感情に流されずに、よく考える

 ハイゲンキ・ミニの販売を開始して、早速多くの方に関心を持っていただけたこと、ありがとうございます。
申し込みいただいた方には誠に恐縮ですが、現在部品の供給が追いつかない状況ですので、もうしばらくお待ちください。
 旧型のハイゲンキ(2型)とドライヤー型の照射ヘッドが来月末を持って販売終了となるわけですが、それを補い、さらなる氣中継量の向上を目的に、新型のハイゲンキ(3型)とハイゲンキ・ミニ、さらには各種ヘッドも含めて、おおよそのラインナップが出そろいました。
実はこのことは、私の中でも大きな出来事なのです。
先代が夢で白髭の老人に教えられて、この世に登場したのがハイゲンキ(2型)です。
私は、ある時期まで、このハイゲンキを改良するとか、ましてや新しい氣中継器を作ることなど想像も出来なかったことなのです。
きっかけは、2000 年に作ることになったパワーユニットです。
ある場所でのセッションで氣を送っていたら、氣を受けていた人から出てきた魂が「おまえがここから居なくなると光が減る、何とかこのハイゲンキの光を増やしてくれ」と言われたことから始まりました。
しかし、最初少し考え、すぐに「そんなことは出来ない」と思い諦めてしまいました。
しかし、しばらくして違う会場でまた同じようなことを訴えられ、これは何とかしなければいけないと、本腰を入れることになったのです。
まずは考えられることをまとめて、試しに作ってみましたが一回ではダメで、その後何回も繰り返すことで、だんだん出来そうだという感触が得られるようになったのでした。
 私はこれまで、先代の時代からのいろいろな事を、時代の変化とともに変えてきました。
そこからわかったことは、自分の感情を常に優先させて物事に当たると、出来ることと出来ないことがはっきりとしてしまい、出来ないことの方が多くなるものだということです。
それは自分の感情だと思っていることが、そうではないことがあるからなのです。
マイナスの氣が「変わりたくない」と抵抗勢力のように働いていることがあるのです。
ですから自分にとって大切なことは、よく考えることであり、決して感情で決めてはいけないのです。
どうしてもやる気になれないときは、まず行動してみて、その結果がどうかを客観的に見ようとすることです。
人はいつも正しいこと、人のため、自分のため、世の中のためになるかどうかを考え、行動していかなければならないものです。
悪い事や堕落した生活等は何も考えなくても、努力をしなくても思いつくし、できるものですが、そのようなマイナスの氣に負けてはいられないのです。
真氣光も応援してくれています。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「土用の丑の日」

 「土用」とは、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を言います。
陰陽五行説では、万物は、木、火、土、金、水の5元素でできていると考えられています。
1年を、春は木、夏は火、秋は金、冬は水と当てはめ、余った土を季節の変わり目に4回、18日間ずつ配置して「土用」としました。
「土用の入り(今年は7月19日)」から「土用明け(今年は8月6日)」までの18日間で、丑の日を「土用の丑」と言い、今年は7月27日です。
この日にウナギを食べるようになった由来は、江戸時代の蘭学者、平賀源内がウナギ屋の宣伝のために、「丑の日にウの字がつく物を食べると夏バテしない」という伝承からヒントを得て「本日土用の丑の日」と店先の看板に書いたところ、ウナギ屋が大繁盛したからと言われています。
実際、ウナギはビタミンAをたっぷり含んだスタミナ食で、夏バテで食欲減退の方も体力がつくようです。
しかし、稚魚のシラスウナギがここ数年深刻な不漁で卸売価格が高騰してますので高嶺の花となりそうです。
(東京センター 加藤)
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氣( という見えないエネルギー)の使い方

