先日、世界保健機関(WHO)が発表した世界保健統計が「世界全体で4人に1人が高血圧」という見出しで新聞に掲載されていました。
記事によりますと『慢性疾患による死者は08年、死者全体の6割以上に当たる3610万人。WHOは対策として、低中所得国では適切な医療の拡大を、高所得国では食事管理、適度な運動、禁煙をそれぞれ挙げている。』ということです。
私は高血圧でも慢性疾患を抱えているわけでもありませんが、毎年春の健康診断の季節になると、少々重めなところに、なかなか減らない体重を見て「日頃から適度な運動をしなければ」と思うのです。
しかし、忙しいのを言い訳にして、具体策も無く、ここ数年はただなんとなく何もせずに一年が過ぎてしまっている始末。
こんなことではイカンのです。
ところで体重の話はさて置き、一般的に私たちには、ついついやってしまうことや、なんとなくできないことが多いものです。
この日常の「ついつい」や、「なんとなく」を少しずつ無くしていく努力を意識的に行うことが、とても大事なことです。
なぜならこれらは、人生において悩むほどのことではないけれど、長い時間その人の人生に影響を与えていることになるからです。
ほんの少しでも良い方向に行動が変わるということがなければ、大きく変わるということはとても難しいことですし、気づくために自分に何かとても苦しいことがやって来て無理矢理変えられるということにもなりかねません。
だから少しずつ良い方向に変わっていく、これが最も重要で、とても大切なことなのです。
そのためには、まず変わろうとすること。
次に何をどのように変えるかを見つけること。
さらに真氣光のエネルギーを受けることが、それらを容易にしてくれるのだと思います。
そしてやがて、思ってもみなかった、予想もしていなかった人生、生き方が目の前に現れるようになるのです。
これは誰にもわからないことであり、だからやってみなければならないことでもあります。
人はマイナスの氣が存在するだけで、なかなか変われなくなるものです。
またその中には、私たちが変わると波動が変化してしまい側に居られなくなるので、私たちを変えたくないと、あの手この手で足を引っ張るものもいます。
長い歴史の中で、昔に比べるとより多くマイナスの氣の影響を受けているのが現代です。
ですから真氣光のエネルギーを受けることで、早くマイナスの氣にはプラスに代わってもらい、この世を次の段階に移行させなければなりません。
人の一生は長いようで短いものです。
「こころは穏やかに、でも少しは急ごう」と、自分自身を戒めています。
(中川 雅仁)
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カテゴリー: その他いろいろ
自らが動くことで、そこにある氣が変わる
私は、昨日から安曇野で真氣光研修講座を開催しております。
ここからは、まだ雪の残るアルプスの山々や美しい清流の中のワサビ田を見ることができます。
この地に来ると「水が豊か」という印象を受けるのですが、これは細かい水路が毛細血管のように張り巡らされ、安曇野の大地をくまなく潤しているからです。
この水路、基本的には江戸期以前のそれとほとんど変わりはなく、中には平安、鎌倉時代からのものも今なお現役ということです。
「もともとこの地域の土地は小石を多く含む層からなっているので水は地下に潜ってしまい、小石だらけの河原となり、水が流れるのは大雨の時ぐらい。扇状地の上流と下流も湧水により早くから開けていたが、大半の中流域は農業の為には治水が不可欠」ということのようです。
今では考えられませんが、不毛の土地のために幾万の農民の苦労があったと言います。
江戸時代に入り水を取るところがもう上流にはなく、巨額の費用と労力、幾度もの失敗を繰り返しながら川から川へ等高線に沿うように横向きに僅かな高低差で水路が作られたそうです。
十に及ぶ村々を潤すある水路は、ある人の26年間というほぼ半生をかけた調査により完成されたということです。
ところで、今月の氣配り画像には「自らが動くこと・・・」という言葉を入れました。
どんなことや、どんな状況でも、自らが動くことで、事態は変化するものです。
ただ何もせずに考えているだけでは良くなるものも良くならないばかりか、すでに悪い方へと向かっていることにもなるのです。
なぜなら人は何かことが起きて、それを良くしたいと思った時、たいていはマイナスの感情や考えに取り込まれてしまうからです。
とりあえず良いと思ったことを少しでもいいからやってみることです。
結果は思い通りに出せないかもしれません。
しかし、氣という観点を持って視野を広げてみると、良い方向に向かってエネルギーを動かしていることは確かなのですから、時間は掛かっても必ずプラスの結果を出せるはずです。
それを途中でやめてしまうから、全てが無駄になってしまったり、さらにマイナスの感情を抱えてしまうことになるのです。
プラスへ向かって行動した1時間、何もしないで考えていた1時間、同じ1時間でもエネルギー的には大きな差があるのです。
それを一日、一週間、一ヶ月、1年…。
そう考えると答えはおのずと分かるでしょう。
思っているだけでは、エネルギーは動かないのです。
安曇野の豊かな水の流れを見ながら、先人の偉業に思いを馳せ、自らの肝にも銘じるところです。
(中川 雅仁)
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疲れと氣の話
今週末から大型連休に入りますが、皆さんは連休の計画など立てていらっしゃるでしょうか?
