと休みをとって、雨がかろうじて上がった11日に、朝から読谷村と平和祈念公園を回って来ました。読谷村では、1945年4月1日米軍が沖縄本島へ上陸した翌日、避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をしたチビチリガマへ行きました。そして毎年6月23日の「慰霊の日」に沖縄全戦没者追悼式が行われ、“沖縄戦終焉の地”となった摩文仁の丘にある「平和祈念公園」、さらには「ひめゆり平和祈念資料館」に行って来たのです。ちょうどその日の朝刊には、集団自決体験者証言「軍命あった」という見出しの記事がありました。内容は『沖縄戦時に旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで名誉を傷つけられたとして、戦隊長と遺族が出版元と著者に損害賠償などを求めた訴訟の出張証人尋問が行われ、沖縄県渡嘉敷島での集団自決を生き延びた沖縄キリスト教短大名誉教授金城重明さんが、被告側の証人として証言。金城さんは、「軍命があったとしか考えられない」と述べた』というものです。この訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、文部科学省が「日本軍の強制があった」とする記述を修正させた根拠の一つとなったものでした。前述の絵本は函館在住のカナダ人教師らによって英訳され、英語圏の図書館に寄贈して平和教育の教材に活用してもらうという計画もあるそうです。正しい歴史を知り、多くの人が「もし自分がこれを体験していたら」と想像できれば、戦争は無くなることでしょう。図らずも9.11米同時多発テロの日でした。私は、ガマ(壕)の中で亡くなった人々をはじめ、沖縄の人々、当時日本各地から沖縄に来ていた人々、国籍を問わずここで亡くなった人々すべてに真氣光を送りながら、地球上の悲しみの波動が少しでも減ることをお祈りしたのでした。