 私は、今日から真氣光研修講座のため、札幌近郊の新篠津に来ています。
昨日までの雨も今日は止み、参加者の皆さんがこれから集まって来られるところです。
九州地方は活発な梅雨前線の影響で記録的な豪雨に見舞われているようですが、皆様のところは大丈夫でしょうか。
 私は、「氣を送る」ことを仕事にしていますが、逆に良い氣を人からいただいていると感じることがよくあります。
例えば、今日から真氣光研修講座が始まりますが、ある人が研修参加をきっかけに、もしくはハイゲンキ購入をきっかけに、どんどん良い方向に変化していくのを目の当たりにした時、私はとても嬉しく思うのです。
さらにはセッションなどで直接お会いして、あるいは遠隔真氣光を依頼されて、いろいろな人に氣をお送りしますが、その結果ありがたいことに「とても良かった」と感謝していただくことがあります。
自分がその人のことを気にしていればいるほど、そのことが本当に嬉しいものです。
 これは私ばかりに限ったことではなく、一般的に氣という見えないエネルギーの特性だと思うのです。
 良くなってほしい、願いが叶ってほしいと人に対してプラスの気持ちを送っていて、その結果その人が願い通りになったり、良いことが起きたりした時に、そのプラスの思いが一気に増え自分のことのように嬉しく感じるのは、氣のエネルギーの同調作用がおこるためなのです。
ですから、もし人にマイナスの気持ちを送って、それが叶ったとすると、エネルギーの同調作用によって大きくマイナスの方向に傾いてしまうのです。
私が氣を送っていると、氣を受けている人の口を使って出てくる魂がいます。
その中には昔、合戦の時に裏切られたことで何代にも渡って、その家を恨んでいる武士の魂が出てくることがあります。
とても苦しい状態で、苦しいから余計に許せない気持ちが募り、それが恨んでいる相手に届き、恨まれた方の家は悪い出来事が起きるようになるのですが、氣の同調作用が働き、恨んでいる魂は余計に苦しくなるという繰り返しを何百年も続けてしまっているのです。
 そこまで強い思いではなくても、「許せない」という軽いマイナスの気持ちでも、それはマイナスの氣です。
私たちは、そのような見えない氣というエネルギーのしくみを良く理解して、他の人にとって良い氣(エネルギー)の使い方をしなければならないのです。
なかなかそれができない現実に直面したときには、真氣光というプラスの氣をまず自分自身に利用することから始めることで、徐々にプラスの氣を他に向けられるようになり、宇宙からの応援をもらえるようになるのです。
(中川 雅仁)
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ハイゲンキ2型の販売終了とハイゲンキ・ミニの発売

 間もなくお手元に届く「月刊ハイゲンキ」8月号でお知らせしていますが、皆様にご愛用いただいておりますハイゲンキ2型及び照射ヘッドの販売を、8月末日をもって終了とさせていただくことになりました。
 発売以来26年に渡り、当初開発された時のまま、大きなモデルチェンジもなく製造されてきたハイゲンキ2型ですが、各部品の調達が難しくなってきたことや、構造上氣中継器としての性能向上にも限界がありました。
私はここ数年に渡り新しいハイゲンキ(3型)の開発を進めてきましたが、昨年発売することができ、さらには、今年2月にはハイゲンキ2型用パワーコネクタを発売し、たくさんの皆様にご購入いただきました。
 今回それらの技術を応用し、従来からのパーソナルHG(エイチジー)を改良するかたちで値段を抑えた個人用ハイゲンキ「ハイゲンキ・ミニ(正式名称High-Genki model HG-1004)」を開発しました。
 このハイゲンキ・ミニは、ハイゲンキ3型やパワーコネクタで実績のあるハイゲンキ・ミニ用パワーシート(所有者氏名と接続ヘッドを私が刻印します)を使ったもので、従来のパーソナルHG シリーズの中継量を一桁上げるように設計しております。
当社の正会員特典が受けられるのは所有者個人一名のみですが、自分自身に真氣光のエネルギーを取り入れることで周りをも輝かせる「ハイゲンキ」として使っていただけるものと思います。
またパーソナルHG シリーズからのバージョンアップも承ります。
 さらに、ミニスティックヘッドシリーズの価格を改定して、より一層お求めやすくするとともに、ペンダントのように首に下げて使うばかりではなく、スティックヘッドのようにハンドルを使って手に持って、体に当てられるようミニスティックヘッド(MN)用ホルダーを発売します。
 ハイゲンキ2型は販売終了となりますが、今後は氣中継器本体については家族用のハイゲンキ3型と個人用のハイゲンキ・ミニの二種類となります。
また、これらと組み合わせる各種ヘッドはミニスティックヘッドをはじめ、スティックヘッドやホワイトセラミックヘッド、ソフトヘッドのラインナップで販売させていただきますので、よろしくお願いします。
 尚、販売終了に伴い、「ハイゲンキ2型サンクス&メンテナンスキャンペーン」と称し、ハイゲンキ2型本体と照射ヘッドの修理代及び部品交換を正会員限定にて1割引にさせていただきます。
ハイゲンキ2型の販売終了後も当面の間、修理等のサービスは継続させていただきますが、部品の中には入手し難い物が出てくるかもしれません。
ぜひこの機会をご利用下さい。
(中川 雅仁)
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時は解決しない—- 努力が大事