日頃の仕事の疲れを、ここで一挙に解消しようという方、レジャーや遊びに行こうと計画を立てている方、日頃出来ない読書をしようという方・・・。
私は、今日から4日間を愛知で、連休後半5月3日からの4日間を安曇野で真氣光研修講座を開催します。
大型連休で疲れを取ろうという方もいれば、数日後には大型連休ですっかり疲れたという方もいらっしゃるかもしれません。
今週は疲れと氣の話をしたいと思います。
まず、疲れるとは、一体どういうことでしょうか。
人は体、心、魂という要素で成り立っていますから、それぞれに体の疲れ、心の疲れ、魂の疲れということが考えられるでしょう。
体の疲れは、身体を休めることで回復していきますし、心の疲れは、心穏やかに過ごせば良いのです。
では、魂の疲れは、どうすればよいのでしょうか。
そもそも魂の疲れとは、どんなものなのでしょう。
私はそれを「自らの力で魂を成長させようとしてもなかなかできずに、いろいろな(マイナスの氣の)邪魔が入り、 どうにもならない状態」を言うのだと思います。
そういう時には、どうするか?まず体を休め元気になり、心穏やかに過ごし、そして見えないものとの関わりを少しずつ考えていくと良いでしょう。
すると「自分はいろいろな助けを受けて生かされている」ということに氣づくものです。
たとえ今の状況がどうであれ、まずそれに氣づくことが大事であり、そうすれば感謝できるものです。
自らに氣づき、謙虚になれた時、魂の疲れが少しずつとれていくのです。
そしてやがて魂は自ら輝くことができるようになり、魂の体力を取り戻すことができるのです。
それを強力にサポートしてくれるのが真氣光のエネルギーです。
今のこの世の中は、すべてのことが早くなりすぎています。
体も心も魂も、この速さに追いつくのが難しくなってきているのです。
だから多くの人がどこかしら、疲れを感じているのだと思います。
文明が進み、人が楽になることと、自らが作り出してしまった道具やモノに振り回されてしまうことが、同時に起きている今、それに氣づき、何が必要で何が不必要であるかを、うまく選択して、よりよい生活をしなければなりません。
体、心、魂、この三つを疲れさせずに成長させていかなければならない時代なのです。
魂の疲れを感じている方は、真氣光のエネルギーを集中的に受け、最も効率的にそれを回復させられる真氣光研修講座をお薦めします。
(中川 雅仁)
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氣づいて魂を成長させる
昨年末の新型ハイゲンキに続きハイゲンキ2型用パワーコネクタの発売により、宇宙からの氣の中継量がまた一段と増し、私たちはそれを利用することで、よりいっそう良い方向に変わって行ける準備が整いました。
つい先日、ある方から質問がありました。
「私の場合、新型ハイゲンキを注文した直後くらいから、急に不安定な気持ちになり、人の言葉に敏感に反応して落ち込んだり、何だか力が沸かなかったりで、パワーアップした感じが全くないのですが、これは今まで溜まっていたマイナスの氣が出て来た反応と見ていていいのでしょうか?」というものです。
これは好転反応の一種ですが、ただ静観していればよいというものではありません。
私たちの氣の体(魂)は、真氣光の光が入ると時にはマイナスの氣が出て来て昇華され、より輝きを増し成長すると同時に、心や意識も氣づきによって大きく進化します。
つまり真氣光は人が幸せになるいろいろな効果をもたらしますが、本質は氣づきを促すエネルギーと言えるのです。
私たちは、思うこと、感じること、考えること、常にそれらを行いながら生き、それに基づいて行動しています。
しかし真氣光を活用し魂を輝かせようとするうえで重要なことは、「何を思い、何を感じ、何を考えるか」ではなく、「何に対してそれを思い、何に対してそう感じ、何に対してそれを考えるか」ということなのです。
なぜなら、その対象となる事柄や人にこそ答えがあり、氣づきのチャンスがあるからなのです。
前述の質問の件で言えば、「急に不安定な気持ちになる」という状態が、何に対してそのような気持ちになるか、「人の言葉に敏感に反応して落ち込む」ということであれば、誰に対して・何という言葉に対して反応するか、以前の自分の体験に似たような気持ちになることは無かったか、両親や祖父母はどうだったか等々、その対象となるものを時には過去に遡ってじっくり観察して調べていくと、その過程で、いろいろな発見や氣づきがあり、それがその人をよりいっそうプラスに変えるのです。
つまり、そこには周りの氣との深い関係があり、見えないエネルギーの交換があるからです。(月刊ハイゲンキ「マイナスの氣を受けない生き方」など参照)
