自らが動くことで、そこにある氣が変わる

 私は、昨日から安曇野で真氣光研修講座を開催しております。
ここからは、まだ雪の残るアルプスの山々や美しい清流の中のワサビ田を見ることができます。
この地に来ると「水が豊か」という印象を受けるのですが、これは細かい水路が毛細血管のように張り巡らされ、安曇野の大地をくまなく潤しているからです。
この水路、基本的には江戸期以前のそれとほとんど変わりはなく、中には平安、鎌倉時代からのものも今なお現役ということです。
「もともとこの地域の土地は小石を多く含む層からなっているので水は地下に潜ってしまい、小石だらけの河原となり、水が流れるのは大雨の時ぐらい。扇状地の上流と下流も湧水により早くから開けていたが、大半の中流域は農業の為には治水が不可欠」ということのようです。
今では考えられませんが、不毛の土地のために幾万の農民の苦労があったと言います。
江戸時代に入り水を取るところがもう上流にはなく、巨額の費用と労力、幾度もの失敗を繰り返しながら川から川へ等高線に沿うように横向きに僅かな高低差で水路が作られたそうです。
十に及ぶ村々を潤すある水路は、ある人の26年間というほぼ半生をかけた調査により完成されたということです。
 ところで、今月の氣配り画像には「自らが動くこと・・・」という言葉を入れました。
どんなことや、どんな状況でも、自らが動くことで、事態は変化するものです。
ただ何もせずに考えているだけでは良くなるものも良くならないばかりか、すでに悪い方へと向かっていることにもなるのです。
なぜなら人は何かことが起きて、それを良くしたいと思った時、たいていはマイナスの感情や考えに取り込まれてしまうからです。
とりあえず良いと思ったことを少しでもいいからやってみることです。
結果は思い通りに出せないかもしれません。
しかし、氣という観点を持って視野を広げてみると、良い方向に向かってエネルギーを動かしていることは確かなのですから、時間は掛かっても必ずプラスの結果を出せるはずです。
それを途中でやめてしまうから、全てが無駄になってしまったり、さらにマイナスの感情を抱えてしまうことになるのです。
プラスへ向かって行動した1時間、何もしないで考えていた1時間、同じ1時間でもエネルギー的には大きな差があるのです。
それを一日、一週間、一ヶ月、1年…。
そう考えると答えはおのずと分かるでしょう。
思っているだけでは、エネルギーは動かないのです。
安曇野の豊かな水の流れを見ながら、先人の偉業に思いを馳せ、自らの肝にも銘じるところです。
(中川 雅仁)
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