 私は日曜日の夜遅く、広島県は宮島での研修講座を終えて帰京しました。
宮島の自然溢れる景観から一転して高層ビルが建ち並ぶ東京の夜景を目にして、一瞬タイムトンネルにでも入ったような少々おかしな感覚になりました。
 研修講座が開催された宮島は、先週号でも書きましたように、歴史ある土地です。
そして今回もご縁のある人が集まってくださいました。
源氏と平氏、さらには戦国時代の戦、あるいは太平洋戦争等、人類が繰り返してきた「戦い」というものに何らかの縁があった人、また先祖に直接関係が無くても何かの繋がりがあったのでしょう。
その中には未だ苦しみの中にいる魂もいて、それらが真氣光のエネルギーによって浮かび上がるのですが、その結果光が届き、辛さ苦しさが消えて光の方向に進めるようになるのです。
強い恨みを抱く魂、受けた仕打ちに対し許せない思いを強くしている魂も多いのです。
そして、そのような魂たちの存在が、生きている私たちを不幸に導くということがあるものです。
たとえば理不尽な事件や事故に遭遇したり、会社・親戚・友人という人間関係が悪くなるなど「許せない」「許さない」出来事によって、人の心を重くするのです。
 「時が解決してくれる」という言葉がありますが、今回の研修で光になった魂の平安時代からの「許さない」という思いは、800年以上も続いていたのです。
ですから「解決してくれる」とは、何もしなくても放っておいて解決されるということではなく、解決の方向に気持ちを向け、いろいろと角度を変えて努力した結果そうなるということです。
そして、今回研修で教えられたことは、どんな時にも、ただ闇雲に時を過ごしてはいけないのだということです。
なぜなら、何も良い方向に意識を向けずに過ごしていては、結果は変わらないばかりか、少しずつ自分の気づかぬうちに悪い方向へと引っ張られることにもなるからです。
 自分自身の今の人生は一度きりです。
だから何かをする前に、諦めたり、言い訳をして、ただ人生を何の努力もなく生きてはいけないし、人と比べて諦めてもいけないのです。
今これからやることは、常に新しいことであり、進化し未来に向かっているからです。
何も変わらないなんてことはなく、自分が動くことで見えないエネルギーは動くのです。
皆、この世の中で、それぞれに重要な役割を担っています。
誰一人として必要のない人などいません。
ただ生き方が少々分からないということがあるかもしれませんが、それもまた真氣光のエネルギーが応援してくれることで変わるのです。
(中川 雅仁)
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宮島での研修講座を開催しています

 私は水曜日の夕方に広島県は宮島に来て、昨日昼過ぎから真氣光研修講座を開催しています。
フェリーで宮島に渡り厳島神社を通って徒歩20分程で研修会場に着きましたが、目の前は瀬戸内海、後ろは原生林と島の自然に囲まれた、とても良い場所です。
地元の広島県をはじめ岡山や九州、関東や沖縄など、何かのご縁で導かれた42名の参加者が集まってくれました。
研修講座には初めての方もいらっしゃいましたが、もう20年にもなる方や何回も研修講座に参加していただいている方もおられます。
 宮島のシンボルでもある厳島神社は平清盛が社殿を造営していることから、今年は大河ドラマ「平清盛」のポスターが貼られていて、地元の人達も観光に力を入れているのがよくわかります。
清盛にまつわる資料館やお土産などもあり、観光客も多いような気がします。
私が、この宮島で研修をやろうかと思案していたのは2年前のことですが、あちらこちらの土地(広島県内だけでも数カ所)に行き、その中から決めたのです。
当時は、大河ドラマで宮島がこんなにブームになるとは考えもしませんでした。
今年2月の神戸での研修講座の時にも、このニュースに書きましたが、ドラマなどを通して人々の関心が高まることにより、良い氣(光)が届きやすくなるものなのです。
 大河ドラマの時代には、いろいろな苦悩があったと思います。
民衆の中には、貧しく食べることもできなかったという人達もいたでしょうし、平氏・源氏など武士同士の争い、さらには朝廷の中での権力争いによって強い憎しみを残している人達もいます。
また、この宮島は、その後も戦国時代に戦の地となっております。
戦で亡くなった多くの人達の苦悩ばかりではなく、この地を汚されたという神に仕える立場の人達の苦悩、さらにはこの海の向こう側には原爆も落ちていますから、様々な人達の思いが重なっていることと思います。
 宮島の中心にそびえ立つ弥山は、弘法大師が開基した真言密教の修験道場で、古くから信仰の山だとのことです。
これまで数々の先人の祈りが、苦悩に打ちひしがれる多くの魂に光をもたらしてきたことでしょう。
今回の研修参加者の中には、ご縁のある先祖に導かれて来たようだと、言われていた方がいました。
真氣光の光は、それを受ける人に氣づきを促し、魂を輝かせます。
そしてその光が、縁あるご先祖の魂をも輝かせるのです。
この土地に直接関係していなくても、日本人である私たちに刻まれているであろう多くの先祖の苦悩に、真氣光のエネルギーが一筋の光をもたらしてくれるよう願いながら、一生懸命に真氣光を中継させていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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自分自身が輝くことで先祖にも光を