自分の状態だけに目が向いたままだと、そこで起きていることの意味がわからずに解決が長引いてしまいます。
また、しだいに気にならなくなったとしても、原因が残っていれば、また同じことがやってくるということになりかねません。
ですから、しっかりと、そのことを理解して、氣づいて魂を成長させることに意識を向けることが重要なのです。
(中川 雅仁)
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縁は自分次第
東京では、そろそろ桜の花が散り始めているところです。
街中のあちらこちらで、研修生などの名札を付けて新社会人と思われる若い人たちと出会う機会が増えました。
また我が家のそばには大学があるので当分の間、新入生と思われる学生さんたちで駅前が大混雑しそうです。
この季節には、若い人たちばかりではなく私たちのような年代でも、人や場所、さらにはモノとの間に新しいご縁を作る機会が増えるのではないでしょうか?
ところでこの「縁」ですが、私は常々「ご縁を大切に」とお話ししていますが、実に不思議なものであり、氣の話抜きには語ることは出来ません。
今日は少し解説をしたいと思います。
どんな人も心や意識に合わせた見えない氣のエネルギーを発していますが、それが周りにあるプラスやマイナスの氣と同調して引き合います。
ですから、どんな人と縁を繋ぐかは自分が今何を考え、どういう心持ちでいるかで決まるものであり、さらにはどんな行動、生き方をしているかで縁は変わってくるのです。
ですから日頃からプラスの氣の応援が受けられるように真氣光をしっかり受けると共に、心をプラスの方向に、つまり良い氣を発せられるようにしたいものです。
しかし、ここで間違ってはいけないのは、自分の思い通りの縁を引き寄せられると思ってしまうことです。
例えば、誰かと縁を繋いだとすると、それはその人とだけではなく、その人に関わっているいろいろな見えないもの達とも縁を繋ぐということで、それはとても複雑なエネルギーの状態をしているのです。
だから少しでも、いや出来る限り良い心持ち、プラスの心、正しい心を持って、その人と接しなければ、その人の持つ複雑なエネルギーの中のマイナスのものと、縁を繋ぐことになってしまい、一度マイナスの方向で縁を繋いでしまうとなかなかプラスとは繋がらなくなってしまうのです。
どんな人にも、表と裏とも言えるようなプラスとマイナスの面があるものです。
私たちは、たとえマイナスの面がよく見えてしまう人がいたとしても、その人の表つまりプラスの面を見て縁を繋いでいく努力が必要で、それができれば、その人にもプラスのエネルギーが伝わり、やがてマイナスの部分が少しずつプラスに変わって行き、もっと良い関係を築くことができるのです。
しかし、それでも悪い面ばかりがどうしても気になり自分が苦しくなるときには、少し距離をおいたり時間をかけたりして、真氣光を受けることで自分のエネルギーを高める必要があるでしょう。
どんな場合にも、ご縁のあった人が良い・悪いではなく、すべては自分次第ということなのです。
(中川 雅仁)
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苦手なことにもチャレンジ
4月は、学校や会社で新年度が始まる月です。
そんな季節ですから、今月の氣配り画像に入れる言葉は「苦手なことにもチャレンジ」を選んでみました。
私の場合、昔を振り返ると、苦手だったというものが多々あります。
その一つがパソコンなどキーボードの付いているものでした。
私が大学を卒業して電機会社に就職したころは、まだパソコンは一部のマニアのものでした。
1年、2年と経つうちにワープロが流行りだし、報告書をそれで書くということが必須となってきたのです。
しかし私はキーボードや表示されるメニューなど複雑な操作に混乱させられ、下手に触ると壊すのではないかという恐怖が、「忙しい」とか「綺麗に仕上げる意味がわからん」とか、いろいろな言い訳を付けて覚えることから逃げていたのでした。
それがある時、電機会社に居てワープロも出来ないのではいけないと一念発起をしてパソコンを購入しワープロソフトを使い始めました。
最初は間違った操作をして壊れてしまったり、徹夜で修復作業をする等さんざんな目に会いましたが、そのお蔭で苦手どころか人に教えられる程になったのでした。
今ではパソコン無しの世の中は考えられませんから、早めに苦手なことを克服しておいて良かったと思います。
ところで家内にも苦手克服の話を聞いてみましたが、言葉を濁して多くを語りたがりません。
どうも彼女は、例えば体が硬いと分かっているのに体を動かそうとしない等、苦手なことはそのままに、そういうことには触れないようにするタイプのようです。
