(56)収容所に向かう列車

会長セッションでA さんに氣を送っていたところ、急に腰を押さえ痛みを我慢するような仕草になりました。すぐに私はご縁のある魂の影響だとわかり、何を訴えたいのかと耳を傾けたのです。苦しみが強くて、なかなか声にならないのですが、氣を送り続けているとやっと「嫌だ、死にたくない」、次に「乗りたくない、嫌だ、乗りたくない」と繰り返していることがわかりました。船なのか?飛行機なのか?と尋ねると、「列車」だと言うのです。どこに向かう列車なのか?聞いても苦しみがこみ上げてきて、なかなか答えられません。さらに氣を送っていると、やっとの思いで絞り出すように発した言葉が「収容所」だったのです。その魂は、氣を送るうちに次第に楽になっていき、苦しみの中にまだまだたくさんの人が居ることを私に伝え、それを最後に光の世界に逝ったようでした。第二次世界大戦中には、強制収容所での大量虐殺がありました。この人も収容所で亡くなったのでしょう。「乗りたくない」と言うことは、列車で送られ殺されることへの強い恐怖が魂に刻まれたということだと思います。私は、亡くなった後も消えなかった苦しみに真氣光の光が届いたことの悦びと、戦争の無い平和な世界の有り難さを感じたのでした。 私 は以前、ある会員さんからもらった絵本を思い出しました。それは「エリカ 奇 跡のいのち」という題名で柳田邦男が翻訳したものです。要約すると「大戦中、ナチスによって貨車で強制収容所に送られていたユダヤ人の一団の中にいた若い母親が、生まれて二〜三ヶ月の赤ちゃんを、せめてこの子だけでも生き残ってほしいと毛布でくるんで、すし詰めの貨車の換気口から投げ捨てたところ、偶然目撃した沿線の村の住民が、奇跡的に怪我もしなかった赤ちゃんを拾って、密かにエリカと名付けて育てた。戦後50 年目にドイツを旅行していたアメリカ人女性作家が、たまたまエリカと出会い、その半生記を聞いて絵本ができた」というものです。 貨 車の中では、どんなに辛く悲しい状況だったことでしょう。その中で母親が、我が子を思うが故に絶望の中で一縷(いちる)の望みをかけてとった行動、そして危険を冒して拾い育てた村人の心。日本は、経済的に豊かで、平和な国になりましたが、死に直面することが減った分だけ“いのち”に対する思いが希薄になっていると思えてならないのです。真氣光は人にとって一番大切な“いのち”(魂)に直接エネルギーを与え、心を変えていくのだと思います。