 テレビを見ていたら「問い合わせ殺到 都立霊園初の樹林墓地」というニュースを取り上げていました。
遺骨を樹木の下に共同で埋葬する「樹林墓地」と呼ばれる新しい形態の墓が都立小平霊園に整備され、料金が13万円程と安いことから、墓代を抑えたい人に人気だということです。
 このような樹林墓地、樹木葬は、1999年から民間の霊園を中心に広がっていて、墓石のかわりに樹木や花を植えて墓標とし、遺骨は土にそのまま埋葬するということです。
限られた敷地を効率的に利用できる自然を壊さない墓地として、環境にもやさしいと注目されているようです。
さらには現代人のいろいろな事情、つまり『先祖のお墓は守っていきたいけれど後継者がいない、迷惑をかけたくない。「○○家の墓」に入るのは抵抗がある。霊園・墓石はお金がかかりすぎる』などがあるようです。
昔ながらの「家」という概念が薄れ、核家族化、少子高齢化に拍車がかかっている時代ですから、海への散骨、ロッカー式の納骨堂、永代供養墓……さまざまな埋葬方法が提案されるようになったのだと思います。
ところで、私たちは目に見えている体の他に、目には見えない魂とも言うべき氣のエネルギーと心から成りたっています。
昔から人々は、この目には見えない部分のことを考えていたから、お墓というものが存在しているわけです。
つまりその根本は、体が無くなっても亡くなった人を大事にしたい、大事にしてもらいたいということであり、実際には、生きている人と亡くなっている人との間には、お互いの事を「思いやる」ことにより、見えない光のようなものを上げたり貰ったり、つまり氣のエネルギーの交換があるのです。
お墓参り、法事・法要というものが、より強い思いを先祖に向けられるということだったのですが、だんだんそれも機能しなくなってきているということでしょう。
 氣の観点から言えば、立派なお墓を建てるのも、樹木葬にするのも、お墓にはどんな形態があってもよいと思いますが、重要なことは、その家に生まれたことで先祖からの影響は見えない縁で繋がっているということです。
 真氣光という宇宙からのエネルギーは、魂に浸透するエネルギーです。
それを利用できる私たちは、先祖を敬愛する気持ちを忘れることなく、日々真氣光を受けるとともに少しでも充実した人生を送れるよう自分自身を輝かせることです。
その光は、少しずつ周りに広がり、はるか遠い先祖の魂にも繋がっていくのです。
このような時代だから、ますます真氣光のエネルギーが必要なのだと思います。
(中川 雅仁)
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時には気合を入れて