このようなこともマイナスの氣の影響を受けている結果かもしれません。
マイナスの氣は自分が辛いから、それを分かって欲しくて邪魔をするのです。
その人が良い方向に変わっていくと、周りに居られなくなるので、それが嫌なのです。
好き嫌い、理由の有る無し、直感で思うこと等、それをあまりに重視すると行動の幅が極端に狭くなり、その結果氣づきが少なくなって魂の成長が進まなくなるものです。
人は、いろいろな複雑な感情を体験することで、よりよい心の持ち方を学習しているわけです。
プラスの心・マイナスの心、より多くの感情を体験して、その上で自分にとってプラスになる心の持ち方とは何かを知り、より魂を成長させていく生き方を知るのです。
好きなこと、楽しいことばかりでは魂は輝きません。
為すべきことをして、人の為になり、自分の心を強く成長させる。
真氣光が応援してくれますので、苦手なことにもどんどんチャレンジしていきたいものです。
(中川 雅仁)
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同調と調和
私は今週の火曜日に湘南での真氣光研修講座を修了し、久しぶりに帰宅しました。
四十数名の受講生の皆さん、ありがとうございました。
初めて古都鎌倉に近い場所で開催できたこと、参加された方々ばかりではなく、その人達を中心に周りの霊的な存在にもたくさんの光が届いたことと思います。
私はよく、研修講座ではご縁のある人が集まると話していますが、それにしても全く知らない人たちが現地で初めて顔を合わせ、最後には旧知の仲のようになってしまうのですから、真氣光のエネルギーは素晴らしいといつも感じます。
講座のカリキュラムは、全員が徐々に協力できるように構成されているのですが、1990年の研修講座開講当初から変わらないことは最後には参加者全員に一体感のようなものが芽生えるということです。
これはまさしく「調和」と言ったらよいのではないかと思います。
同じような言葉に「同調」がありますが、それとは全く違うということを感じるのです。
同調とは二つの性質のものがどちらかに良くも悪くも合ってしまうということで、調和とはそれぞれが調子を整えて上手く一つになり良くなることだと思うからです。
例えば二人の人が話をしているうちに話が合って楽しかったという場合に、片方の人が話し始めた第三者の悪口に花が咲くという場合があります。
私もサラリーマン時代、日頃のストレスを居酒屋に行っては同僚と愚痴や不満の言い合いをしておりました。
その時はスッキリした感じがしていたのですが、結局は段々体の調子が悪くなり研修講座を受講してはじめて、マイナスの氣の影響を受けていたということに気がついたのです。
この場合、悪口を話させるというマイナスの氣にそこにいる皆が「同調」してしまうということであり、その時は話が合って楽しい雰囲気が味わえても、その時に引き寄せたマイナスの氣によって、その後それらによる何らかのマイナスの影響を受けることになるのです。
私たち自身、さらには私たちの言葉や思いにも見えないエネルギー・氣を持っています。
さらにそれが周りの環境にあるプラスの氣に同調できるかマイナスの氣に同調するかによって自身の氣の状態が大きく変わります。
宇宙からの真氣光というエネルギーは魂の成長を促すエネルギーで、影響を与えているマイナスの氣も含めて全てをプラスの方向に向かわせる、つまり良い方向に向かわせるのです。
そして宇宙意識と同調できる方向に向かわせるのだと思うのです。
私たちも宇宙との調和を心掛け、具体的には洗心の指標を頭に置き、真氣光のエネルギーを受けて行きたいものです。
(中川 雅仁)
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マイナスの「氣のせい」(2)共通点がある
よくドラマの夫婦喧嘩のシーンで、我が子の悪いところを引き合いに出して、例えば「いやしいところが、あんたにそっくりだ」等と、相手を罵る場面があります。
親子ですから、遺伝子という観点で似ているという考えもありますが、私は同じようなマイナスの氣が作用して親子が似ているということが多々あると思います。
さらには血のつながりがない夫婦なども長年連れ添う間に似てくるというのも氣の影響と言えるでしょう。
このマイナスの氣の影響で親子が似るという話、最初は気にもならないような共通点かもしれませんが、だんだんいろいろな所に多くの共通点が見つかれば、それはもう気のせいではなく、マイナスの「氣のせい」と考える方がよいかもしれません。
もう少し詳しく説明すれば、上の代の人に影響を与えていたマイナスの氣が、本人が亡くなっても存在し続けて、下の代の人にも影響を与えるということです。
この場合、上の代の人には、さらに上の先祖が関係していることがありますので、限りがないほど上の代からの深い因縁ということもあるのです。
もちろんマイナスの共通点の原因は、直接上の代の人が分かって欲しくて、自分と同じような苦しみを、今生きている人に与えていたということもあります。
しかし、先祖本人ではない、例えば先祖に恨みを持っていた人達が先祖に影響を与え、そして今なお生きている人達にも影響を与えているということがあるものです。
そのような場合、マイナスの「氣のせい」で、いろいろなところに似たような共通点が現れます。
例えば、病名は違っても体の似たようなところが病気になったり、痛んだり違和感が出たり、性格や気性が似てきたり、仲が悪くなる・お金に困るなど同じようなマイナスの状況が周りに多くなるなどの御先祖の誰かとの共通点です。
真氣光は、それを受ける人のマイナスの部分に浸透することで、共通点を持ってそこに関係していた御先祖にも光が届いていきます。
そして自然に、ご自身ばかりではなく上の代の人達にも氣づきを与え楽にしていくのです。
明日から湘南での真氣光研修講座が始まります。
この地域には鎌倉という歴史の上でも中心となった古都があります。
皆さんの御先祖様も、この地にまつわる何かしらの影響を受けていたかもしれません。
さらには研修期間中は、お彼岸にも当たっております。
いろいろな苦労の中を生きぬいてくれた御先祖様あっての私たちです。
そのことに思いを向け、氣を受けてみてはいかがでしょうか?そして何かしらのマイナスの氣による共通点を感じた方は、ぜひ研修講座期間中の4日間集中遠隔真氣光をお薦めします。
(中川 雅仁)
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震災から一年を迎えて
今日は仙台に向かう新幹線の中で原稿を書いています。
昨年3/11もこのような金曜日で、私は本紙の原稿を書きながら昼からの半日出張のつもりで仙台のセッションに向かいました。
ところが大震災が起こり、着の身着のままの二泊を余儀なくされたのでした。
たいへんな大惨事でしたから、私は幸運だったとしか言いようがありません。
直接被害に遭われた方々がどんなに苦労されているか、ほんの数日では到底計り知ることはできませんが、私にとっては言葉では言い表せない貴重な三日間となりました。
先日、新宿で開催されている長倉洋海写真展「子どもたちの元気便-震災からの出発」に行ってきました。
長倉さんは月刊ハイゲンキ2006年11月号の巻頭対談でお話を伺った報道写真家です。
長倉さんは世界の紛争地や辺境を訪ね歩き、そこに生きる人々、とりわけ子どもたちの生き生きとした姿を撮り続けている方ですが、今回の写真展では昨年9月から12月までの東北3県の子どもたちの姿を撮影した作品を展示しています。
写真とともに子どもたちが書いた作文の一部も展示してあり、子どもらしい純真な笑顔の奥にある辛さ・切なさが感じ取れます。
「こんなにも明るい笑顔があるのか」と、長倉さんの持っている氣とでも言いましょうか、被写体本来の姿をそのまま引き出す力に感心させられます。
未来を希望で一杯にした子どもたちの強さ、たくましさを感じ、私たち大人、一人ひとりが出来ることとは何かを今一度考えさせられました。
ところで今週、私にはもう一つ忘れられない日があります。
それは10日の東京大空襲の日ですが、民間募金で作られた東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元さんに月刊ハイゲンキの2010年8月号でお話しを伺いました。
開館10年を迎え来館者はすでに10万人を超えたそうですが、震災の影響なのか修学旅行生らを中心に昨年の来館者は半減ということのようです。
世界平和の問題、震災復興と防災の問題、原発の問題、私たちは体験を通して学んだことを、次の世代の子どもたちのためにさらに良い社会作りに向けての努力を惜しむわけにはいきません。
真氣光は見えない氣の世界から、それを後押ししてくれるプラスのエネルギーです。
この週末10、11日夜10時から15分間の真氣光の時間には、ご縁のある皆様にこのような事を思いながら、たくさんの光が届くことを祈って、真氣光を送りたいと思います。
新宿コニカミノルタプラザでの展示は3月22日(木)まで、子どもたちの言葉が入った長倉さんの写真集「だけど、くじけない~子どもたちからの元気便」NHK出版1680円が出版されています。
東京大空襲・戦災資料センター 東京都江東区北砂1-5-4
(中川 雅仁)
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