 私は50歳を過ぎて、お腹が重いのか、筋力が落ちたのか、はたまた元来の面倒臭がりの性格が強力になったのか「ヨイショ」「ドッコラショ」とばかりに気合?を入れなければいけない場面が多くなりました。
家内にも聞いてみましたが、彼女の場合は、毎日、掃除・洗濯をするにも、食事を作るにもすべての場面において、少々の「気合」が必要とのこと。
私はその言葉を聞いて「確かにいろいろ忙しく仕事をこなしているから仕方が無いねー」と言って日頃の労をねぎらってみようかと思ったのですが、付け焼き刃的な言葉に反って嫌味ととられ反感を買いそうで、言葉を飲んでしまったのでした。
 ところで気合とは国語辞典で調べてみると、『精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。また、そのときの掛け声。「―がこもる」「―をかける」』とあります。
そうすると私や家内の場合は、精神を集中する程では無いけれど、かけ声を自分自身に言い聞かせて、その反動を利用するぐらいの事でしょうか。
しかし、時には精神を集中させて事に当たらなければ、どうにもならない場面があります。
私の場合、あれもこれもといろいろな仕事が立て込んで来るときなど、ただ順番にこなすのにもこの「気合」が必要です。
 心と体は別物です。
心で思うのは簡単でも、物理的に事を成すには、相当なエネルギーがいるのです。
ですから強く思うことが重要で、ここに精神を集中するということが必要になり、つまり気合ということばが生まれて来たのだと思います。
私たちは、考えているだけではダメで、体を動かしてはじめて魂が光を放ち、それが成長につながります。
しかし体や心にマイナスの氣が影響を与えると、体が重くなったり、気持ちが乗らない、など体を思い通りに動かすことができなくなります。
光を失ったマイナスの氣は、その人の光が増えると眩しくて居られなくなるので、その人の側にずっと居たいから、変わって欲しくないから、邪魔をするようなマイナスの影響を与えるのです。
 真氣光を受けると、自分自身の魂に見えない光のようなプラスのエネルギーが入り、影響を与えるマイナスの氣が消えていきます。
しかし時には気合を入れないと、強いマイナスの氣は、なかなか消えて行かない時があるものです。
ですから、「時には気合を入れて」欲しいと思うのです。
また、強いマイナスの氣の影響を受けているときには、気合を入れて真氣光を受けなければならない時があるかもしれません。
そのような時には、真氣光研修講座への参加をお薦めします。
(中川 雅仁)
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「気にする」と「気になる」

 私は真氣光セッションと称して、集まっていただいた皆さんに私が氣を送るということをしています。
ひと月の間に全国のエスエーエスを回るようにしていますので、だいたい北海道から沖縄までを一巡するのです。
男性女性、若い人からお年寄りまで、いろいろな方にお会いするわけですが、どこに行っても最初に「何か気になること」について書いてもらったり、話を聞くようにしています。
そして時にはその「気になること」から、そこを「気にして」つまりそれを掘り下げ意識して氣を受けてもらうようにしています。
 ところで「気にすること」と「気になること」は違っています。
「気にすること」は自分が意識して気を向けていることで、これはしばしば忘れてしまうことがありますし、その対象となるものが、どんどん変わっていくことはとても自然なことです。
しかし、「気になること」は、ふと気になったり、いつまでも気になっていたり、気にしないでおこうと思っても気になったりと、自分の意思でもなく、意識でもないので、決して忘れ去ってしまうことはないのです。
つまり、その人に影響を与えている、目には見えない「氣のせい」なのです。
それは私たちにプラスの影響を与えるプラスの氣もあるでしょうし、逆にマイナスの氣の場合もあります。
 つまり、もし気になることを根本的に解決したければ、その事に影響を与えている氣、つまり何ものかを変えなければならないということです。
それが時として時間のかかることだったり、とてもわかりにくいことだったり、日々の生活の中ではどうすることもできないことかもしれません。
なぜならそれは見えないものからのメッセージということがあるからです。
でもそれは特別なことではなく、全ての人が多かれ少なかれその影響を受けています。
そして、少しでもそれを理解することで、現状が良い方向に変わっていく可能性があるということなのです。
私たちは、真氣光を受け、気になることに目を向け意識することで効率良く気づいて、自分自身を変えていけます。
その気づきとは、もしかすると今の自分自身にとっては、とても身近で実践的で少々難しく、億劫なことかもしれません。
しかし、もしもそれを素直に受け止め実践することができたなら、よりよく生きるために、一度きりで止めること無く続けていくことが大切です。
なぜなら、生きている限り無限大に好転していくことができるからなのです。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記「雁風呂」

 「雁風呂(がんぶろ)」は俳句の春の季語になっています。
雁風呂とは、青森県津軽地方に伝わる入浴を勧める風習の一つで、雁供養ともいいます。
日本に秋に飛来する雁(かり)は、木片を口にくわえ、または足でつかんで運んでくると信じられていました。
渡りの途中、海上にて水面に木片を浮かべ、その上で休息するためであるという。
日本の海岸まで来ると海上で休息する必要はなくなるため、不要となった木片はそこで一旦落とされ、そして春になると、再び落としておいた木片をくわえて海を渡って帰っていくのだと考えられていました。
旅立ちの季節が終わりもう雁が来なくなっても海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、旅人などに流木で焚いた風呂を振る舞ったと言われています。
それを春の季語にしたのは日本人のゆかしい感性と思われます。
(東京センター 加藤)
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